筑波峰うぐいすのしあわせとは、自分がこの世界に必要とされている、その実感が得られることである。
だからこうして血に塗れることだって苦痛じゃない。《悪人》の息の根を止めて、自分のために生きていくことに、なんの罪悪感だって抱かない。
筈だった。
(…あたしはこんなくだらないことのために、生きてるわけじゃない)
また今日も《処理係》筑波峰うぐいすは《正義》の規約に反した《悪人》を斬り殺している。
本日の獲物は鎌鼬じみたちからを持っていた《悪人》。彼のちからには少々手こずらされて、裂けた頬や手の甲が痛む。そしてまだ、うぐいすの手には彼を斬ったときの感触が生々しく残っていた。
たまに不思議になるのだ。あたしはどこへ歩いているのだろう。進める足は止めない。止められない。けど、行き先は自分でさえ理解していない。
あたしはどうして生きているんですか。
「お疲れ様です、うぐいすさん」
灯火島の山中にひっそりと存在感を消して建っている、《正義》本部。外見は建物とは思えないようなのっぺりしたフォルムであり、入り口は存在していないかのように思える。実際のところ、《正義》関係者が定められた手順を踏むことにより、中に入れるような仕組みにされているのである。この灯火島を管理する組織の本部であるのだから、それくらいの仕掛けは当然なのだ。
「…幸秀」
夕刻、仕事を終えて《正義》本部に帰ってきたうぐいすは、玄関を入って右側の廊下ですっ転んでいた見慣れた頭を見つけた。
ばさばさと散乱した書類やら本やらをかき集めていた来内幸秀は、うぐいすの姿をその視界に入れると冒頭の台詞を吐いてへにゃりと笑った。心なしか、トレードマークともよべる丸めがねがずれている。
「なに、また転んで」
「うーん、やっぱりめがねの度があってないみたいです。うまく焦点があわなくて…」
「当主に新しくレンズ買ってもらえば。そんなんじゃ業務に影響出るでしょう」
「いえ、デスクワークに問題はないからたぶんへいきです」
言いながらも幸秀はしばらくめがねのつるを持ってかちゃかちゃやっていたが、やがて諦めたのか手を離して立ち上がった。自動的に、うぐいすは学ランをぼふぼふはたいている彼を見上げることになる。身長は幸秀のほうが高い。うぐいすはその気の強さとは反して平均身長をすこし下回っているからである。傍から見れば、うぐいすよりも背の高い幸秀のほうが敬語をつかう様は違和感があるだろう。うぐいすと幸秀は同い年だし、また上司と部下の関係でもない。そもそもふたりは働く部署が違うのだ。前線に赴き《悪人》を処理するうぐいすと、机上で書類仕事をこなす幸秀。けれどもなぜ幸秀が敬語をつかうのか。それを尋ねても、当の本人は笑ってはぐらかすだけだし、うぐいすに予測できることではなかった。
「そうだ、聞きましたか?次期当主のはなし」
「…きいた」
その話題を幸秀が口にした途端、うぐいすは露骨に顔をしかめた。自分のうえに立つ人間のことなど知ったことではない。皆がなにをそんなふうに冗談めかしながら声をひそめ騒ぎ立てるのかわからない。
幸秀はそんなうぐいすを見て、首を傾げた。彼に悪気はないのだということにうぐいすは気づき、後味の悪い唇を湿らせとっさになにか言葉を紡ごうとする。けれど、その言葉になりきれなかったなにかはうしろから響いた騒々しい足音でかき消される。
「ようよううぐいすじゃん!相変わらず目つきわりーな!カルシウム摂れよ!」
「はーいカルシウムの元素番号はなんだとおもう、馬鹿アオギリ」
「え、えーっとお…」
「はーいタイムアップー。答えは20。Caだってば、これ中学レベルだぜ?」
「うるさいおまえら」
「ヒイラギは冷たいなー、絶対日ごろ女子に話しかけてもらえてないな」
「サイカチ、余計なお世話」
どやどや騒ぎながら歩いてきたのは三人で世界が成立しているのであろうバカトリオだった。
先頭を歩くのは梧。脱色気味のはねた髪がぴょこぴょこと揺れている。
そのうしろを追うのは梍。明るい茶髪は室内の電球に照らされ透けていた。
そしていちばんうしろは柊。光を吸い込む黒髪のしたで、呆れた眼差しが覗く。
三人そろってうぐいすや幸秀のものと同じ灯学園の制服を着て、それぞれが若干形状の異なる日本刀《律心》を手にしていた。
「あ、こんばんは」
「よー幸秀!」
「今日も忙しそうだなあ」
「…また転んだんだろ」
瞬く間に三人はわらわらと幸秀を取り囲み、賑やかな談笑を始める。ぼーっとそれを眺めていたうぐいすだったが、すぐに飽きて、
「じゃああたし、行くから」
「あ、はい。お疲れ様でした」
「じゃあなうぐいすー、前みたいにぶっ倒れんなよー」
見送りの言葉になせだか安心する自分をどこかで感じながら、うぐいすは身を翻して《正義》本部の奥へ足を踏み出した。
@@@
この離島、灯火島は様々な意味で本島と隔離されている。
すこし昔の話である。文明が発達し、色とりどりの文化が町中にひろがるなかで、それでもなお世界の半数が憎み嫌う『悪』が無くなることはなかった。そんなとき、ひとりの人間が戯れに考えた。
『この世界の闇で悪が存在するかぎり、いまのこの世界のかたちは維持され続けるのではないか?』
発想の転換である。悪を撲滅させることによる社会への影響は想像できない。ならばいまこの現状通り、世界に溢れないほどのほどよい量の悪が存在しているほうが、気楽で正しい世界が守られ続けることになるのではないか。悪趣味な芸術品によく似たその説は半ば冗談交じりに実行され、夢のような効果を叩き出した。世界はその状態のまま維持され続けたのだ。
それから数十年。悪を管理し住民を生贄としながら、世界を維持するための機関・《正義》は灯火島でその役割を果たし続けている。当初はあくまでも実験として割り当てられた舞台・灯火島は、幸運にも《悪人》を効率良く放し飼いにできる絶好の場所だったのだ。
そしてそんな隔離された島で、筑波峰うぐいすは《正義》の手足・《処理係》として働いていた。
@@@
「………」
時は移り、九月中旬・夕刻。
うぐいすは鞘から抜き放った《律心》をやや斜めに構え、包丁を両手にした《悪人》・ 寺ヶ岳小枝と対峙している。ふたりの間にはクラスメイトである旧屋セカイがぺたんと力が抜けたようにして座り込んでいた。細いふたつの三つ編みが頼りなさげに揺れる。
「ーーーま、いいや」
長い沈黙の果て、小枝は甘ったるい声でそう言うと、ぽいっと包丁を放った。でたらめな方向に投げられた二本の包丁は、遠くのほうへからんからんと転がっていった。
「まさかササくんも探索一日目から見つかるなんて思ってないだろうしー、これは僥倖っていうことで片付けてくれるよね、きっと」
「ーーな、」
拍子抜けして変な声が漏れた。きっと今、自分はへんな顔をしている。うぐいすはそう直感した。
「っていうわけで、《処理係》のおねーさん、小枝今日はこのへんまでにしとくね!深入りはするなってササくんに言われてるのー」
「……あんたのうしろには、まだだれかいるってこと?」
「さあ、あんまり口をすべらすとササくんに怒られちゃうー」
おどけた口調で言い、小枝は片目をつむった。にっこり笑って手を振る。
「ばいばい」
瞬間、彼女の姿がかき消えた。あとにはなにも残らず、ただ風が虚空を撫でるだけだった。
「…テレポート、の能力…?」
つぶやき、うぐいすは刀を下ろした。いつもならここで《清掃係》を呼び、後始末は任せて本部に帰るところだ。けれど今日は違うのだ。
「……筑波峰、さん」
自分を呼ぶ声。セカイには見えないところで一度、うぐいすは眉根を寄せる。けれどここまで来たら、覚悟を固めるしかない。
これは、うぐいすが決めたことだ。
うぐいすは彼女のほうへ振り向いた。頼りない眼差しがうぐいすを射る。座り込んだその姿では、とてもじゃないが、あの話を信じることはできない。
でも。
「…まずはその足を治療。話は、それからよ」
@@@
「いまだに意地張りだな、おまえ」
「…どういう意味ですか」
灯火島の隅っこにちいさく存在する古びた建物に、うぐいすはいた。目の前にはうぐいすよりも年上の成人男性がくるくる回る椅子に腰掛けている。服装はアイロンのかかったシャツにズボン、白衣と医者らしい格好ではある。…が、なぜか髪は脱色されて耳にはイヤーカフスやらピアスやらが派手派手しく飾られていた。そんないまいち服装のちぐはぐな医者は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「それはお前自身がいちばんよくわかってることだと思うぞ?」
「…なんですか、凪原先生はあたしに説教でも始める気なんですか」
「はは、俺はそんなに大層な人間じゃない」
うぐいすは眉をひそめた。この人物にはいまだにペースを崩されがちだ。長い付き合いでは、ある。うぐいすが《処理係》として働き始めた頃から、この《正義》には属さない医者にはお世話になってきた。しかし、けれども、やっぱり得意なタイプではない。
完全にこちらを子どもとしてみているその姿勢には、少しばかり嫌気がさす。
「…ところで、あのこの怪我はどうですか」
「ああ、たいした怪我じゃない。刃は肉だけを切ってたようだからな、俺がしたのは止血と消毒だけだ。傷跡も残らないだろうし」
「そうですか」
ちら、と奥のとびらを見やる。そのむこうには休んでいるセカイがいるからだ。そちらを向いたまま、ほんの少し目を細めたうぐいすに目敏く気づいたようで、凪原はにやりと笑ってみせた。
「珍しいな、お前がここにだれかをつれてくるなんて」
「…は?」
「あの子はおまえの大切ななにかなのか?」
「………………」
どうしてあんたはそんなことを真顔で聞けるのとか何をどう見たらそんな推測ができるのとか、言いたいことはやまほどあったしそのへらへらした顔にぶちこみたい拳もたくさん用意できる気がしたものの、それを行動に移すのはやめておいた。無駄な労力を使いたくはない。凪原と良好な友好関係をきずくための術は、いいかげんもう心得ていた。
「…なに言ってるんですか。だいたい凪原先生だってあいつのこと、すこしは知ってるんでしょう」
「……ま、いま《正義》じゃ持ちきりの話題だしな」
ふう、と凪原は嘆息する。意味もなく椅子を回して、こちらを見上げる。
「それはともかく、とりあえずあの子のところに行ってやれよ。本人にしてみりゃいきなりロリ娘に襲われていきなりクラスメイトが日本刀振り回し始めたんだ、現状を理解してるはずもないだろ」
「……あー、もう。はいはい」
こっちだって状況を完全に把握してるとは言い難いのだが、もう考えるのが面倒くさくなり、うぐいすは投げやりに返事をするとそのへんに立てかけてあった《律心》を手に取りとびらのほうへと歩く。
「ーーー旧屋一族、ね」
そのつぶやきを聞く者はいない。
@@@
「……調子はどう」
殺風景な部屋だ。ベットがひとつに薬品のはいった棚、見回して確認できるのはそれくらい。あとはパイプ椅子がひとつある。
旧屋セカイはベットに腰掛けていた。藍色のひとみの中が、不安そうに揺れている。無理もないだろう、とうぐいすはおもった。あんなものは日常には存在しない。非日常にはじめて足を踏み入れた人間は、たいていがこんな顔をする。自分が今どこに立っているのか自覚できず、不安になる。その気持ちはよくわかった。うぐいすにとっては懐かしい感情だった。
知らない土地にひとりで放り出されたような、そんな感覚。
「えっと…足はまだ痛むけど、たぶん…大丈夫だとおもう、かな」
「……そう」
ぎこちない会話。セカイが戸惑っているのがわかる。クラスメイトではあるが、喋ったことなどこれまで一度もなかった。決して身近ではなかった存在。それが今ああいった経過を経てこうして目の前にいることは、なんだか知らないがすこし不可思議ではあった。
セカイが黙ってしまったので、うぐいすはどうすべきかしばし考えて、
(……やっぱりあたしがやらなきゃいけないのね)
億劫な気分を無理やり起こしてため息をついた。
「……あたしには、さっきのちびについてあんたに説明する義務がある」
「…」
「けれどーーーべつにあんたがそれを知らなくちゃならないわけじゃない」
「……私は、」
「…………?」
「ねえ、うぐいすちゃん」
と、ここでセカイが口を開いたので、うぐいすはすこしだけ驚いた。どうやらセカイの心境はもっと異なっていたらしい。声は震えていなかった。きゅっと唇を噛み、セカイはうぐいすと目を合わせた。その目はしばらく虚空をさまよい、それから焦点を合わせる。
「きいても、いいかな」
「……内容による」
「うぐいすちゃんが、なんらかの組織…みたいなところに属しているのは、なんとなくだけどさっきの会話でわかったよ」
「……」
(ーーー意外と、)
しっかりしている。ただ腰を抜かしてへたりこんでいただけかとおもっていたけれど、そうではなかったようだ。うぐいすはセカイに対する印象を改めた。
意志は強そうな、クラスメイト。
「だから、聞きたいの」
「私の兄はなにをしているの?」
「……ふうん」
口笛を吹きたくなる。もうそこまで核心に迫る発言ができるなんてーーーこのまえ幸秀に言った台詞を撤回しよう。
彼女には、可能性がある。
「いいよ。答えてあげる。けどーーその問いに対する答えは、この島と《正義》の本質に関わるものだからーーすべてをあたしの口から告げるわけにはいかない」
一呼吸。
忘れてはならない。どうして自分が彼女を助けてやったのか。その理由を。そして、自分の使命を、忘れてはならない。
「だから、片鱗を教えてあげる。あんたがそれを聞いてどうするのかは、あんたの自由よ」
こくり、セカイがちいさくためらいながらも頷くのを見て、うぐいすはかしゃりと《律心》を握りしめた。
瞼の裏には過去の自分がよぎる。
旧屋セカイは、過去の筑波峰うぐいすに似ていた。
「あんたの兄ーーー旧屋ソラは、あたしたちの組織のトップに立つはずだった男よ」
▽こころ錆びる