旧屋ソラのしあわせとは、物事の上へ上へと登りつめる、その過程を楽しむことである。
幼い頃より、自己顕示欲は強いほうだったと思っている。
他人よりも上にいたくて努力することも多かったし、そのぶん他人を蹴落として上へ上へと這っていくこともめずらしくなかった。その過程において、ソラの脳内にあったのは周りを蹴落とすための策ではなく、自分が努力をしているという満足感と、この先にある結果を心待ちにする期待のみだった。そもそも自分の中ではその行為は『当たり前のこと』であり、その点自分はひとの上に立つべきではない人間だったのかもしれない。
そんな考えも、今となってはいまさらだ。
「あー…くそ」
画面いっぱいに映る【GAME OVER】の文字に舌打ちし、薄い茶色の短髪をぐしゃりとかき混ぜた。どうも今日は調子がよくない。単純なミスばかりしている。こういう日は下手に粘るよりも日を改めたほうがいいことを経験上知っていたので、旧屋ソラはゲーム機のまえに座っていた身を起こして立ち上がると、ゲームセンターから出た。
「…………」
嘆息。もう癖になっている気もする。以前クラスメイトからため息してるとしあわせが逃げる、なんてことを散々言われたものの、やはり癖なのだ、そう簡単に自分でやめられるものではない。
と、いうかーーー自分にしあわせなんてものを望む心は、まだあるのだろうか?
考えるだけで嫌気がさす。ソラの苛立ちの原因は、主にこの幸福についての思考と過去回想、それから妹の言動だけだ。
商店街を歩き、ちらりと空を見る。夕刻だから、もちろん空の色はオレンジだ。なんていっても、今日は朝からこんな色だったのだけれど。また、嘆息。この島はイカれている。その原因をソラは知っていた。けれども同時に、もうそれは自分に関係ないことだということも理解していた。もう自分にはそこに深入りする権利はない。上へと登っていくちからももうない。ソラの世界は無気力だった。なにをしようにも枷があるのなら、もうなにをする気力もない。
商店街を出る。スニーカーの底がぺたぺたと気の抜けた音をたてていた。アスファルトに脚をこすりながら歩く。波の音が鼓膜を揺らしたので、顔を上げた。港が見える。夕方の海は、オレンジの光を浴びて水面をきらきらと光らせていた。幼いころから見てきた景色だ。そう、幼い頃は、隣に父がいて母がいて、そして妹も、いた。
(ーーーああ、嫌だ)
こんなふうにうじうじ悩んだってなにも得るものはないだろうに、どうして自分はこんなふうに悩んでいるのだろうか。馬鹿らしい。
頭を振る。そうすればソラの曇った脳内が晴れるんじゃないかとすこし期待してみたものの、やはりそんなことはなく、そして。
「ーーーー『人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である』」
ひそやかな声が、耳を打つ。
自分の脳内が澄んでいくのを感じた。ソラは思わず顔を上げる。誰の声だ、人影を探す視界に映り込むひとつの影。
「パスカルの言葉だよ。人間は自然の中ではちっぽけな存在だ、けれど思考する存在というのは、それだけで偉大だ」
細いシルエットだった。夕日の逆光のせいで若干顔に影が落ちている。
青い絹のように垂れる長いサイドテイル。薄いめがねのレンズのむこうに光る、夕日と同じ色の双眸。ここらでは見ない学校の制服に、片耳だけにはめこんだイヤホン、両手首を飾る色とりどりのアクセサリ。その口元は、にやにやと深い笑みを刻む。
「だからね、悩むことも大事だよ。唯一思考を許された人類は、その頭で思考を続けながら生きて、そして死ぬ義務があるだろう?君もそう思わないかな、旧屋ソラ」
「……あんたは、」
「うん?うん、きっと名前は知っているんじゃないかな?でもまあ、思い出してもらう時間も惜しいし、名乗らせてもらおうか」
戯けた口調で首をかしげ、彼女はにこりと笑った。広げる両手は細く、マリオネットを連想させる。けれどそれ以上に、動作はピエロじみていた。
「ボクの名前は《飴玉爆弾》。もしくは迷継冷とでも呼んでくれるかい?旧屋ソラ、舞台からおろされた主人公さん、ね」
@@@
「ボクはミルクティー。彼には…」
「…コーヒー」
「だそうだ。よろしく頼むよ」
商店街にある、とある喫茶店。
一礼とともにシックな制服の定員が去っていったのを見送り、ソラは正面に座る迷継をみた。こちらに興味があるのかどうだか知らないが、彼女は窓の外をながめていた。見た目だけで判断すれば、たぶん高校生。しかし、纏っているオーラと口調、それからそのひとみの色はあきらかに長い間生きてきた者のひかりをたたえていて、判断するのは難しそうだった。
(……《飴玉爆弾》)
その名前は知っていた。キャンディーボム。この世界のすべてを知り得る情報屋。噂によれば、数多の世界を駆ける存在、だとか。
…正直に言えば、それを聞いたときのソラはもうはっきりと嘘臭いと思ったものだった。けれどいま、実際に目の前にしてみると、只者ではないことを感じる。ほんとうに自分とおなじところにたっているのだろうか。どこか浮いているように、超越した存在。その唇をいろどる嘘臭い笑みは、いったいなにを示唆しているのだろう。
「ーーーさて、」
湯気のうかぶカップふたつが運ばれてきてから、迷継はその口をひらいた。コーヒーに口をつけていたソラは、視線を迷継にむける。
「それじゃあ、話をしようか」
「…いったい、何の話を」
「どうでもいいような世間話さ。まあ、初対面のボクといきなり話をするのもどうかとおもうしーーーそうだね、まずは質問タイムをもうけてみようか」
にやにや笑う姿はやはりピエロに似ている。かちゃり、と音を立ててカップを手に取り、流れるような動作で口付ける。
「…なんでも質問してくれていいよ。ただ、ボクにも黙秘権はあるのでね。そこのところはわきまえてくれると助かるよ」
「はあ…」
いまだこの人物の性格が読めない。唇を吊り上げ笑っていたかとおもえば唐突に表情をかくしてみたり、ぺらぺらと饒舌に喋っていたかとおもえばいきなり先手を譲ってみたり。
「…あんた、何歳なんだ」
「おや」
とりあえず、相手の情報をすこしでもつかまないことには話が始まらない。そう判断し、ソラはいまもっとも気になっていた問いを投げかけた。
「女性に年齢をきくとはね。ずいぶんとまあ不躾じゃないか」
ふわり、と紅茶の香りがする。遠くからきこえる他のテーブルの客の声は、ノイズでもかかっているかのように聞き取れない。いつのまにか、自分のてのひらが汗ばんでいることに気づく。それほどまでに、目の前にいる存在には得体のしれない脅威がひそんでいた。
「そうだね、いくつぐらいにみえる?」
「…高校生」
「うん。じゃあ、そういうことさ」
「どういうことだよ…」
「きみにそうみえるなら、そうってことさ」
…うまくはぐらかされた気がする。
「ほかには?」
「…どうしてこんな時間にあそこにいた?あんたは名の知れた情報屋だろう、忙しくないのか」
「今日の午後はきみのために空けておいたんだよ」
「…どうして、そこまでして」
「言ってしまえばボクの連れがきみのことを気にしていたからなんだけどねーーーまあ、それだけではもちろんないし」
吐息をはさむ。さて、ときりかえるような言葉を口に出して、迷継はこちらをうかがうようにみた。ミルクティーのなかみがゆらめいている。ふと、ソラは彼女のひとみのはなつひかりに気がついた。彼女のひとみのひかりは、今日出くわしてから一度もぶれずに保たれていた。
「きみも気になっているようだしね。それじゃあ本格的な話をしよう」
「旧屋ソラ。きみはこの世界を、《物語》として認識したことはーーーあるかい?」
▽沈んでいくのは嘘ばかり