祈りに代えて星は瞬く
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トマトとモッツアレラのカプレーゼ、断面からとろりとした半熟卵が覗くミートローフ、甘酸っぱい香りを漂わせるニシンの南蛮漬け、こんがり焼き目のついたチーズがかかったラザニア、よく煮込まれたかぼちゃのスープ、きつね色に揚がったライスコロッケ、バジルソースを塗って焼いたバゲット、つやつや光るアジの刺身、香ばしく焼けたローストチキン、生野菜とエビの透ける生春巻き、ベーコンやらほうれん草やらとにかく具沢山のキッシュ、瑞々しく輝くフルーツ。そのほかにもたくさんの皿がテーブルの余白を埋め尽くしている。
これらすべて、ナデシコが腕によりをかけてつくった料理だった。材料を切ったり、鍋のようすを見守ったり、春巻きを巻いたり、皿によそったりといった工程をメイドふたりに任せたりもしたが、だいたいの指揮をとっていたのはナデシコである。てきぱきとキッチンのなかを行ったり来たりする姿は、どちらがメイドかわからないくらいだった。
さて、ダイニングテーブルがまるでパーティーでもひらかれるかのように豪勢な料理でいろどられた理由はというと、毎度のことながら、それはティメオにあった。
船を降りる日が刻々とちかづくなかで、彼はナデシコに夕食のリクエストをしたのだ。別れるまえにあれが食べたい、これが食べたい、という会話に、いつのまにかコーラルも双子もそれからメイドまで加わって、夕食候補のメモはどんどん下へと伸びていった。
最終的には両手の指の数をゆうに超える料理を書き連ねたリストを前にナデシコが下した結論は、もうこれならぜんぶつくってしまおう、だった。
テーブルの端に座って、取り分けておいたキッシュをフォークで崩す。さくさくの生地とぎゅっと詰まった具をまとめてフォークですくい、そっと口にはこぶ。
「……うん」
美味しい。
ナデシコはこころのなかでうなずいた。我ながら、うまくできたと褒めてやりたい。とくに生地の焼き加減は、これまでつくってきたなかでいちばんと言えるのではないだろうか。
もぐもぐと口のなかのものを咀嚼しながら、まわりに目をやる。カーム・シアン号のダイニング。おおきな四角いテーブルには、現在この船に乗っている八人全員が席についていた。
入口からいちばん遠くて、キッチンにいちばん近い隅にナデシコ。その左がわにヒスイ、ティメオ、コーラルが並ぶ。コーラルの正面には双子がそろって座り、その向かって右がわの椅子に【ビターオレンジ】と【九時】がそれぞれ腰かけていた。
「……あの。これのレシピ、あとで教えていただけませんか」
と、そう声をかけてきたのはナデシコの正面に位置する【九時】である。こちらをうかがうようにややうわめづかいで、ニシンの南蛮漬けを指さしていた。漬け込まれてしっとり濡れたニシンのうえに、こちらも同じく漬けられ細切りにされた人参と玉ねぎ、ピーマンがいろどりよく盛られている。
「うん、いいよ」
ナデシコがうなずくと、彼女はわかりやすく微笑みすらしなかったものの、うれしそうに頬を色づかせる。すると【九時】のとなりの席にいた【ビターオレンジ】が、にこにこ笑みをこぼした。
「クジは絶賛料理修行中の身なのだ」
「! そ、その話は……」
「そうなの?」
問うてみると、【九時】はより頬を染めて、「はい」と恥ずかしそうに肩を縮こまらせた。今日も頭にのっているホワイトブリムが揺れた。
「私はこれまで料理とか、そういうものを自分でする機会があまりなかったので……最近は、彼女に教えてもらいながら練習しているんですが」
「そうなんだ」
はにかむ彼女に、わずかながら親近感のようなものが芽生える。
ナデシコだって、昔から料理をしていたわけではない。生まれた島を出て、組織に入ってからも、自分の手で料理をする日が来るなんて思いもしなかった。
料理は好きだ。きちんと工程を踏めばたいてい美味しくなってくれる。集中しているときはなにも考えずにいられる。材料を買いに行くことも好き。どの料理にどの皿が合うか考えて、カトラリーまでそろえるのはもう趣味の域だ。
なにより、自分がつくったものを自分以外のだれかが食べてくれて、感じたことを伝えてくれるのは、胸がほんのりあたたかくなるみたいで、うれしかった。
「きっとじょうずになるよ」
そう伝えたのは、昔の自分を思い返しながらでもあった。今なら、少しずつ励んできた積み重ねが現在に至っているのだとわかる。努力していたあの頃は、気づかなかったかもしれないけれど。
そんな話をしていると、テーブルの反対がわから「ナデシコー」とティメオが呼ぶ声が響いた。
「悪いけどそっちにある醤油取ってくれー」
「うん」
自分のすぐそばにあった醤油の瓶を見つけて手に取り、ティメオのほうを向く。黙々とカプレーゼを口に運んでいるヒスイに断りを入れつつ、手をのばして瓶を手渡した。ついでにティメオの近くに置かれた飲み物を取ってもらうように頼む。
「注いでやるよ。何がいい?」
「なんでもいいよ」
「オーケイ。じゃあグラスこっちにくれ」
言われて、グラスの底に残っていた水を飲み干してからティメオへと差し出す。今度は手が空いたのか、ヒスイが仲介役となってくれた。そうしてティメオの手へとわたったグラスは表面をゆらゆら光らせて、硬い音をたててテーブルに着地する。
カラフルな飲み物の瓶からひとつを選びとり、ティメオはふたをあける。その隣に座るコーラルは、フォークを握った手と逆の手を頬にあてた。
「このソース、どれも美味しいわ!」
彼女が食べている生春巻きにディップする用として、ナデシコは三種類のソースをつくっていた。赤いチリソース、ごまと醤油のソース、それから白いマヨネーズをベースとしたソース。コーラルは白いソースをつけた最後のひとくちを上品に口にいれて、しあわせそうにふるりと震えた。
ちなみに生春巻きにはレタスや人参、玉ねぎ、アボカドのほかエビも巻かれているのだが、コーラルが気にするようすはない。そもそも彼女は魚もへいきそうな顔をして食べている。今日も、アジの刺身を心底美味しそうに味わっていた。そんな姿をはじめて見たときナデシコは少しびっくりしたが、彼女いわく、
「私たち人魚も、海に生きるもののいのちを戴いて、生きているの。にんげんと同じね」
とのことである。話してみると、彼女は魚料理のレシピをいくつも教えてくれた。人魚にとって魚は主要なタンパク源かつカルシウム源らしい。
「やっぱ野菜より肉じゃんね」「パワーつけていつか船長に勝つのがぼくらの野望!」
そんなコーラルを横目に、双子はもっともらしくうなずきあいながら、むしゃむしゃとローストチキンに食らいついている。口のまわりが脂でべたべただけれど、ふたりはちっとも気にするようすがない。
コーラルは双子のことばに目をぱちくりとさせて、それからにっこり微笑んだ。
「野菜も食べないと、大きくなれないわよ」
「むかー! テンケイテキなセリフ!」「余計なお世話だー!」
「うるせえうるせえ」
骨付きチキンを振り回しやいのやいのと騒ぐ双子をそんなふうにあしらいつつ、ティメオはナデシコに「ほい」とグラスをよこした。
受け取ったグラスはひんやりしている。透明なガラスのうちがわには半透明の液体が満ちて、ぷつぷつとちいさな泡がたちのぼっていた。
ナデシコは礼を言いながら、グラスに口をつける。舌のうえを滑り落ちていく液体はほんのり甘く、わずかにしゅわしゅわと泡立つような感触がある。
(白ぶどうの炭酸ジュースだ)
率直に言って、好きな味だった。ナデシコの表情が自然とほころぶ。グラスをかたむけるのにあわせて、こくこくこく、としろい喉が上下する。
そのようすを見ていたティメオは上機嫌で頭を揺らした。自らが渡した飲み物がナデシコのお気に召したのがうれしいのだろう。
「それにしても──ありがとな、ナデシコ。お前の料理が食べられなくなることが最大の心残りかもな」
大げさに聞こえる台詞に、ナデシコはちいさく笑った。
「ううん。こちらこそありがとう、美味しいって言ってくれて。それだけで作り甲斐があるもの」
「……」
なぜかティメオはそこで黙った。もしや、と言いたげに、ヒスイの顔を見やる。
「ヒスイおまえ……」
「? なに」
ミートローフを切り分けていたヒスイは、名を呼ばれて顔をあげた。なぜかやたらと深刻そうな雰囲気をまとったティメオに首をかしげる。その手元ではとろとろと半熟卵の黄身が垂れて、ひき肉と混ざり合っていく。なんとなくふんわりと、ナデシコはそれが絵の具みたい、と思った。
怪訝そうなヒスイに、ティメオはまじめくさった声でたずねた。
「ナデシコに料理の感想言ったことあるか?」
「は?」
ずずいと寄せられたぬいぐるみの頭を遠慮なく押し返し、ヒスイは眉をひそめる。押しのけられたティメオは顎に手をあてた。
「いや……おまえのことだから、いっつも無言で完食するだけ~なんてのもありえるなって」
ぴく、とヒスイのまぶたがひきつるが、ティメオのことばにほかの面子もうなずきはじめる。
「確かに……普段全然しゃべりませんもんね、貴方」
「それに気づくとはやるな栗ネズミ」
「船長は無口無愛想のカタマリだからなー」「ぼくらみたく愛想ふりまかなきゃ!」
「……お前ら全員失礼なこと言ってる自覚ある?」
半眼になったヒスイが低い声でたずねるが、四人はそのままああだこうだとヒスイについて語りだす。コーラルだけが、きょとんと目を瞬かせて聞き役にまわっていた。
ヒスイは眉間に皺を寄せたままなにか言いたげだったが、そのとなりでナデシコはふつふつと肺のあたりに湧きあがるなにかを感じていた。
それはあついなにか。思考を蹴飛ばして喉元まで駆けあがる、衝動めいたもの。
自分でも自覚しないうちに、ナデシコは叫んでいた。
「ヒスイは!」
思ったよりもおおきな声がでた。驚いたように皆が振り返るなか、誰よりもその声にびっくりしたのはナデシコだった。
自分の喉から出たはずの声が遠く衝撃となって、肩を揺らす。羞恥からかはわからないが、ぱっと頬に熱があつまり、けれどそんなものでは止まらないくらいもっとあついものが、彼女の胸のうちからこぼれていく。そうして摂理にしたがって胸から喉へとたどりつき、漏れかけた声のために自然と唇がひらいた。
「ヒスイは美味しいっていっぱい言ってくれるよ」
ヒスイが目を見開いたのが、視界の端にうつる。彼のやさしさを、自分は知っている。
「ふたりでしゃべるとき、あれが美味しかった、また食べたいって、言ってくれるもの」
熟考を介さずに、思ったことが順繰りにことばとなる。いつのまにかナデシコは自分が必死になっていることに気がついた。
私はなにをそんなに必死になっているんだろう?
疑問に思いながらもどこか夢うつつのまま、ナデシコの口はとまらない。
「私はそれが、うれしいの」
「ナコ、」
おどろいた顔をしていたヒスイがなぜかちょっと焦ったようにナデシコの名を呼ぶ。その耳の端は少し赤くなっていて、それを見たら、もっとそういう顔をしてほしくなった。
(……なんでかな)
いつもなら、こんないたずらめいたことを思いもしないのに。
けれど今のナデシコの頭はそんなちょっと意地悪な考えで塗りつぶされて、だから、思い浮かんだことをそのまま口に出した。
「そういう、やさしいヒスイだから、好きなの」
「っ」
ヒスイが息をのんだ。反射的にだろう、握った手でで口元を隠した彼の顔がじわじわと赤く染まるのを見上げて、ナデシコはうれしくてへにゃっと笑った。たくらみが実を結んだことにやった、とこころのなかで喜んで、そのまま、
「きゅう」
目を回してヒスイの肩に頭をぶつけた。そのままぱたんと静かになった彼女を見下ろし、あっけにとられてヒスイはナデシコの顔を覗き込む。
ナデシコはヒスイによりかかるかたちで寝息をたてていた。ヒスイに負けず劣らず、真っ赤な顔で。
「…………」
彼女が先ほど飲み干したグラスの存在に気づいたヒスイはすうと真顔になった。ぎし、ときしむ音が聞こえてきそうな、関節部分が錆びているのではないかと疑うような動きで、隣に座るティメオを振り向く。
「おいなに飲ませた」
「えっ!? えっとお……」
先刻までのナデシコのようすを驚きと物珍しさの混ざった目で見ていたティメオは、ヒスイの殺意すら感じ取れる尖ったまなざしに姿勢を正してからうろうろと視線をそらした。そのうしろで、一連のやりとりにきゃあきゃあとなぜか喜んでいたコーラルが件の瓶を手に取り、のんびりと声をあげる。
「あ、これお酒だわ」
「……」
視線でティメオを射殺せそうだったヒスイがさらに真顔になる。君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし、とばかりに完全に沈黙し静観の態勢に入ったメイドたちと双子の視線を浴びながら、ティメオはあわてて弁解した。
「いやナデシコが酒飲むとこ見たことなかったし酒の力借りてはじめて知れることもあるだろだから最後くらいいいかなって」
思って、という台詞の途中でヒスイの握り拳が栗鼠の被り物にめりこんだ。
「ぎゃふ!」
がったーんと椅子をも巻き込んでティメオはひっくり返る。言葉よりも先に手が出る、を地で行くヒスイは、テーブルの下に倒れたティメオを絶対零度の三白眼で見下ろした。
「あらあら大丈夫、ティメオ?」
「あーあーあー馬鹿栗鼠~」「確信犯は言い逃れできないね」
「野暮天は刺されるがさだめだものな」
「今のは完全に貴方が悪いですよ……」
あきれた視線たちがさかさまになったティメオに突き刺さる。重苦しいため息をついたヒスイの肩で、ひとりだけしあわせそうなナデシコがむにゃり、となにかをつぶやいた。
余談であるが、しばらくしてナデシコはきれいさっぱりすべてを忘却した状態で目覚め、挙動不審な一同に首をかしげていた。