夢のかけらは潮騒の音
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カーム・シアン号、ランドリールーム。ゴウンゴウンと重たい音を響かせる洗濯機といまは動いていない乾燥機、たくさんの物干しざおと棚が並ぶ部屋で、ナデシコはひとりぽつんと立っていた。ドラム型の洗濯機のふたに手をあてて、透けたプラスチックの部分から見える洗濯物をずうっと眺めている。けれど意識はほとんど視覚にあてられることなく、頭を埋めるのは先ほどのキッチンでの出来事ばかりだった。
ヒスイがあの言葉をぽろっと漏らしたとき、ナデシコははじめ拍子抜けした。自分がともに寝るだけで彼が眠れるのなら今すぐにでもそうするべきだと思った。彼の安眠のためなら自分の時間なんていくらでも差し出せる。けれど──
(でも……)
そんなことでいいの? と尋ねたら目を見開いてじわじわ頬を赤くして、戸惑ったように瞳を揺らしたヒスイの姿が脳裏によみがえる。ヒスイの照れたような顔を見るのは久しぶりで、ナデシコはまずそれにおどろいてしまった。彼のそんな顔が物珍しくずっと見ていたいなと思うのと同時に、なんとなく彼が気恥ずかしそうにしているのは自分のせいだという気がして、やたらとしんぞうがどきどきうるさくて、どうしてだろう、と考えて──よく考えてみたら、彼のとなりで横になるなんてことしたら無性に照れてしまって恥ずかしくてそれどころではなくなるのではないか? ということに気づいてしまったのだ。
今思い出しただけでも顔があつい。気づいてしまった瞬間ぶわっと熱が顔面に集中して、いてもたってもいられず逃げ出してしまいたかった。能天気な返答をした数秒前の自分がすでに信じられなくて、
(恥ずかしい)
ナデシコはまたへにゃりと眉をさげた。誰も見ていないことはわかっているが、それでもすぐに唇を噛んで表情だけを取り繕う。腕をとられてそろりとヒスイを見上げたとき、彼がうすく頬を紅潮させてそれでもまっすぐに自分を見つめていて、そんな顔を目にしたら意味もなく泣いてしまいそうになった。涙なんて、最後に流したのがいつかもすぐには思い出せないのに。
(自分に正直になるって、こういうことなんだろうか)
自分の感情に素直になる、感情に向き合う、なんて口にするのは簡単だけれど、ナデシコは元来そういったことが不慣れで不得意だった。
昔──母親と生きていたころは、母のあとを静かに歩いて息をしているだけでよかった。組織にいたころは、命じられることを命じられるままにこなして月日を消費していた。当時のナデシコは人形かロボットだった。自分の頭で考えることなく、外側からの命令にのみ従ってうごく木偶の坊。それに違和感もなにも感じることはなかった。なにかを感じるこころというものは、持ち主にすら忘れられて埃をかぶっていたほどだ。
自分自身がなにをしたいのか、どう生きていきたいのか、己に問うことすら知らなかったナデシコに、それを教えて示してくれたのはヒスイだった。彼との日々がナデシコを人間にした。そうして自分の頭で、こころで考え感じることができるようになったナデシコのたどりついた答えは、「ヒスイのために生きること」だったから。
(伝えたいことは、たくさんある)
感情と向き合うだけで、いつもはない感覚に冷静になれない。そもそもこういった話題に無関心だったナデシコは、この気持ちにふさわしい言葉を知らない。
(──でも、それでも)
他者の指摘がはじまりであっても、自分の胸にある感情に気づいてしまったのだから──知らないふりはできない。それは感情を言葉にすることよりもずっとむずかしいことだと、本能的に悟っていた。だから、きっとこの「伝えたい」と思う感情すら、人間の本能なのだろう。それを知ったナデシコはもう前の自分には戻れない。前に進むしかない。
そうしてナデシコがぐるぐると思考の渦にのまれていると、
「へいへーい」「ナコナコ~!」
声とともに、双子が部屋に入ってきた。キャスケット帽をかぶった頭を揺らしながら、彼らは足取りかるくナデシコのもとに近寄ってくる。それぞれが片耳につけたイヤリングは今日もきらきらと輝きをはなっている。ふたりは過剰なほどににこにこ笑いながらナデシコの両隣に寄ってきて、そろって彼女の顔を覗きこんだ。キッチンでの気まずい空気を思い出し、ナデシコは意識して表情をかためた。双子のおもちゃにされるのは御免こうむりたい。
「船長からでんご~ん」「十一時くらいから今後の予定について話し合いするってー」
しかしそんなナデシコのようすに双子が言及することはなく、ナデシコは拍子抜けしつつも部屋の時計に目をやった。今の時刻は十時十五分。今回している洗濯物が終わって、それを干しているあいだにもうひと籠ぶんを回して、それを干してちょうど間に合うくらいだろうか。脳内でシミュレーションし、うなずく。
「うん、わかった。ありがとう」
双子はそのまま部屋を出ていくと踏んでいたナデシコだが、予想に反してふたりはその場から動かなかった。笑顔のままじーっとナデシコの顔を凝視している。ざんばら前髪の隙間から覗くそれぞれの目はいつだって見開かれたようで、初対面のときといい、その瞳で見つめられるとなぜか無性に緊張する。
「…………なに?」
「べっつに~?」「えへへ~」
いぶかしみながら問いかけると、双子はにやにや笑ったまま首を振った。どう見てもなにもないわけがない。しかしナデシコがむっとしたのが伝わったのか、ふたりはそろって「ひゃあ怒った!」だの「ナコナコが怒るのはレア~!」だの騒ぎたてながらランドリールームの出口へと戻っていく。そして出口のドアをくぐる手前で、こちらを振り返った。
「あのねあのね」「ここだけの話」
「?」
「僕らは船長とナコナコがいちゃついててもとやかく言わないよお」「そ! さっきの出歯亀も悪気があったわけじゃないんだよう」
「「だから存分にどーぞ!」」
「……!」
双子がにやにやしながら放った台詞に、ナデシコは言葉に詰まった。そんな彼女を見たふたりはそれはもう楽しそうにスキップしながら「じゃね~」と廊下に消える。
残されたナデシコはしばらく固まり、ふらっと傾いで傍らの椅子にぽすんと座った。あの双子にからかわれて、それを受け流せないくらい自分が動揺しているのだと知る。じんわりあたたかい頬を押さえてしばしナデシコは椅子に座ったままだったが、唐突にはっと我にかえった。
(……こうしていてもしかたない)
頭をぶんぶんと振って思考を晴らそうと試みる。こうした話題になるとなかなかいつもの調子に戻せない。いかに自分がこういった話題に不慣れかを思い知る。どちらにせよ今は大事な暗殺計画を実行する前段階にあるのだから、冷静な判断ができるようにしておかないと。
そうこころに決めて、双子にからかわれたことなど気にするまいと心のなかでくりかえし唱え、立ち上がる。いつのまにか停止していた洗濯機から洗い終えた衣類を洗濯籠にうつすとえいっともちあげて、ナデシコはてきぱきと洗濯物を干し始めた。いつもの作業に取り組むうちに、騒がしかった胸のうちはだんだんと落ち着きを取り戻してゆく。
胸のあたりがくすぐったくなるような感覚に、少女はいまだ慣れない。