その温もりを御大切に
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 フェリオン=マギア。
 彼の表の顔は「英雄」である。人間に仇なす化け物を殺し、いくつもの島を平和にした「英雄」、それが世間における彼の肩書だった。彼は人々から救世主として称賛され、ある程度の地位を得て、【九十九】における会議の参加権をも有していた。
 しかし、そんなフェリオン=マギアが【ネクタル・フォークロア】のリーダーであることを知るものは少ない。【ネクタル・フォークロア】───霞のように正体のつかめない、悪名高きテロリスト集団。彼らは社会の影で様々な動きを見せているものの、その目的はいまだ不明のまま、構成員すら明らかにならないでいる。
 フェリオンがそんな組織のリーダーだという事実を知るものは組織の幹部に限られ、それが外に漏れ出ることはない。フェリオンは身内に甘く情に厚いが、裏切りは許さない。だから【ネクタル・フォークロア】を生きたまま脱退したものは誰もいなかった。ヒスイとナデシコのふたりを除いては。

「あなた方もきっと知っているでしょう。あの男が誰よりも死を恐れ、それゆえに───どんな人間よりも死から遠ざかろうとしていることを」
 【九時】が放った台詞に、ヒスイとナデシコはそろって黙りこんだ。ふたりの脳裏にあの男───フェリオン=マギアの記憶がめまぐるしく浮かび上がる。血のように赤い目、死人のごとく真っ白な髪、それから常に漂わせていた異国の香のような香り。
(俺は───)
 ふと、ナデシコの耳もとで男の囁き声がした。否、それは幻だ。がんじがらめにされた過去から這い出た低い声が、ナデシコの頭の中でよみがえった。
(俺は、そんな死など御免だ)
 つめたい手でひと撫でされたように、肺が凍えた。冷えた腕、水のしたたる音、暗がりの向こうに見えた赤い瞳───フラッシュバックした記憶に、反射的に呼吸を止める。ナデシコの肩が一瞬こわばったことに、目の前の【九時】と【ビターオレンジ】は気づかない。腕をおさえつけ、そっと唇を噛んで過去の幻影を断ち切ろうとしたとき、「ナコ」と名を呼ばれ、顔をあげた。
 隣に座るヒスイがこちらを見ていた。長めの前髪の下、海色の瞳のなかに映る自分は呆けたような顔をしている。なに、と問うまえに、ヒスイはするりと指先をのばしてナデシコの頬に触れた。
「!」
 【九時】と【ビターオレンジ】が目を丸くする。その一方で当の本人であるナデシコはただただぽかん、としていた。思考が止まって浮かぶ言葉もなく、まっしろにフリーズする。頬に触れている彼の指がいつもどおり、ぬるくあたたかいことだけを知覚した。自分が彼の顔のどこを見ているのか、視界がちかちかして、視線も定まらない。
 そんなナデシコの固まって半開きになっている口を一瞥してヒスイはぱっと手を離した。隈のひどい目を細め、言い聞かせるような口調で、
「唇噛むの、痕になるからやめときな」
 言われた内容を理解するのに、数秒を要した。ヒスイの視線が逸れていくのを目で追って、喉の奥がきゅっと引き絞られる錯覚を覚える。とつぜん触れられたことにとても驚いたこと、その指のあたたかさがうれしかったことを、自覚する。
「……う、ん」
 ぎこちなく顎をひいて、ナデシコは視線を彷徨わせながらソファに座りなおした。先ほどまで眼窩に潜んでいた過去は消え去っていて、もう唇を噛む必要はない。凍えていた心臓は、いまではいつも以上の熱を帯びて鼓動する。
「……コホン!」
 間延びした空気を遮るように、【九時】がわざとらしく咳払いをした。ナデシコはなんとなく居心地が悪くて彼女から目をそらす。
「それで───やはり、あの男の望みについて貴方がたも知っているのですね」
「知ってるよ」
 話を戻した【九時】の台詞に、ヒスイはうなずいて足を組み替えた。つまらなそうな顔で、ついと顎を上げる。
「あいつは昔、自分に予告された死を回避するためのすべを探している」
「……ええ。【ネクタル・フォークロア】はそのためにつくられた組織です」
 【九時】は目を伏せる。ゆるくカーブした睫毛が目の下に影を落とす。彼女が口にしたことを、もちろんナデシコも知っていた。フェリオン自らの口から聞いたことがあったからだ。
 フェリオン=マギア───あの男は、かの日ナデシコに語りかけるように言った。自分の死は定められている。ある人物にそれを予言された日から、自分は運命を覆すために生きているのだと。
(───俺は、そんな死など御免だ)
(あの■■が予言した死など、受け入れるものか)
 そう告げたときのあの男の表情は、影が落ちてうまく見えなかったけれど。
「化け物に殺される。あの男は、そう予言されたとか」
「……俺もそう聞いた。だからあいつはあちこちの島を回って、化け物たちを殺して回っていたと」
 自分を殺すはずの化け物を先に殺すことで、自分の命を守るために。
 その過程で、フェリオンは英雄と呼ばれるに至った。実際の動機は他者のためなどではなく、あくまで自分の未来のためだったが。
「あの男を殺す化け物を探し出し、倒すこと。それはあの男の求める事柄のひとつです。もうひとつは───貴方がたなら、ご存知でしょう?」
 【九時】は挑戦的なうわめづかいでヒスイを見やる。ヒスイは眉根を寄せ、顰め面で答えた。
「……不死の蒐集」
「ええ」
「…………」
 ナデシコはなにも言わない。ヒスイと【九時】の会話に口をはさまず、ようやく自分のティーカップを持ち上げた。手のひらで包み込んだカップは冷えていた。
「組織は不死にまつわる様々なものを蒐集しています。不死の妙薬、人狼伝説、人魚の肉、女神の白桃、黄金の林檎───あの男は、それらを得て自身が死を克服するつもりでいます」
 まあそのほとんどはニセモノやマガイモノですが、と【九時】は言う。顔の半分を隠す仮面の下、彼女の真の表情はうかがい知れない。少なくとも、あらわになっている左半分は落ち着いているように見えた。
「つまり、フェリオン=マギアは自分の死の運命を変えるため、自身を殺す存在を探し───同時に、予言通り殺されることのないよう死なないからだを得ようとしている」
 そんな彼の望みのためにつくられた【ネクタル・フォークロア】には、同様に不死をのぞむもの、化け物に執着をもつもの、純粋にフェリオンを慕うものなどが集っている。構成員はけして多くはないが、組織の影響力は脅威と呼ぶに値する。
「……」
「これらは組織にとって比較的新参者である私たちでも入手できた情報です。貴方がたももちろん知っていたことでしょう」
 と、【九時】はそう言って言葉を切った。そろえた膝のうえに手を置き、ほんの少し体の重心を前に寄せる。ナデシコは彼女のまとう空気が変わり始めたのを肌で感じ取った。本題に入ろうとしているのだ、と気づく。
「私達は組織に接触し、時間をかけて幹部の座につきました。得られた情報は数多く───けれどあの男を殺すために必要な情報がひとつ、どうしても得られませんでした」
「……それは?」
「フェリオン=マギアが今現在、どれほど不死のからだに近づいているのか」
 彼女の言葉に、ヒスイは少しだけ表情を変えた。無表情に近かった顔色にひと匙ほどの敵意のようなものが滲んで、暗闇のなかろうそくにともる炎のように揺らめく。わずかな憎悪を滲ませたその表情は、あの日ちいさな船でふたり海に浮かんでいたとき、彼がナデシコに見せたものと同じ。
「つまり───私達が望むあの男の暗殺がほんとうに為せるのか、わからないということ。もしあの男が不死のからだを既に得ているとしたら、私達にあの男を殺すすべはありません……」
「……なるほど」
 そこでヒスイは得心がいったというようにうなずいた。どこか感心したような動作に、【九時】の目の光が鋭くなる。彼女は姿勢を正し、真正面からヒスイに対峙した。そして、静かに息を吸って唇をひらく。
「【刀鍛冶】。貴方の打った不死殺しの刀───そのちからを、貸してください」

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 不死殺しの刀。
 そのことばを耳にして、ナデシコは反射的にヒスイの傍らに置かれた刀に視線を向けた。刀身の長さはひとの腕ほど、装飾のない鞘におさめられたそれはヒスイが打ったものだ。
「……はっ」
 【九時】に告げられたヒスイは組んだ脚を解き、喉をそらせて笑った。耳朶でピアスが静かに光り、その軌跡がナデシコの瞼のうらに残る。
「フェリオン……いや、あいつは話さないか。だれからそれを?」
「……【スリープキラー】に。貴方はその能力を買われて組織にいたと」
「あいつか……あいかわらずおしゃべりな奴」
 口の端を持ち上げて、ヒスイはひとりごちた。皮肉っぽい笑みだった。
「なるほど。それを知っていたから、俺たちに取引を持ち掛けてきたんだ」
「ええ。不死殺しの刀なら───たとえあの男が不死性を獲得していたとしても、殺すことができるのではないですか?」
「勿論。もとよりそのつもりだった」
 ヒスイはふと立ち上がった。怪訝そうな顔をする【九時】にはお構いなしに傍らに置いていた刀を手に取って───鞘に納められたままのそれを、【九時】に突きつける。
「!」
 それを見た【ビターオレンジ】がソファから腰を浮かせるが、正面に座るナデシコの視線に射られて動きを止める。いつのまにやらヒスイは笑みを引っ込めて、つめたいまでの無表情で【九時】を見下ろしていた。深海のような瞳はまっくらで、一片の感情すらひそんではいない。
「つまり……俺の手であいつを殺していい、ってこと?」
「……はい」
 喉元に鞘を突きつけられた【九時】は視線で鞘を気にしながら、それでも毅然とした態度を崩さないでいる。
「それは結構。けど───聞いてる限り、俺たちがお前たちに協力するメリットはない」
「何を!」
 ヒスイの言葉にふたたび立ち上がろうとした【ビターオレンジ】だが、「ピオン!」という【九時】のするどい声に、ぴたりと動きを止めた。彼女ののとっぷりと黒いまなこが戸惑いで揺れるが、【九時】はヒスイを見上げたままでいる。睨むような眼差しで、けれど臆するようすは見せない。
「別にお前たちと協力しなくても、俺がやろうと思っていたことは変わらない」
「私たちの集めた情報を提供し、それに基づく策を提案します」
「そんなもの、捕虜としてお前たちに吐かせればいい」
 ヒスイはそう切り捨てるが、【九時】が狼狽することはない。まっすぐにヒスイを見据えて、淡々と言葉を返していく。
「協力関係にないのなら、たとえ拷問されようと私たちは情報を吐きません」
「やってみないとわからない」
「私たちはスパイでした。それ相応の訓練は受けています。そう簡単に情報を吐くことはありません。それに、もたもたしていると私たちの持つ情報は古くなっていくばかりです。協力関係を結び、効率よく情報を得るのがかしこいやり方だと思いますが」
「……」
 矢継ぎ早に重ねられていく台詞。眉をひそめるヒスイに対し、【九時】はぎゅっと膝の上のこぶしを握る。整えられた爪の先が、てのひらにぎりぎりとくいこむほどに。その視線はぶれず、ぴたりとヒスイの眼球に据えられる。彼女の顔半分を覆う仮面は、彼女の強い意志を隠すことはない。
「───あの男が死ぬのを見るまで、私は死んでなんかやりません」
 私は国に帰らなければならない。
 暗い声だった。憎悪と辛苦が渦を巻き、中心では誰かへの殺意がじくじくと煮えている。けれどそこには確かに、かたく揺るがない決意があった。
「……ふうん」
 【九時】のことばを聞いたヒスイは、わずかに興味をひかれたように彼女の片目をしばらく凝視した。それからひょいと視線をそらし、相手に突きつけていた刀を下ろす。は、と息を吐いた【九時】に、ちいさく笑う。
「いいよ。協力しようか」
 姿勢を一転させたヒスイに、【九時】はあっけにとられた顔をした。ややあって「は、あ……」と気の抜けた声を漏らし、垂れた前髪を誤魔化すようにはらう。
「……それは、ありがたいですが」
 【九時】は探るような視線でヒスイを見やる。ほんとうに信じていいのか、迷っているそぶりで。
「意見を変えた理由を聞いても?」
 尋ねられ、ヒスイは肩をすくめた。もう一度ソファに腰かけて、ひょいと首をかしげる。彼の動作はどこか動物めいている。挙動ひとつひとつが淡々としていて、感情が読み取りにくい。
「ほんとうにあの男を殺す気があるのか知りたかった。それだけ」
「……」
 【九時】は少し驚いたように目を見開いたが、なにも言わなかった。ナデシコは心のなかで息をついた。ヒスイの意図がわかっていたからだ。
「フェリオンを殺すまで、お前たちと協力する」
 彼は静かな声でそう告げた。ナデシコはただ黙っていた。なにを言うつもりもなかった。何者でもない、彼自身がそう決めたのなら自分はそれに従うだけ。
「その証明が必要なら、なにか対価を渡してもいいけど」
「……いいえ、必要ありません」
 【九時】は首を横に振ってからなぜか苦笑して、「面倒な男ですね、貴方」とつぶやいた。それが聞こえていただろうに、ヒスイは返事を返さなかった。きっと聞こえないふりをしているのだとナデシコは思う。彼は答えるのが面倒なとき、こうして聞こえなかったようにふるまうことがある。
「それじゃあお前たちのいう策とやらを、聞かせてもらおうか」
 こっそりとナデシコに分析されているとはいざ知らず、ヒスイは【九時】に話の続きをうながした。