累月の果てより来たる
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顔色を変えず、【九時】はそうのたまう。その左隣に座った【ビターオレンジ】は注がれた紅茶を飲んでからというもの、なぜか正面に座るナデシコに笑顔を向けている。紅茶をついだナデシコは、向けられる笑顔に戸惑っていた。邪気のない瞳が、どうして自分を映しているのだろう。その左隣では、眉ひとつ動かさないヒスイが黙って【九時】の話を聞いている。
カーム・シアン号内部の一室、簡易キッチンの併設されたナデシコの部屋である。キッチンのそばの、高さの低いガラステーブルと二対のソファが置かれたスペース。四人はそこに座っていた。扉と逆側の奥にはパーテーションで仕切られた空間があって、そちらがベッドやら衣装ケースやらがあるナデシコの居住スペースだった。
「ですから別に貴方達の敵ではありません。勿論、味方というわけでもありませんが」
【九時】曰く。
【九時】と【ビターオレンジ】は、とある島国の王家関係者なのだという。その国は、五年前に【ネクタル・フォークロア】のテロ行為によって甚大なダメージを受けた。国の崩壊こそまぬがれたものの、いまだ復興には時間がかかっている。そんななか、【九時】と【ビターオレンジ】には【ネクタル・フォークロア】へ潜入し、壊滅させるための糸口を探す命が下されたのだとか。
そうして彼女らが組織に潜り込んだのが、約三年前。ヒスイとナデシコが組織から離脱する直前のことであった。
「王家関係者ね……」
話を聞き終えて、ヒスイがようやく口を開く。片眉をあげて、値踏みするようにメイドふたりを眺める。
「その証拠は?」
「証拠? 必要ですか? 私たちのトップシークレット、弱みをこうしてつまびらかにしたではありませんか」
「勿論。信頼、には足らなくても───取引成立には欠かせない。語ったそれらがほんとうだという証拠はどこにもない」
「……はあ。仕方ありませんね」
冷静なヒスイの返答に【九時】はため息をつく。顔を傾けると、無骨な半分の仮面が鈍く光を反射した。【九時】は手にしていたティーカップを音を立てずにテーブルに置いた。流れるような、洗練された動作。そして隣に座る【ビターオレンジ】に、
「……『あれ』を」
「オーケイ」
【九時】の言葉に頷き懐を探る【ビターオレンジ】を見ていると、ナデシコの背後でがちゃりとドアノブが回る音がした。振り返るとそこにはティメオがひとり立っていて、視線を受けて「やっ」と片手をあげる。
「コーラルも双子も落ち着いたぜ。というか───あいつらみんな図太いし、もとからそんなに動揺はしてなかったっぽいけど」
言いながら断りなく部屋に入り、勝手知ったるふうに簡易キッチンに立つと置いてあったティーポットにどばどばお湯を入れて、そのへんのマグカップに適当にお茶を注ぎ始めるティメオである。出涸らし、そうナデシコは思ったが口には出さなかった。
「───これが証明です」
【九時】の声が響いて、ナデシコはよそに向けていた視線を真正面に戻す。【ビターオレンジ】が取り出したのは、握りこぶしくらいの大きさをしたブローチだった。紫のおおきな石がひとつ、はまっている。
ブローチを差し出され、ヒスイとナデシコはそれを至近距離で観察する。つるりとした表面は静かな光をたたえていた。その輝きを見ていると、その奥になにかの姿が見えることに気がつく。それは傘を持った女性の紋章だった。女性は閉じた傘を足元に向け、なにかを仰ぎ見るように斜め上を向いている。それに気づいた途端、その姿は掻き消えるように見えなくなる。
「これ……」
ナデシコには見覚えがあった。インダスト学院を出る際、泡沫に餞別と称して手渡されたもの。石の色は異なるが、同じものに見える。あれはいま部屋の奥、カーテンで仕切られた向こうの棚にしまいこまれているが───
「あ? これ、【九十九】の通行証じゃん」
と、いつのまに近寄っていたのか、うしろからブローチを覗き込んだティメオが声を上げた。ヒスイとナデシコは同時に彼の顔を仰ぎ見た。ソファに座る四人の視線を一身に集めると、彼は栗鼠の被り物を揺らしながら、
「ほら、各島の代表が持つ通行証。王様とかそういういちばん偉いやつが持つやつと、上層部の政府関係者が持つやつの二種類があるんだけどな? 金の通行証と銀の通行証っていうか。これないと【九十九】での会議に参加できないんだよ」
「……詳しいのですね」
「まあな。俺、昔はそこそこ偉かったから。左遷されたけど」
喉を鳴らしてティメオは笑う。そんな彼を意外そうな目で見ていた【九時】は、咳ばらいをして視線をヒスイに戻した。
「これがどこの島のものかは、調べればすぐにわかることです。これで証明にはじゅうぶんではありませんか?」
「……じゅうぶんすぎて、こわいくらいには」
ヒスイはそう口にして、深い海の色をした眼を瞬かせる。細い脚を組み直し、すがめるような目つきは変わらない。けれど、ひとつ頷いた。
「こっちは納得した。で?」
「で、とは」
「そっちは何を求めるのかって話。証明……は必要ないとしても、具体的にどんな協力を求める?」
「……その話に入る前に。ひとつ、聞いておきたいのですが」
すっと【九時】が手を上げる。白い手袋につつまれた、細い指先。
「あなたの目的は復讐、と───そう言いましたね? 復讐のためにフェリオン=マギアを殺す、と」
「そう」
「その復讐、というのは何に対するものです? 具体的に説明しろとまでは言いませんが……。信用に足る動機があるのか、確認を」
「………」
ナデシコはちらっとヒスイに目をやった。彼はとくに視線をそらしたり顔をしかめたりすることなく、【九時】の視線を真っ向から受け止めている。前髪が目にかかるかかからないかくらいのぎりぎりのところまでおりていて、まぶたに刺さらないのだろうか、と的はずれなことを考える。
「……簡単な話。俺は父親を殺されて、その形見はあいつに奪われて、なし崩し的に組織に加入した。復讐を考えるなというのが無理な話じゃないか」
「……形見?」
「フェリオンがいつもさげている刀。あれ」
フェリオン=マギアが常に持ち運んでいる刀。すらりと長い、ひと振りの刀。それは、ヒスイの父親がこしらえたものであった。
「だから俺はあいつを殺して刀を取り返す。……これでいい?」
「……納得は、しました。どうも」
【九時】は仮面に隠れていない方の目で一瞬だけヒスイのかたわらに置かれた刀を見て、それから頷いて引き下がった。その動作を見送って、ヒスイは手のひらを【九時】のほうに向ける。【九時】はうなずいた。
「それでは私達があなた方に求めることについて、ですね。説明するとしましょう」
ガラステーブルの上を、いくつもの視線が交錯する。
「先ほど説明した通り、私達の目的はフェリオン=マギアを殺し、【ネクタル・フォークロア】を壊滅させることです。それはあなた方の目的と同一でしょう。ですから協力を提案したわけですが」
「提案? 強要の間違いだろ」
【九時】の言葉にティメオが噛みつく。栗鼠の頭に縫いつけられた釦の瞳に見つめられ、【九時】はややうつむいた。その唇に、ぎゅっとちからがこもるのをナデシコは見た。
「……先ほどのあれは、私にとっては必要な手段でした。けれど……彼女には、申し訳なかったと思っています」
「そう思ってるならコーラルに直接言ってくれ」
ティメオの表情はいつも通りうかがえない。彼はそのままマグカップを流しに置くと、部屋を出ていった。ぱたん、とドアが閉まる。
「……」
ヒスイは一連の流れを目で追っていたものの、とくに何を言うこともない。ナデシコはちょっと考えて、話を続けるよう目線で促す。ドアの方を見ていた【九時】は【ビターオレンジ】に肩を叩かれ、正面に向き直ると「……ええ」と口を開いた。
「……私達はフェリオン=マギア暗殺のためにスパイとして組織に潜入し、彼らの根城の内部構造から構成員の能力値まで、様々な情報を集めました。その情報を組み合わせ、彼の不意をつくことはできるでしょう。毒を仕込むなり、寝首を掻くなり。けれど───」
「……けれど?」
「私達には、確実に彼を殺す手段がないのです」
【九時】はまっすぐにこちらを見据えている。その顔が一瞬だけ、憎しみによってかゆがめられる。一瞬よぎったその感情は、すぐさま炎のようにゆらめいて消える。
「彼はおそらく毒では死にません。寝込みを襲おうにも、それはあの男がとくべつに警戒している事柄のひとつです。何かしらの対策を打っていると考える方が妥当です」
「……それは、」
ナデシコの脳裏を過去の情景がよぎる。滴り落ちる赤い雫、ゆらりとかげろうのように揺らいだ後ろ姿。病的に白い白髪と、柘榴の色をした双眸。その眼で見つめられること、骨ばったその手を伸ばされること。その両方が好きではなかったことを思い出す。
【九時】は、うっすらと笑った。それはいまこの場にはいないはずのフェリオン=マギアに向けられたものなのだろうか、彼を嘲り笑おうとして失敗したような、嘲りと諦めが混じったような笑み。消えることのない情念が、そこには刻まれていた。
「あなた方もきっと知っているでしょう。あの男が誰よりも死を恐れ、それゆえに───どんな人間よりも死から遠ざかろうとしていることを」