累月の果てより来たる
(2/3)

「捕虜」
「そう。捕虜」 
 ナデシコの手を取りずんずん足を進めていたヒスイは、手を離して振り向いた。ナデシコの革手袋に包まれた腕が、力の抜けたように揺れながらぱたんと落ちる。
 ふたりの足は止まり、ヒスイはナデシコの視線をうけとめる。夜の海の色をした目は、日陰でも輝きを手放さない。ずっとひんやり、きらめいたまま。
「組織の現状について、吐かせる。あいつを殺すためには、今組織がどこにいてどれくらいの規模で何をしているのか、それを知らなくちゃならない」
「……あいつ。フェリオン=マギア?」
「そう。あいつは仲間に甘いよ。だから他の方法だってある」
「うん」 
「そういうわけだから───ナコ、足止めしておいて」
「……うん?」
 ナデシコはかたりと首をかしげた。艶のある毛先が華奢な肩からすべり落ちる。
 ヒスイはいつも通り見た目に反して少年のような口ぶりのまま、自身の得物をくるりと回す。細い指先である。その実男性らしく、節くれだった長い指。いつだってすずしげで清廉なふうにしている彼の指が、けれどぬるいあたたかさを有していることをナデシコは知っていた。
「こっちは罠張るから。得意だろ」
「うーん……。うん、わかった」
 告げられて、ナデシコはあいまいに頷く。まあいいか、というような、ふわふわした靄のような態度。これは彼女の通常運転だった。
 ナデシコは前方を歩くメイド二人組のようすを伺う。翠玉の瞳は静かな光をたたえたまま、自らのすべきことをシミュレーションし始める。ふと、ナデシコはヒスイを仰いだ。斜め下から見上げられて、ヒスイは目を瞬いた。
「ねえ」
「何」
「なつかしいね」
 ヒスイはぱちりと目を瞬いた。少し長めの前髪がまぶたの上でざらりと揺れて、ややあってから視線はナデシコの背後へと斜めにずれていく。陰りのない青空から降り注ぐ光が、耳朶で輝くピアスに反射する。
「…そうかも」
 言うようすはどこか楽しげだった。いつも通り隈の酷い目元はすこしやわらいで、少年っぽい光が見え隠れする。
 けれどそれは一時のこと。すぐにヒスイは何事も無かったように準備を始める。ナデシコは誰に見せるでもなくひっそりと微笑んだ。

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 そして、現刻。
「即刻殺すこと要求! 飼い殺しなんて真平御免!」
「暴れるともっと痛いよ」
 鉄の鎖で雁字搦めに縛られ逆さ吊りにされた【ビターオレンジ】を見上げながら、ナデシコは淡々と言葉をかけた。それまでじたばたともがいていた【ビターオレンジ】は、ナデシコの言葉にむっと眉をひそめる。彼女を吊るす鎖の先は、頭上にかかる橋の煉瓦に突き刺さっている。
 一方、ナデシコの背後では【九時】が片腕を地面に縫いつけられるかたちで蹲っていた。唇を噛んで、仮面に隠されていないほうの瞳でもってヒスイを睨みつける。
「こんな……、こんなことをして、その復讐とやらが成し遂げられるとでも思っているのですか?【高下駄】ならば、私達など容易く切り捨てる」
「そうかな」
 鞘におさめたままの刀の先を地面に向けて、ヒスイは【九時】を見下ろす。濃い隈の刻まれたヒスイの三白眼は初対面の相手を怯ませること請け合いだが、【九時】は目を逸らさない。強い意志を宿した左目が、じっとヒスイをにらみつけている。
 彼女が蹲ったまわりには、彼女がその長いスカートの下から引っ張り出した大量の重火器の残骸が散らばっている。放射線状にひろがったスカートと相まって、それはどこか芸術品じみていた。
「あいつは───【高下駄】は、自分から好き好んで俺たちみたいな重荷を受け入れたよ。それが弱みになりうると知ったうえで……物好きな奴。切り捨てるといちど決めればはやいだろうけど​、俺は決断の時間なんてくれてやるつもりはない」
「………」
「そういうことだから。わるいけど、諦めて」
 ヒスイはそう言い放つと、話は終わりだと【九時】の手にどこからか取り出した手錠をかけた。がしゃん、と重たい音。そのままヒスイは手際よく彼女の足にも枷をつけ、【ビターオレンジ】の手足に対しても同じようにする。
 その間にナデシコは懐から水の満ちた透明なボトルを取り出した。きゅっとキャップをゆるめて、地面に向かって水をこぼす。こぼれた水はなぜか地面に染み込むことなく、砂をこぼした時のように山のかたちに積み上がる。そしてぱちんと指を鳴らすと、途端にゆるゆると蠢き、先刻メイドふたりを襲ったのと同じ鯨へとかたちを変えた。それを目にした【九時】は目元をゆがませる。
 どうして気づかなかったのだろう、思い出せなかったのだろう。そう言いたげな顔で、言う。
「やはり【彼岸花】、あなたの……」
「快適な移動とはならないけど我慢してね」
 ナデシコがかたんと首をかしげると同時、水の鯨のひれがうねった。空を掻いて泳ぐように浮遊する鯨は【九時】と【ビターオレンジ】に接近し、その大きな口でふたりを呑み込んだ。

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「なにこれ」「侍女?」
「ああ侍女ね」「うんうん」
 カーム・シアン号、その船の上。デッキにずぶぬれの状態で転がったメイドふたりを、小夕と小涙の双子がやんややんやとはやしたてながら観察している。大きなキャスケット帽と長い前髪の下からぎらぎらと垣間見えるそろいの目が、【九時】と【ビターオレンジ】を射抜いていた。
「───それじゃあ、そいつらを中に運んでほしい。倉庫の隣の空き部屋でいいか」
 そうヒスイに指示され、「なんで僕らが」「オーボー船長」「ドアに小指ぶつけてしまえ」「ご飯中に舌噛んで悶えろ」などの小言があったものの、小夕と小涙がメイドふたりを運んでいく。
「解放要求! 接触拒否! や〜め〜〜!!」
「………」
 縛られているのにもかかわらずじったんばったん暴れる【ビターオレンジ】に対し、【九時】は眉根を寄せ、唇を閉ざしてひとことも発さない。そんなふたりをひょいひょいと担ぎ上げ、双子はえっさほいさと行進のように歩き、甲板中央のハッチを持ち上げて船の中へ下っていく。
「捕虜ぉ? ……捕虜ねえ……」
 その背後では、ヒスイとナデシコから手早く説明を受けたティメオが素っ頓狂な声をあげ、難しそうに首をひねった。今日も今日とて首から上を隠す栗鼠の頭は健在で、彼が首をひねると栗鼠の頭はがこっと音を立てて揺れる。
「やたら物騒な手段だな。ま〜あいいけどよ……。お前らがやろうとしてることは知ってるしさ。俺の目的はもう既に達成されたようなもんだし」
「……悪いな」
「別にいーって。コーラルを船に乗せてくれて感謝してる。それに迷惑は大量にかけてくれて構わねえよ、その分俺だってそっちに迷惑かけるしな!」
 ティメオは快活に笑う。かぶりもの越しではあるが、その声はよく響いた。若干うしろめたさを抱えたような顔をしていたヒスイは、その笑い声に少しだけ安心したようだった。そんなやりとりを、ナデシコは少し離れた位置から眺めていた。
 ───そんな時である。
 ガタガタとなにかがぶつかりあう音、そして争うような声が、ハッチの下から響いた。
 とっさにそちらを振り向くティメオをヒスイとナデシコが追い抜く。軋む階段を駆け下り、廊下を走り抜けて角を曲がる。曲がったところに、うつ伏せに倒れた【ビターオレンジ】とその上に乗っかった双子の片割れがいた。
「───あっ」
 自分の下で潰れた【ビターオレンジ】の手足を押さえつけ、廊下の先を見つめていた片割れがふたりに気づく。駆け寄るヒスイを見上げ、非難する口調でぎゃんぎゃんまくしたてた。
「ちょっとちゃんと身体検査したの!?」
「……あとふたりは?」
「あの仮面侍女、刃物持ってたんだよ! それで小夕が追いかけて向こうにさ」
 片割れ───小涙が指さす廊下には、赤色の滲みが点々と続いていた。それを追った先、ひとつの部屋の入口で小夕がぽつんと立っていた。垂れ下げた右の手のひらは切り裂かれたのか、ぽたぽたと赤色が垂れている。
 足音に気づいて振り向いた小夕の肩越しに見えたのは、片手に収まる程度の剃刀らしき刃物を握りしめた【九時】と、それを喉元に突きつけられたコーラルの姿だった。
「!」
「せ、せんちょお、あいつ刃物持ってたんだけど!」
「わかってる」
 あわてて弁明しようとする小夕を制し、ヒスイは一歩前に出た。一方のナデシコは黙ったままで、流血する小夕の手を取り、取り出したハンカチを手早く巻きつけて止血する。
 部屋の中、【九時】はコーラルの首元に手を回して身動きできないようにしたまま、強くこちらを睨みつけている。どうやらコーラルは例の移動桶に乗った状態でこの部屋にいたらしく、その桶は部屋の隅に倒れて水をぶちまけ転がっていた。当の本人は目を白黒させ、顔はほんの少し青い。下半身のひれは床にぺたんとはりついていた。
「……何のつもりだ?」
「見てわからないのですか?」
 しかめたような顔のまま、【九時】はヒスイの問いかけに答える。その顔にはめた鉄仮面のせいで、彼女の表情はわかりづらい。
「彼女は人質です。傷つけられたくないのであれば───私の言うことを聞きなさい」
「………」
 【九時】の目に迷いの色はない。その腕にも震えはなく、さすがと言うほかない。
 ヒスイが舌打ちした時、ティメオが遅れて到着し、目の前の光景を見て息をのんだ。足を踏み出しかけたティメオを「ティーくん」ナデシコが制止する。ティメオは反論しかけ、しかしナデシコと目が合い口をつぐんだ。
 ヒスイは【九時】から目を離さない。その指先は、刀の鯉口に触れていた。
「……お前らを解放しろ、と?」
「いいえ」
「……?」
 予想と異なる発言にヒスイが怪訝そうな顔をすると、【九時】はため息をついた。重苦しいそれは、彼女が相応に追い詰められていることを暗に示していた。【九時】はしばらく口を閉ざしていたが、やがて意を決したように、
「私の───私たちの要求は至極簡単なものです。私たちに、協力しなさい」
「協力?」
「フェリオン=マギアを殺し、【ネクタル・フォークロア】を壊滅させる」
「!」
 ヒスイは目を見開いた。後ろにいたナデシコも同様に驚き、【九時】の顔を凝視する。一方で、首に刃物を突きつけられているはずのコーラルと、手のひらのハンカチにいまだ血を滲ませる小夕はそろって知らぬ名前にきょとんと瞳を瞬かせる。
「それが私たちの目的です。つまり貴方がたがしようとしていることと何ら違いありません​───志を同じく、とはいきませんが」
 協力して頂けますね?
 吐いた台詞にためらいはない。ナデシコはヒスイの顔をちらりと盗み見る。見慣れた深海色の瞳、そこにもまるきり揺らぎなんてなかった。