痛みがふちどる肖像
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 胃のふちが焦げつくような感覚のなかにいる。先刻立ち寄ったレストランでたまたま隣り合ったテーブルにいた集団はどうやら人身売買に関わる輩らしく、なにやら臆面もなく声高にそんな話をしていて、それを過分に耳にしてしまったナデシコはほんのすこし気分を悪くしていた。
 ナデシコ自身、爪の先ほどではあるがそちらに関わったことがあるものの、本能的な嫌悪感はぬぐえるものではない。倫理観を説くつもりはないし、そもそもまっとうな倫理観を持ち合わせていたにんげんなぞ彼女のまわりにはひとりとしていなかった。だから、なにを思うでもなくただ気分だけが悪い。
「なあなあ料理係」「ねえねえって」
「……うん? なに?」
 酔ったような気分の悪さをぼんやり遠くを見ることで誤魔化していたナデシコは、一拍遅れて双子の声に振り返る。双子はそれぞれ顔がかくれるほどの大きさの紙袋を抱えていて、ナデシコもまた同様に大きな荷物を手にしていた。その中の多くがナデシコがえらんだ食材だった。
 出会いから一ヶ月ほど経って、ずいぶんと双子は舟に馴染んでいた。あの後ナデシコの手により隅から隅まで丸洗いされたふたりは目も当てられない浮浪児からそのへんにいるこどもにランクアップを果たし、おそろいのキャスケット帽は新調されおそろいのオーバーオールも身にまとい、それでも言動は特に変わることなく毎日きゃらきゃらと声をそろえてやかましく騒いでいた。
「今度さっきのアレつくってよ」「そうそうさっきでたやつ僕らああいうのすき」
「さっきの? ……ああ、うん。いいよ」
「ヨッシャやったね小涙」「やったよ小夕」
 頷くと、双子はそろってジャンプし器用にハイタッチを交わす。抱えた荷物の中身は一瞬だけ宙に浮いて、きれいに紙袋のなかへとふたたびおさまった。
「ていうかさあ」「そう忘れてたけどさあ」
「あの栗鼠頭どこいったわけ?」「僕らにだけ荷物持ちおしつけて」
「……そうだった」
 すっかり忘れていた、とナデシコは気分の悪さに鈍った頭を振る。栗鼠頭、つまりティーくんことティメオである。彼も買出しに同伴しておりレストランでの食事のときまでは確かに一緒にいたはずなのだが、買い物中にいつのまにやら姿を消していた。あの被り物の頭である、相当にめだつはずなのだけれども。
 ちなみにヒスイは船で留守番という名の昼寝中である。彼は基本的に寝るか作業するかで時間を潰しているのだった。
「でもティーくんもこどもじゃないし……。きっと自分ですきなときに船に戻るだろうから、放っておこう。探すだけこっちの時間の無駄だよ」
 勝手なオトコノコなのと肩をすくめると、双子はそろってぎらついた目を瞬かせ、「「フムーン」」と頷いた。
「へえ」「苦労してんだねえ」
「料理係困らせるなんてな」「アイツ飯抜きの刑じゃね」
 にやにやしながら双子はナデシコを両脇から挟みこんでやいのやいのと騒ぎ立てた。たまにはいいかもねとナデシコはちょっと笑う。そんなことを歩きながら喋っていた3人の前に、前触れなく現れる複数の影。
「……うん?」
 まっさきにそれにきづいたのはナデシコだった。どこかぼんやりしたエメラルドグリーンの瞳がふわりと前を向く。それにつられるように、騒がしい双子も視線を前にやった。
 五、六人の集団である。全員が剣呑な眼差しでこちらを見据えており、友好的でないのは一目瞭然だった。ナデシコは眉をひそめる。見覚えがあるような気がしたのだ。
「……誰?」「さあ」
「何睨んでんのさオッサン」「僕らになんか用?」
「あの巫山戯た着ぐるみ野郎はどこだ」
「「は?」」
 前置きなしに集団のひとりが投げかけてきた問いに、チンピラ同然の態度でいた双子がそろって疑問符をうかべる。けれどここにいる三人の知る人物のなかで、その特徴に合致するのはもちろんひとりしかいなかった。
「着ぐるみ野郎って」「もしかして」
「……ティーくん?」
「名前なんて知るか!」
「あの野郎に『アレ』持ってかれちゃこっちの商売あがったりなんだよ!」
 正確に言えばティメオは着ぐるみを着ているわけではないのだが、殺気立った雰囲気でそう言い放った彼らは懐からごつくとがったナイフやらをわらわら取り出した。港に向かう道は人気がなく、騒ぐ群衆はだれもいない。武器を構えた彼らを見て、ナデシコは既視感の正体にようやっとたどりつく。
(……さっきの)
 先程いたレストランにてやかましく話をしていた(件のナデシコの気分を悪くした原因であるところの)奴隷商人たちである。身につけたそろいのへんなバンダナに、ナデシコはそれを思い出した。自然、彼女の眉尻が上がる。
「ウッワなんか出してきたよ」「意味わかんないんだけど」
「知らないよアイツの居場所とか」「僕らがききたいくらいだもんな」
 双子は彼らの持つ得物を見やってそんなことを言うが、切羽詰まっているらしい彼らの耳には届かない。むしろ刃物を見せたというのに顔色を変えない三人に業を煮やしたのか、相手のひとりが「吐かないなら痛い目見せるまで」と叫んだかと思うとごついナイフを握りこみ、双子に突貫する。
「うわ」「まじか」
 吐き出す台詞はともあれ、双子の動きには迷いがなかった。押し込まれたナイフの軌道上からひょいと退き、にやりわらってまったく同時にブーツを履いた脚を男の脚にひっかける。「なっ!?」見事に体勢を崩した男はそのまま勢い余って顔面から転ぶ。
「あはは」「いたそ~」
「なっ」
「コイツら……!」
 小馬鹿にしたような双子の態度に男たちは色めきたち、我先にとめいめいの武器を振りかぶり向かってくるが、いいように双子にあしらわれる。曲芸士のごとく荷袋を抱えたままひょいひょいとナイフを交わし、頭突きまでかますそのさまはどこからどう見てもたのしんでいた。
「クソッ調子に乗りやがって……!」
 頭突きをかまされたリーダー格らしい男がよろめきながら体勢を立て直し、唾を吐いてナデシコの方をきっと睨みつけた。双子の身のこなしを少し感心して眺めていたナデシコは、蚊帳の外にいたはずがいきなりなかへとひっぱりこまれた心地で彼を見返す。しかし男はそんなナデシコの様子を無視し、彼女に向かって殴りかかる。
 ちょうどそのとき何人目かをノックアウトさせた小夕と小涙がまずいとナデシコの方を振り向くも、すでに男の拳は彼女を捉える位置にあった。けれど。
「────なッ」
 男の拳はナデシコが僅かに身をそらしたことで空を切る。男は踏みとどまるも、二撃目に移るよりもはやく土手っ腹に蹴りを叩き込まれて地面に沈んだ。
「「えっ」」
 細っこい脚でもって最後のひとりを沈めたナデシコは涼しい顔で脚をおろした。雨靴みたいなブーツの底が硬い音をたてて、静かになった道に響く。ドン引きしている双子をちらりと見、ひとつ首をかしげてぽつりつぶやく。
「……ティーくん、なにやらかしたの」

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 この世ならざるうつくしさであった。陶器のような肌は白くなめらかで、目元と頬はほんのり上品に色づいている。腰までのびた長髪は菜の花の色、光にきらめく瞳は落ち着いた海の色だ。ちいさな指先は今やわらかな頬に添えられて、彼女はくすくすとさえずるようにわらっている。
「……あら?」
「おっ、帰ってきたか。遅かったな!」
 カーム・シアン号のデッキにて。見知らぬ女性を相手にどうやら盛り上がっていたらしいティメオは、帰ってきたナデシコと双子を振り返り開口一番そんなことをいった。文句をひとつふたつみっつと用意していた双子であったが、彼が喋っていた相手である女性を目にし心底おどろいたようすでぽかんと口を魚のようにひらく。
 その女性は、ガラス製の四角い水槽のようなもののへりにつかまるかたちで浮いていた。きょとんとその双眸を瞬いて、口をぱくぱくさせる双子を興味深そうに見ている。なだらかな肩から下、袖口にレース編みが施されたまっさらな白の服を着て、ふつうならばすらりと長い脚がつづくであろう下半身にはなにもまとっていない。一目見ただけで明らかだった。彼女の下半身は魚類のそれであった。
「人魚だ」「人魚」
 酸素を求めるように口の開閉をくりかえしていた双子がようやくまともな言葉を紡ぐ。その隣でナデシコも少し驚いた顔を見せていた。彼女は人魚を目にしたことがあったが、ここまで身近で見たことはなかった。それに、これほど生き生きとした人魚を前にしたのははじめてだったのだ。ナデシコと、その人魚の目が合う。途端、彼女の顔が華やいだ。
「あなたね!」
「えっ」
「ねえティメオ、彼女でしょう? さっきの隈のひどいおにいさんの大事なひとって」
「隈のひどい……」
「そうそうソイツ! ヒスイはナコにだけは弱いんだよなあ」
「ふふふ、いいわねわたしそういうのすきよ! 恋とか愛とか、だいすき!」
 にこにこしあわせそうに笑顔になって、人魚はナデシコに手を振る。話についていけず、それでもただなにかすごいことを言われたことだけを理解したナデシコはどうしたものかと悩んだのちに、たずねた。
「ティーくん、ヒスイは?」
「アイツならさっきまでいたけど疲れたとか言って部屋戻ったぞ」
「……その子は?」
「ああそっか紹介な! すっかりした気でいたわ、悪い悪い」
「……マジで勝手だなコイツ」「僕らがいえることじゃないけどね」
 双子は先刻のナデシコの会話を思い出したのか半眼である。それに構うことなくティメオはよっこらせと立ち上がり、重たそうな栗鼠頭を揺らしながらその指先で隣の人魚を示した。
「こちらは俺の運命の人」
「「……は?」」
「ハーイ運命の人というか人魚です~」
 示された人魚はふにゃふにゃ笑う。人の良さそうな少女だった。端正な顔立ちに似合わぬ、どこか無邪気でこどもっぽい純粋無垢な笑顔。夢のように、甘くてやわらかい。
「わたしコーラルっていうの。ふつつかものですが、よろしくね」