よい夢を召し上がれ

 
 
  
「きみならやりなおせるかもしれないよ」
 そう言ったとき、彼女はちょうど自分の太ももあたりにのせられた千羽鶴をその指先でつついていた。ふせられた睫毛でふちどられた飴玉のような瞳が、そのときだけぼんやりうつろにみえたのをよく覚えている。
「え?」
 彼女は、こちらの声の響きに反射的に瞬きをした。いちど瞼のおりた瞳は再度ひらかれたときにはもう光を取り戻していた。そして、その双眸がこちらを射抜く。鋭さはない、まるで甘い蜜のような。
「きみならこの物語をやりなおすことができるかもしれないと───そういったんだ」
「……やりなおす?」
「そう。正しくはこの物語にいちど終止符を打ち、きみは【雛翼】としての自覚を手に入れる。そうして、僕らが転生を繰り返し訪れる数多の物語のなかに、ふたたびこの物語があることを願い続ける」
「……」
「僕らは限りなくにんげんそのものだけれど、けれど決定的ににんげんとはちがう。僕らの感情は些細ではあるが世界に変容をもたらすだろう。きみのその、願いがあれば」
「……やりなおせるの?」
「すべてはきみのこころ次第だよ」
 言うと、彼女はこちらを凝視したまま、しばらく黙りこんでいた。これまでの彼女とは似ても似つかぬ、落ちついた表情だった。ぼんやりとしたようにもみえる。
「……じゃあ、『ここ』はわたしが、終わらせなくちゃ」
 そうして彼女の唇から漏れたことばはひどく淡々としていた。ベッドの脇に立つ僕に目を向けて、彼女が続けたことばに僕は一瞬だけ瞠目して、それから唇の端を歪ませた。彼女の異端さに、オリジナルのコピーでしかない僕が単純に面白いと感じていた。それはうまれてはじめてのことだった。人工的な生命を抱えいきている僕の人生において、はじめてのこと。
 だから、僕は彼女の背を押した。彼女に新たな選択肢を与えた。
 終わりがこうなることは、なんとなく予想していたけれど。

「…………」
 暗い空間にいる。ここが限りある部屋なのか、限りのない屋外なのかどうかは視覚のみでは判断出来ない。おまけに真っ暗なせいで、自分の手のひらさえろくにみえない。
 僕は嘆息して、こんなところでも律儀に肉体にくっついてきたポケットの中のイヤホンを取りだして、同じく入っていた携帯電話に接続し、耳にはめ込んだ。なにも操作していないのに勝手に流れだすテクノ・ポップスを口ずさみ、ぱちりと指を鳴らす。途端、鳴らした指先から火花が散るように青白い光が飛び散って、暗い空間に星屑のように配置され僕を照らした。
 魔法はおろか魔術すらろくにつかえない僕であるが、その真似事くらいならできる。魔法使いのコピーだというのにこのスペックは如何なものかと思うが、できないものはできないのだから仕方ない。
 自らのオリジナルの姿を脳裏に浮かばせかたちにならぬ呪詛を吐きながら、僕はかつかつと歩みを進める。景色の変わらぬ空間のなか、しばらく歩いて───そしてようやく、みつけた。
 鞠桐白雪が、そこに倒れている。
 仰向けに、まるで寝転がるような体勢である。地を這うように光沢のある蜂蜜色の髪が床に広がり、華奢な矮躯を投げだしている。その瞳は閉じられて、おもくかたい瞼が眼球を覆っていた。
「……白雪」
 僕の声が、響く。まるで他人の声のようにそれは暗闇に伝わっていく。やがて反響すらきこえなくなったあたりで、白雪はぱちり───と、目をひらいた。つくりものめいたその目玉がちらりとこちらを見る。
「───おはよう、迷継ちゃん」
 果たして彼女は微笑んだ。気だるげに寝転んだまま、その目に僕を映してわらう。投げだされた指先がぴくりとうごいた。
 僕はさらに足を進めて、すぐそばに近寄って彼女を見下ろした。彼女は瞼を強く擦る。涙の流れないその目尻が、指先と擦れて一瞬だけ真っ赤に染まった。
「わたし落っこちたのに、潰れてないや。落ちる景色はやっぱり思い出せないなあ」
「二度も落ちたのに?」
「あはは」
空間を飛び散る星屑たちの光が網膜に影を落としていく。白雪はけらけらとわらっていた。酔っ払ったような、酩酊しているような、そんなかんじ。反して僕のこころは静かだった。観察対象をじっと観察している。じぶんの知識欲のため、といわれれば否定はできない。僕そのものが人工物なのだから。
「ねえ迷継ちゃん、わたし以外にそのファンタジー生命体ってたくさんいるの?」
「僕と君をあわせて七人だよ」
「へえ」
 自分からきいたくせに、あんまり白雪は興味がなさそうだった。しばらく虚空を見つめていたかとおもえば、ぽつりと零す。からっぽな声だった。
「───ねえ、起きあがらせてくれる?」
 そう零して、まっしろなてのひらを僕に向かってのばした。 すらりとのびた左腕を差し出され、僕はその手首に目をやった。その肌が幾重もの引っかき傷で爛れ、見るに堪えない姿になっていることを自分の目で確認する。
(………)
「……いいよ」
 僕はその手を取った。白雪の笑みを刻んだ唇をみながら、自身にも浮かぶ笑みに気づきつつ。握ったてのひらからは、あたたかな血潮がめぐる音がしていた。いきている、証。
 白雪はなぜかにこにこわらって、僕を見ていた。共犯者をみるようなまなざしだな、となんとなく思う。立ち上がり、短いスカートの裾を払う白雪に、僕は声をかける。僕が初めて心を惹かれた彼女に。じぶんの願いのためになら、すべてを捨てることができる彼女に。
「それじゃあ、いこう」
 僕はわらった。彼女のように甘くはわらえないから、いつもどおり、薄く。口の端を曲げて、彼女を見つめ返した。彼女はいつかふたたび、自分をも殺すだろう。それも今回のようにではない。その身に自分で刃を突き立てて。それは僕の確固たる予感だった。血に濡れた刃を引き戻し、深く裂けた傷にまた刃を立てる彼女の姿が、くっきりと瞼の裏にうかぶ。けれど、それでも。
それでも、僕は彼女の夢が果たされる瞬間をみたいと思った。だから彼女の手を握り、歩きだす。彼女の行先が、幸福なものでなくとも。

彼女の決断が、ただの代償行為であっても───その終わりを、【雛翼】として見届けるために。

end