あっくんだ。
朝、寝ぼけ眼を擦り擦り校門をくぐり、下駄箱に外靴を突っ込んでいると、奥にある二年の下駄箱のまえに立つあっくんをみつけた。なにぶんそのときわたしは身の丈にあわぬ早起きのせいでめちゃくちゃ眠かったので、いつもみたいにすぐに飛びついたりできなかったわけなのだけど、今日は偶然それがわたしをたすける結果となった。
きろり、眠気で鈍る眼球をちょいっとうごかす。のろまに息を吸いかけた唇が、とあることにきづいて早々と閉じられる。
そのとなりに、おんなのこがいた。
「……」
あっくんのとなりにおんなのこがいるのは別段めずらしいことじゃない。あっくんはいわゆる『ぷれいぼーい』なのだと、林檎姉は言う。だからわたしはずいぶんと昔にああそうなんだ、と納得して、その事実をのみこんでいた。
だから、いまわたしが目にしている現実はわたしをうちのめすこともないし、別段気にもならない。あっくんがもてもてなのはうらやましいし、それにわたしは幼なじみの交友関係にとやかく口を出すほどにおせっかいでもない。だけれどそれとは関係なしに、ほんとうにひさしぶりに、嫌な感覚がうすっぺらい胸のうちに満ちた。
よく覚えのある、感覚だった。
そのおんなのこは長い髪を垂らして、睫毛を伏せてうつくしく微笑していた。背丈はあっくんよりもやや低め、つまりわたしよりも高い。わたしの偏見なしにしても、ととのった顔をしていた。でもみたことがないから、たぶん上級生なのだろう。
わたしはその横顔を遠くからぼうっとみつめて、みえないあっくんの顔を視界におさめて、顔をしかめた。
「……吾妻くん、」
そのひとがあっくんの苗字を呼ぶのがきこえた。ずきん、と頭から爪先までに衝動めいたものが突き抜ける。わたしはそこでひとり立ち尽くす。いつだったっけ。この感じを、まえに思いだしたのは。
うそつきの匂いがした。
☆★☆
「のーくんおーはよーうございまあすさてさて噂のあのこはいずこに!」
「朝からうるせえ!」
ほんとうに唐突で前触れない展開でとてつもなくキョウシュクなのだけれど、とりあえずここらでわたしの幼なじみそのいちであるところののーくんの紹介をしておこうと思う。
瀧山紀仁。わたしとは小学生のころからのおともだちである。家はわたしの住むマンションのすぐちかくの戸建。家族構成は父・母・ペットの爬虫類ゴライアスくん。すきなものはしらすごはんとカラオケ、きらいなものはミートソースと雷。ちいさいころから牛乳を毎日がぶ飲みしていたくせにいまもわたしとおんなじくらいの背丈しかないちびで現在もまだまだ反抗期まっさかりなつんでれくんなのでした。
わたしがにやにやしていると、のーくんはなぜかものすごく腹を立てた顔をして思いっきりわたしの足を蹴った。元サッカー部の脚力なので、ふつうに痛い。涙目だよ。いくらわたしがふつうのひとよりいくぶんか頑丈にできているからって、痛くないわけじゃないのに……!
どうやら朝っぱらから前触れなしに叫びながら教室に飛び込んできたいとしの幼なじみにのーくんはご立腹のようである。のーくんは短気なのだ。昔も、今も。
「ってあれ、噂のあの娘いないじゃん! どういうことっすかのーくん! わたしがめずらしく超がんばって早起きしたというのに……!」
「知らねえよていうかおまえはふだんからちゃんと起きろ!」
どうやらあの娘はまだ教室にきていないらしい。まわりをきょろきょろとしてみるも、きのう目に焼きつけた青い頭は見つからない。うむ。
ちょいっとかんがえて、わたしは彼女を探すべく出動することにした。
「わたし昇降口いってみるわばびゅん」
「は? ちょ、おい白雪!」
あっけに取られてたぶん意味もなく手を伸ばしたのーくんを視界の端っこにポイして、またもやダッシュ。ていうかデジャヴ的なあれを感じるなあ。それはともかくとして。
昇降口。
「んー……」
朝のホームルームがはじまる十分まえを切ったからか、昇降口はたくさんのひとであふれていた。目を凝らして探してみるも、やっぱりあの青い頭はみつからない。それどころかわたしが通行人の邪魔になっているようで、わたしはすぐにぐちゃぐちゃの人ごみのなかにのみこまれた。
いつもはホームルームが終わった頃に学校に着くから、この時間にひとが集中することなんて知らないのだ。ていうかみんなもっと余裕持ってくればいいのにね。わたしがいえることじゃないけど。
死にそうになりながらも人ごみから這い出て、ぼさぼさになった頭をととのえながらやっぱりここに彼女がいないことを確認。と、同時に軽やかなチャイムの音が響いた。
「げっ」
なんだかまたもデジャヴ。チャイムをきいて、それまでねむそうな顔でのろのろ歩いていたひとたちの表情が焦ったものに一転し、我先にと皆駆け出していく。わたしもそれに便乗しようと足を踏み出しかけたものの、そこで視界の端にうつる青く長ったらしい髪の毛にきづいた。
「あ!」
スピードにのりかけた足を無理矢理旧停止させ、ばっとふりむく。みつけた後姿はまごうことなくきのうの転入生ちゃんであった。皆が全力で自分たちの教室に駆けていくのに気づいているのかいないのか、なぜかひとりだけぽつんと集団から離れたところにいる。細いその矮躯がふらりとたよりなさげに人気のない特別棟へむかっていくのがみえた。
わたしは一秒も逡巡なんてすることなく、そのあとを追うことにした。ぎゅるんと方向転換、思いっきり足にちからをためて、せ、え、の、で!
☆★☆
彼女の行き先は特別棟の屋上だった。
今日の空はわりとくもっている。のっぺりした雲がそこらじゅうにただよっていて、空が低く見えた。こつんこつんと靴の踵を鳴らしながら歩いていた転入生ちゃんは、猛ダッシュで追いかけてきたわたしをみて怪訝そうな顔をした。
「きみは、きのうの」
「そう! わたしは一年C組出席番号三十七番鞠桐白雪ちゃんです! 特技は三段ジャンプからの空中回転両脚着地です!」
チャンスを逃さずマシンガンのように自己紹介をならべたてると、なぜか彼女はくすくすとわらった。おおう、めずらしい反応。幼なじみーズはこういうの聞くとあきれたり無視したり頭はたいてきたりするから……ちなみに清水ちゃんはわたしが絡むと逃げます。
「そうか、きのうは名乗りもしなかったな。僕は迷継冷という」
「うん! うわさのおとなりの転入生ちゃんだよね!」
「ああ……なんだ。知っているのか」
「まあね! 君のクラスにいるおちびさんとなかよしだから!」
わたしは笑顔で告げた。迷継ちゃんは「そうかい」とうなずいて、長くのびた髪のひと房をくるくると指に巻き付けて、放る。その細身を屋上のフェンスによりかからせて、首をかしげた。その動作はなんだかミステリアスだった。わたしのまわりにはあんまりいないタイプかもしれない。ぎりぎり林檎姉がちかいかな。
「……きみは教室に行かなくてもいいのかい? もうはじまっているだろう」
「わたしは遅刻常習犯だからいいの。それよか迷継ちゃんはいいの? 転入二日目にサボりなんて」
「べつにどうということはないさ。僕はそれほど真面目なにんげんじゃあないのでね」
「そうなの?」
めがねのひとはみんな真面目かと思っていた。清水ちゃんは真面目だし、担任の先生だってそうだ。ま、人それぞれだものね、真面目の定義なんて。わたしはそれで納得することにした。基本的にわたしはなんでもかんでものみこんでしまうカタチのにんげんなのです。まる。
わたしはしばらく迷継ちゃんの横顔をじいっとみつめていたけれど(クールビューティー美少女はこの世の宝だね)、とあることにきづいてぴょんと跳ねた。
「そういえばさあ迷継ちゃん」
「うん?」
「どうして昨日わたしのなまえ知ってたの?」
そう、それなのだ。どうして昨日ぶつかったあのとき、彼女はわたしのなまえを知っていたのだろう。面識なんてなかったのに。しかもあの口調、まえからわたしのことを話にきいていた……みたいな、そんなふうだった。確信のある口調だったはずだ。
「ああ、そのことか」
迷継ちゃんは小首を傾けて目を細める。
「べつにたいしたことではないのだけれど……たぶんほんとうのことをいっても、きみは理解しないだろうな」
「へ?」
「つまりだな……」
どういうことだ。わたしが馬鹿だってことか。迷継ちゃんは悩むそぶりをみせた。そこにはにんげんらしさがにじみ出ていた。きのうは人形みたいな無表情だったのに、それともこれが素の表情なのだろうか。
「白雪、きみは世界という存在を知覚したことはあるかい?」
「………はい?」
悩んでいた迷継ちゃんが放ったのは、そんなことばだった。ぼーっと迷継ちゃんのかわいらしい唇とか長い睫毛とかをながめていたわたしは、いきなりのことばに首をかしげた。……え? ちかく? 何語?
「この世界、物語というものの存在。物語のそとがわに立つ資格のあるにんげんが有ると、きみは考えたことがあるかい?」
「……?」
「ああ、いきなりだったか、悪い。僕が言いたいのは、この世界は運命によって定められた物語のようなものだということであり……」
「………??????」
いや、そうじゃなくて。
迷継ちゃんの言ってることばの意味がわからないのである。確かにいきなりなんか話がぶっとんだのはわかったけれども、けれども、ええと……なんのはなしだ? 私の頭の出来はいまの唐突で難解な単語をすぐさま理解できるレベルにはに到達してない。
「きみはその物語に介入する資格を持った存在───【雛翼】のひとりなんだ。どうやらその自覚はないようだけどね……僕もその【雛翼】だから、君のなまえを知っていた」
「物語に介入? ひなよく?」
わたしがわかっていないのを知らずか、迷継ちゃんはぽんぽんと話を続けていく。さっぱり意味のわからないわたしは延々と疑問符をうかべつづけることしかできない。さらりとわたしがにんげんではないようなことを言われたような気がしないでもないけれど、その認識すら難解なことばたちによりあやふやなものになって流れていく。
「僕がこの世界に来たのはきみを回収するためだ、白雪。きみが大成させるべきだったこの物語は、君が何らかのトラブルによって【雛翼】としての自覚を持ち合わせていないせいでもう完成することはない。ここは終わりゆく世界なんだ」
「……? なに言ってんのかわからないよ、迷継ちゃん」
「………。やはり僕は説明が苦手だ。こういうのは萌黄にでも頼むべきだったろうに……」
しばらく迷継ちゃんは頭のうえに大量にクエスチョンマークをうかべたわたしのまえでうなっていたが、少しして長く嘆息し顔をあげた。オレンジの両眼が光っている。
「……とりあえず、理解していなくともきいていたなら重畳だ。いま話したことはすべてほんとうのことさ。それは理解してもらえるとうれしい」
「ああ、それはわかってるよ」
「……? 僕がうそをついていないってことを、かい?」
「そ!」
わたしには迷継ちゃんのしゃべってることがこれっぽっちもわからないけれど、彼女がうそをついていないってことだけはわかる。
わたしはうそつきがきらいだ。だから、わかる。うん、まあほんとうに迷継ちゃんの言っていることに関しては、一ミリもわかんないんだけども!
「そうか……それなら、いいということにしておこう。きみの頭の隅にでも、いまの話を覚えておいてくれればそれでいい。またおいおい、わかりやすく伝えられるようには努力する。ああそうだ、いまの話は他人には話さないでくれ」
「うん? どうして?」
「そういうきまり、なんだよ」
「きまりならしょうがないねえ」
よくわからないけど、それが迷継ちゃんの言いたいことだったのだとわたしは納得することにした。迷継ちゃんはふうと息を吐いて、やれやれというように肩をすくめる。同時にチャイムが鳴った。ホームルームの終わる時間だろう。
迷継ちゃんの背でフェンスが軋むのが見える。灰色を塗りたくったような空がひろがっている。わたしは、ここに立っている。
「つまり迷継ちゃんはなんか不思議生命体のひとなんだね?」
「ああ……まあ、そんな感じだよ。きみが納得しやすいように解釈してくれて構わない」
「ふーん」
非日常のかおりがする。わたしの世界がそれにおびやかされているような錯覚さえする。けれどたぶんそれはわたしには関係のないことだ。わたしは彼らがいてくれればそれでいいの。わたしの世界があるがままにあるのなら、なんだっていい。だから、関係ない。わたしがなにであっても、彼女がなにであっても。
「うーんしょ。そろそろ教室いったほうがいいかなあ。怒られそうだけど」
「そうだね。まあうまいこと理由をつければ文句は言われないだろうよ」
猫のようにのびをして、わたしは名残惜しくて迷継ちゃんをちらりとみた。相も変わらず真っ白い肌の迷継ちゃんは、その視線をどう勘違いしたのかわからないけれど、
「きみは『とくべつ』なんだよ。それは紛れもない事実だ」
と言った。わたしは興味なさげに「ふうん」とひとつだけうなずいた。