ざわざわと落ち着かないクラス内の騒音を背にして、わたしはばしんとのーくんの机をぶっ叩いた。
時刻は十二時四十分。まごうことなくお昼だ。しかもお昼ごはんの時間。しかしわたしはいまさっき学校に到着したばかりで、というかべつに今日の日課が午後からの授業のみだとかそういうわけではなく、ただ単に遅刻しただけだった。わたしが。
原因は寝坊である。そのまぬけさは自分でもようく自覚していた。だからたぶんのーくんのその黄金色の目にはもっとわたしがばかみたいにみえていることだろう。その予想は完璧に、完全に的中していた。
「うるせえよばか」
「ばか!? ばかっていった!?」
直球だった。四時間目でつかった教科書を机にしまい込み、昼休み独特の喧騒のなかでのーくんはあきれたまなざしでわたしをみた。もうみなれた表情だった。なきたい。
「ふつう何回電話かけても寝てるばかがいるかっつーの。ていうか林檎さんどうしたんたよ」
「林檎姉は今日朝早くお仕事だよ。だからちゃんと目覚ましかけたはずなのに……!」
「目覚ましにまで見捨てられてんのかおまえ」
「み、見捨てられてなんてないよ! わたしのかわいいひよこの目覚ましちゃんはわたしがちっさいころからのおともだちだもの! 見捨てる筈ないもの!」
「おまえほんとに俺と同い年か……? それより俺昼飯たべるから自分の教室帰れよ。てか職員室いったのか」
「いってない……」
のーくんがつめたい。というか、学校でののーくんは基本的につめたい。まるであっくんみたいだ。いや、突っ込んでくれるだけまだましかもしれない。
あっくんはぜんぶ「あっそ」で済ますこともあるくらいのスルースキルの持ち主だし、たまに返事してくれたかと思ったら嫌味だし。それはともかく、のーくんがなんでこんな感じなのかはわたしにだってわかる。
その理由はわたしには到底理解できないものだから、
言わないけれど。
「わかったよもう……わかりましたよー! のーくんには期待してませんでした! のーくんの……のーくんの……ちび!」
思ったことを思ったまま弾丸のように口にして、わたしはこの超絶運動神経からくりだされる脚力で思いっきり教室の床を蹴り飛ばし、まるで50メートル走でもするかのような全力でのーくんのクラスを飛び出した。
廊下を歩いているひとたちがなんだなんだと奇異なものをみるような目をむけてくるなかそれらすべてをガン無視して走る走る。なにも考えずにただひたすら脚を動かして、廊下に立てかけてあった『廊下ダッシュ禁止!』という看板をはじき飛ばし、曲がり角を曲がったところで、なんともありきたりな展開であるとは思うのだけど───どしん、となにかにぶつかった。というか突撃した。
弾丸じみたスピードで走っていたわたしに激突されたそのひとはそりゃあもうあたりまえのようにそこで尻もちをつく。わたしはなんとかふみとどまって、目をぱちくりさせた。
何が起きたのか一瞬把握できなくて、けれども目の前で尻もちをつくそのひとの姿を視認してやっべ、とあせりながらしゃがむ。
「すみませんごめんなさいあいむそーりー! ごめんよわたしがなんもかんがえずにダッシュしてたせいで、うわあんねえだいじょうぶ、怪我してない? しょうね、ん、……?」
少年じゃなかった。
体格とか服からのびる手足とか、そのへんからてっきりすごく華奢な少年だと思っていたのだけど、ちがった。しずかな目でこちらをみていたのは、わたしとおんなじくらいの背丈のおんなのこだった。
座り込んだ姿勢で、わたしをみあげている。青い海みたいな色の長いサイドテイルに、めがねごしにみえる夕焼け色の両目。たぶんこのせいで少年にみえたのだろうか、曲線のほとんどないまっすぐなからだのラインは彼女のまとう中性的な雰囲気を助長している。袖口からみえる骨ばった手首を視界にいれて、わたしは、なぜだろう、ぐらり、と世界が傾ぐ音を、聞いた。
「ああ……すまないね、こちらこそあまり前をみていなかったようだ。気にしないでくれ」
わたしがその感覚に呆然としているうちに、彼女は流れるような動作で床に手をつき立ち上がって、逆にわたしを見下ろした。まつげが長いのが、みえる。淡々とした口調。その喉元も、やっぱり細い。手も足も枝切れみたいで性別を感じさせず、あやうい、ような、
「……ん。ああそうか、きみか」
鞠桐白雪。
ぽかんとするわたしをじっとみていた彼女はそうわたしのなまえをつぶやくと、うすくわらった。両耳につけたイヤホンのコードがちいさくゆれて、彼女はわたしに手をさしのべた。なんとなくわたしはその手を取って、しゃがみこんだ体勢から立ち上がる。
立場がいつのまにやら逆転している。というか、あれ、なんで名前? いろんなことが唐突過ぎて、脳みそが情報量についていかない。脳内はぐるぐる混乱したまま、わたしは二本の足で地面を踏みしめる。
そうしてわたしはその子と対峙する。わたしの視界に彼女だけが満ちる。華奢なその子のオレンジの目の中にわたしがうつる。彼女はちいさく首をかしげて、それから一歩うしろにさがると、「それじゃあ」と会釈しわたしの横を通り過ぎて歩き去った。
「……」
脳裏がじくじくと疼きながらわたしになにかを警告している。警告。警告。赤いランプがひらめいて、黄色いシグナルが点滅する。
なんだ、この感覚。わたしのちっぽけな危機感みたいなものが、めずらしく全神経に伝達していく。なにか、なにかとてつもなくおおきなものが壊れるような予感がした。それも、わたしがたいせつにどこかみえないところにしまいこんで、ふだんはわすれてしまっているようなたぐいのものが。
ただひとついえるのは、いまのあのこがそれを壊す───わけじゃあ、ないということ。あのこはきっとただの前触れを知らせる伝達者。わたしのたいせつなものをその手でばらばらに破壊するのは、そう、
「……っは」
と、そこでりんごんりんごんとやかましく鳴り響くチャイムの音。五時間目開始の五分前を告げる予冷の音に、わたしの思考ははじけて消える。あわてて駆けだす周囲のひとたちに漏れず、わたしもそれまでの思考にふたをして、やばいやばい! とまたも廊下を走りだした。
☆★☆
「……ああ。それたぶんうちのクラスの転入生だ」
そういって、のーくんはポテトをまとめて口に放り込んだ。シェイク(ストロベリー)を手にしたわたしはぽかんとして、ちょっとのあいだ思考を空白に染めて、じわじわとそのことばをリトマス試験紙をつかうときみたいに脳裏に染み込ませて、それから「うえ」となんともへんな声をあげた。ちなみにこれはべつに気分を悪くしたわけではない。シェイクはいつもどおりおいしかった。この声はただびっくりした内心を表現しただけです。
「てんにゅうせい?」
「なんつったかな……なんかすげえへんななまえだった」
マックなう。二人席に腰掛けて、わたしとのーくんはだらだら食っちゃべっていた。
わたしのまえにはストロベリーシェイクとフィレオフィッシュ(食べかけ)、のーくんのまえには照り玉バーガーとポテト(Mサイズ)、あとオレンジジュース(Mサイズ)がででんと鎮座している。小柄なその身体に似合わない量だなあとかは思っても言わない。
外はもう暗くて、街灯がアスファルトを照らしているのが見える。この季節特有のじめじめ湿った空気は自動ドアに遮断されて、こちらは冷房の人工的な空調に支配されていた。ふたつめまであけた襟元がひやりと凍える。
「なんかねえすごくきれいな子だったんだよ! いっしゅんおとこのこかと思っちゃった」
「は? なんで?」
「すごい細かったもん」
「おまえ目おかしいだろ……」
「おかしくないよ視力両目ともニイテンゼロあるよ!」
「あーそうですかー」
「信じてないね? 信じてないねのーくん!」
こ、このすーぱーかわいらしい幼なじみのいうことが信じられないとは……! ありえなさ120%ののーくんに愕然としつつ、がじがじとストローを噛む。かわいいは正義なんだよ! かわいいは世界を救うんだよ!
「ふぁふぁひのふぁんふぁふがんはふほひむはよ!」
「何語だよ……」
「観察眼んん」
ぺ、とストローを吐き出し、もわもわもわんと効果音がつきそうな感じであのこの顔を思いうかべる。夕焼けみたいな色の目は、まるで宝石みたいにつめたく光っていた。
「でもま、なんか近づき難いかんじだったな……。お高くとまってるかんじじゃあねえけど、なんか浮いてるっつかー」
「はっ! わかった! きっとあれだよ、かくされたちからとか秘めてる系ジョシだよ! 超能力者だよ魔法少女だよお姫様だよ!」
「あほか」
ほんの冗談だというのに、のーくんは馬鹿にしたような目でわたしの意見をばっさりと切り伏せた。のーくんの猫目は安っぽい蛍光灯の光の下でも変わらずに光っている。
「はえ~つまんないなあ」
わたしはぶすったれる。ぷくうと頬をふくらませ、残ったフィレオフィッシュのかけらを咀嚼してのみこんだ。ごくん。
「……あ。思いだした」
「うにゃ? なにを?」
「なまえ。転入生の」
のーくんはテーブルの端にあった紙ナプキンを一枚つまみ、そこにボールペンでさらさらと文字を記す。青いインクがのびて、漢字をかたちづくっていく。真っ白いざらりとした紙面に刻まれたなまえは、
『迷継冷』。
「んん……? なんてよむのこれ」
「まいつぎれい、だとよ」
「へー」
わたしはその文字をまじまじとみつめた。のーくんの字はそこそこきれいだ。読み易い。わたしの文字はなんか丸すぎて解読がむずかしいらしい。あっくん曰く、だけれども。ちなみにそんなあっくんはむかし書道教室行ってたこともあって滅茶苦茶字がきれいです。
「まいつぎちゃん、かー」
「あーそうだ、あと自分のこと『僕』っつってたなあ……。一部のやつは痛い系じゃねえのって騒いでたけど、かなり勉強出来るみたいでさ」
「なんですと! 僕っ娘なの!?」
がたんと机をゆらし、わたしは感動にうち震える。
まさか僕っ娘が現実に存在していたとは……。画面のむこうがわにしか存在しないものだと思っていた……! わたしは清水ちゃんにはじめてあったときも、女顔のオトコノコなんてほんとうにいたんだね! って大騒ぎして清水ちゃんの手を取って踊りはじめてのーくんに頭叩かれたものだけれど、その時以来の衝撃だよ!
「やばいよのーくん……わたしその子とオトモダチにならねばならない運命らしいよ……!」
「まじで言ってんのか……?」
のーくんのなんかへんなものをみるような目は華麗に無視して、わたしはかたくこころに誓った。そう、あした学校で迷継ちゃん(仮)に声をかけてオトモダチになると! そんでもってあわよくばあんなことやこんなことができちゃう仲に発展させると……!
「ようしのーくんわたしはやるよ! やってみせるよ! クール系美少女を手中におさめてみせるよ!」
「……」
「わかったから涎拭け」