とある彼氏、たはプロローグ

武川八苑は大学三年生の21歳である。有名ではないが、言えばあああそこね、と言われる程度には名が知れている大学に通っている。それはいつもと特に変わらない日のこと、学食で一人、図書室から借りた分厚い本を読みふけっていたときだった。かたん、と正面にだれか座る音がしたが、八苑は特に気にしなかった。学食なのだから、誰かが座るのは当たり前だから。そんな八苑がふと顔を上げる羽目になったのは、視界の端に缶コーヒーが差し出されたである。
「よーぅ」
正面に座っている女性は薄く笑った。とても、美人と言えるひとだった。
「あぁ、佳苗」
八苑もふっと静かに笑った。
「そっちの講義は終わったの?」
「サボった」
佳苗は頭が良いし、講義に関心がないわけではないのに時々サボる。単位を落とさない程度にサボり、しかしレポートでは毎回最高点をもらい、けれど提出期限ギリギリに出すという、ギリギリで生きながらも余裕がある人だった。時折八苑は、もう少しやる気出してみたら?と言ってみたとろ、いつでもフルパワーじゃ長生き出来ないとバッサリ言われた。
「こないだ言ってた、魔力吸収なんちゃらはどうなった?」
「いま魔術教会が調べてるらしいんだけどねー、発信源が全く不明らしいよ。魔術師のコミュニティではかなり広まってる話らしいけどね。」
少し声を潜めて話す内容は、魔術師関連のことだった。八苑は自身の叔父の代からの魔術師家系であり、歴史はまだ浅くさほど知られていない魔術師だった。本人も、とくに魔術師の方面にはかかわらず、魔術自体も強くはなかった。そんな八苑は、佳苗と出会い、色々あって友達から親友、そして恋人となるに当たって魔術師のコミュニティーに関わるようになっていった。加えて佳苗が魔術師において名が知れわたっているだけあり、最近は八苑のことを知ってる人も出てきたくらいである。
「情報屋は?」
「聞いてきた。あいっかわらずの子どもっぽくなさ!いくつか情報はくれたけど、でもやっぱり誰が言い出したかなんて知らないってさ。」
「へぇ……情報屋でもわかんないなら、無理じゃない?」
そうだよねぇと佳苗は笑う。
「佳苗、このあと予定は?」
「ないかな」
八苑はパタン、と本を閉じた。
「じゃ、久しぶりに何処か行こうか」
「やった」
にっと笑う佳苗の笑みは、実は珍しいものなのだった。それは、彼女の妹や八苑をいれても、数えられる人にしか見せない。それ以外に笑うとなればそれは終焉が近いと言えよう。すぐに逃げることをお勧めする。無駄だと思うが。そもそも彼女は、他人がどうなってもならなくてもそのへんの石ころ以下にどうでもいいことだった。
お互いに立ち上がり、食堂を出る。
「そういえば、昨日三葉に会ったよ」
「三葉に?そういえば、最近会ってないかも。なにしてるの、あの子」
「試験勉強だって。聞いてないの?」
「あー、なんか、一二三が言ってたよーな」
佳苗は、黒髪の少年を思い出してふっと笑う。時折夕食を食べに来ないかと誘い、いいですといいながらもいつも最終的には一緒に食卓に並んでいる。それについて毎回彼は首を傾げていて、その姿が妙に可愛げがあるのだ。
「で、三葉といえばなんだけれども」
「あの子なら連絡ないよ。でも、たぶんもうすぐ帰ってくるんじゃないかな」
あの子。
佳苗が〝彼女〟に対して、あの子、という言葉を使ったことは、つまり、あの子にまた怒っているということである。まぁそうだろうな、と八苑は思う。あの子ー藍露は、どこにいるかわからない状態であるというだけで不安なのに、連絡を全くして来ないのでどこかでうっかり死んでいても分からない。
「もうすぐ?」
「なんとなく分かるってことで。あの子の姉ですから。」
吐き捨てるようにいう言葉は、決して貶し言葉ではなかった。
藍露は、佳苗の妹である。
佳苗は、姉として、藍露の放浪癖を心配し、それを心配していない藍露に怒っているのだ。が、姉の心配に免じて(?)帰ってきたとしても、帰ってくることもまたひとつの問題である。
藍露は必ず、厄介ごとを引き連れて帰ってくる。いつのまにか帰ってきて、気づいたら隣でにこっと笑っていて、そしてなぜか爆弾を抱えている。藍露はそんなひとだった。

そして、今回も爆弾をお土産に帰ってくるのだった。