甘い匂いはすき。
ふわふわ香るバニラエッセンスの匂いとか、やわらかくただようパンケーキの匂いとか、ほんのり風に乗る濃いはちみつの匂いとか。
ナコちゃんはいつもそんな香りをまとわせながら、くすくす笑ったりすってんころりとこけたり、そのかわいらしい指先で美味しいお菓子をつくりあげたりするのだ。

「てりゃりゃー」

気の抜けた声を発しながら、エプロンをつけてナコちゃんはひとりお菓子製造機となりあくせく手を動かしていた。

「…いまなにつくってるのナコちゃん」
「いまはね、初心に戻ってショートケーキ」

私はナコちゃんの部屋で、椅子に座ってナコちゃんをぼけーっと見つめている。桜色の髪先がゆらゆら不規則に揺れるのを目で追って、その手でつくられるお菓子のことに思いを馳せる。ナコちゃんのつくるお菓子は美味しい。だから私はナコちゃんがすきだ。料理のできるひとはいい。手先が器用なひとも。
今日はクリスマス。こどもたちはサンタクロースが配りに来るプレゼントを心待ちにしながらケーキやチキンを頬張るのだとか。私のはじめての世界じゃ、クリスマスをふくむ冬なんてものは、ただ凍てついていて、身にまとう服を掻き抱く季節でしかなかった。だからこんなあたたかい冬は、私が《雛翼》となったから得られたものなんだろう。

「…ナコちゃーん」
「なにー?」
「そろそろ休憩しようよ」
「んー?じゃあこの生地レンジに入れたら」

ふわふわした声が耳朶を打つ。しあわせそうに微笑んで、くるりと身をひるがえす。
ナコちゃんの部屋は、キッチンが大きい。なんでもせんせいに頼んでこうしてもらったのだという。みんなの部屋はそれぞれ個性がでているようにみえる。ナコちゃんの部屋はこのとおり趣味であるお菓子作りのためにあるみたいだし、白雪ちゃんの部屋はぬいぐるみだらけ。せんせいの部屋はなんだかあやしい実験道具とか、あきらかに地上の言語ではないもので記された本とかで埋もれていて、萌黄ちゃんの部屋にはゲームのソフトとかスポーツ雑誌とかが節操なく整頓されている。迷継ちゃんの部屋だけはかなり殺風景なのだけど、灯夜ちゃんの部屋は、入ったことないからわからない。入れてくれないのだ。

「んー…おなかすいたな」

本日何度目になるかわからないつぶやきを漏らして、私はこてりと首をかしげた。きゅう、と頼りなくお腹が鳴った。

◇◆◇

「…はむ。もぐ、もぐもぐ」

透明な皿にのったシフォンケーキを切り分けてナコちゃんが私の前に置いてくれたので、さっそく手を合わせていただきます。ふわふわの生地が美味しい。となりに添えられた生クリームをすくって食べた。ケーキが甘さ控えめなので、ちょうどいいとおもう。もしかしたら白雪ちゃんだったらもっと甘いのがいいなーとかいうのかもしれない。以前トーストに蜂蜜と砂糖とマーガリンをかけはじめたときはさすがにどうかと思った。

「…傘璃ちゃんは美味しそうに食べるね」
「むー?…んん、そう、かな」

やわらかい笑顔でナコちゃんがそう言う。だから私はちょっと考えて、あたたかいホットミルクに口をつけた。じんわりと熱がひろがる。袖口にかくれた指先を擦る。

「あのね、つくったひとからすると、それを目の前で美味しそうに食べてくれるのがうれしいんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」

ナコちゃんは自分のぶんのケーキを切り崩して、一口大になったそれを咀嚼する。のみこんで、「おいしい」とつぶやく。唇の端についたクリームを舐めとって、エメラルドみたいなその目をぱちりとさせた。

「むう…そういうものなのか」
「そうだよー?傘璃ちゃんは自分で料理したりしないの?」
「んー…しない…買う方が多いよ」
「へえー」

かちゃかちゃと音を立てて、ホットミルクの中身をかき回す。くるくると渦を巻く表面をみつめて、ふと謎がうかぶ。

「どうしてナコちゃんは料理好きなの?」
「え?どうして、って」

言葉を止めて、ナコちゃんはしばし黙った。唇を引き結び首をかしげて硬直し、「……」時計の秒針がひとまわりするくらいのあいだそのままかたまっていたけれど、やがて私がそれを見るのに飽きてケーキにざくざくフォークを突き刺し始めた頃になって、とつぜん頬をぼっと上気させた。りんごみたいな色に頬が染まる。

「へ?どうしたの、ナコちゃん」
「なななななんでもないよ自分が料理始めたときのこと思い出したりなんてしてないよ誰のために料理始めたのかとか思い出しちゃったりなんてしちゃったりしてないよ」
「え、あ、…そうですか」

赤い顔でぶんぶん手を振りながら言い張るナコちゃんに突っ込む気もなく、かくりと適当にうなずいてフォークを噛んだ。かちり、金属の音。やーん、と頬を押さえてふるふるゼリーみたいに揺れていたナコちゃんはぼけーとした眼の私に気づいたか、あわててしゃきりと姿勢を正した。まだ頬は赤い。

「ううん、ほ、ほんとになんでもないんだよ」
「うんうんわかったわかった」

半ば放り投げたかんじの返事をしながら目のなかをぐるぐるさせている彼女をなだめる。
これはきっとナコちゃんの初恋?のひとが関係しているのだろうなあ。むかし先生に聞いたけど。あまり深くはしらない。たぶんみんなも私の過去についてさらっと聞いたことがあるだろうから、そこのところはふかく追求しちゃいけない気もする。
ナコちゃんはしばらく深呼吸を繰り返して、やがて落ち着いたのかへにゃりと笑った。

「ごめんね取り乱して…」
「あ、自覚あったんだ」
「うん?」

どこまでもマイペースなナコちゃんは首をかしげた。萌黄ちゃんによれば私もじゅうぶんなマイペースらしいけれど…そんなことはない。ような気がする。もぐもぐとふたつめのケーキをほおばりつつ、私もそろって首をかしげた。

「そういえばさっき白雪ちゃんがそのへんにあったベリーのケーキかっさらっていったけど」
「あ、そういえばノアちゃんもチーズケーキもっていってた」

ということは、みなクリスマスという今日をだれかしらと過ごしているというわけだ。それはいいことだとおもう。すくなくとも、私が今ここでナコちゃんと談笑しながらケーキを食べていることは、楽しいことだとおもうし。

「ナコちゃんナコちゃん」
「んー?なあに」
「夜、チキン買ってきてたべたい」
「クリスマスだもんねー」

これくらいの希望は叶えられる、とおもう。しかも今日は聖夜なのだから、私の願いだって叶えられるはずだもの。ナコちゃんはうなずいて、「調理済みのやつ買ってくれば楽だねー」とかなんとか喋っている。楽しそうだ。それはいいこと。とてもうれしいこと。

この《雛翼》本部の時間の流れは不安定で、ふとしたときに春になり、ふとしたときに秋になる。人生の合間合間に存在するここで、こうしてなんらかのイベントを祝えるのはふしぎなことだ。あらゆる世界の統合地点、そんなここで、私はこうしてしあわせをなんとなしに感じて、また夜が明ける。明けたその日がカレンダー上の明日である確証はないし、明日私がどこかの世界に生れ落ちる可能性も否定しきれない。
願わくば、またその世界で、

「…ナコちゃん」
「なになに?」

私はなにかを言おうと唇をひらく。
さて、何を言おうかな。ほんの少し考えて、思いついた単語を舌にのせて空気に溶かす。そのつぶやきは、果たして今日にふさわしいものになるだろうか。

(Merry Christmas!)

◇スウィート・ホワイト・パッケージ