祈りに代えて星は瞬く
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「……そういえばふたりは残るんだね」
八百屋で林檎を片手に、ナデシコはふとそんなことを口にした。隣でなぜかすいかとかぼちゃを抱えていた双子はそろって首をかしげる。見開かれた目がぱちぱちとおおげさに瞬かれた。
「んん?」「なになに?」
「ティーくんたちと一緒に船を降りるっていう選択肢もあったでしょう」
言うと、双子はぷうと頬をふくらませた。不服そうな顔で、それぞれ手にした野菜をぶんぶんと振り回す。ひとの頭に直撃したら、どちらかがたやすく割れそうな勢いで。
「ひっどーい!」「僕らそんなハクジョーじゃないよ!」
「フギリでもないよね」「そうそう」
「僕らは行くよー」「当然!」
とりあえず八百屋の店員の視線が痛かったので野菜を棚に戻させて、ナデシコは「……ええと、」と会話を続ける。
「どうして?」
「どうしてだって」「グモンだね!」
「だって僕ら約束したもん」「いちばんはじめに船長と約束したもんね」
「……約束?」
ねーっ、ねー! と仲良さげにうなずきあうふたりに、ナデシコは眉をひそめる。船長、つまりヒスイとこの双子は、いったいなんの約束をしたというのだろう。
ナデシコはそれをふたりにたずねようとした。しかし、「買うならさっさとしてくれ」と騒がしい双子を睨む店員に声をかけられて、あわてて財布をとりだした。
支払いを済ませ、双子とともに八百屋を飛び出す。ここで目をつけられたらたまらない。この島はモルゲンレーテのすぐそばにあるのだ。万が一にでも、ナデシコの存在が組織の耳に入るなんてことは避けたかった。
八百屋を出て、商店街の中央を通る太い道に立つ。はあ、とため息をつくナデシコをよそに、道のまんなかできょろきょろしていた双子はなにか面白いものでも見つけたのか、八百屋の向かいに建っていた土産屋へと駆けていく。足取りは軽く、あっという間にふたつの背が遠ざかる。
ナデシコは双子を呼び止めかけたが、途中でやめた。流石に二連続で騒ぎを起こしそうになるほど彼らも馬鹿ではないと考えたのもあるし、ただ単純に面倒だと感じたからでもある。ナデシコはたまに結構ものぐさなところがあった。
ふたりが出てくるまで待っていようか、とナデシコが道の端に寄ろうとしたとき、
「そこのお嬢さん」
と──声が、した。海のなかに落ちたみたいにひんやりとして、たちのぼるあぶくのように透明で、それからどこか妖しげな響きを有した声だった。ナデシコは振り向いて、それから、
(──あれ?)
と、ふしぎに思う。どうして今自分は、声をかけられたのが自分だと確信して振り向いたのだろう──と。けれどもそんな疑問は些末なうちにうつろに消えてゆく。
振り向いた先には、ちいさな店があった。店、といっても、出店のようなものだ。粗末な台に黒い布きれをかぶせて、その手前と向こう側に、ぎりぎり椅子と呼べそうな木の箱がそれぞれ置いてある。手前には誰も座っていなかったが、奥には先客がいる。
「占いなんていかがかな」
ローブを被った人物である。性別はわからない。まとった黒一色のローブが、その人物の顔を覆い隠しているからだ。
見えるのは口もとだけ。白い肌にぽつんと浮かんだうすい唇だけが、闇に取り残されたようにしてそこにあった。
「……?」
ナデシコはいぶかしげにその人物を見つめた。占い、と言ったか。そう言われてみればその黒いローブも、机らしい台に並べられたよくわからない石やカードも、相手が占い師であることを証明しているようだった。
占い師は唇だけでにこにこ笑っている。ナデシコは困ってまわりに視線をやるが、通行人は誰もこちらのことを気にせず、すたすたと歩き去っていく。どうやらこれは、とりたてて注目すべき意欲も湧かぬ程度には日常的な風景らしい。
しかし──いま目の前に座るそのひとは、あまりにもあやしかった。くわえて、ナデシコは占いになど興味はない。だから、断ろう、そう思って口をひらくが、
「今日は客入りが悪くてね、朝からずうっと暇しているんだ」
などと、狙ったかのようなタイミングで占い師がしゃべりだしたために閉口する。
「一日仕事をしないだけで鈍ってしまうんだよ。お嬢さんさえ良ければつきあってくれないかな? ああもちろんお代はいらないよ、きみの貴重な時間をわけてもらうのだから」
「…………」
矢継ぎ早に言葉をかさねる占い師。あやしい。どう見てもあやしい。今の流れるような言葉たちも胡散臭い。けれど──
(……敵意も悪意も、ない)
ナデシコの感覚が、目の前にいる存在に害はないと告げている。ナデシコは痛みに鈍感だったが、そのぶん他者から向けられる害ある視線には敏感であると自負していた。ただしそれは、彼女が正しく危機感を覚えることができる、ということにはつながらないのだが。
「連れのふたりが戻ってくるまでのひまつぶしだと思って、ね?」
占い師はずいぶんと前からナデシコたちのことを見ていたらしい。しばらくナデシコは考えて、まあいいか、と占い師の前の椅子に座った。双子が土産屋から出てくるまで、きっともうしばらくかかるだろうし。
椅子に座ったナデシコに占い師は感謝の意をつらつらと述べたのち、
「それでははじめようかな」
と言った。てっきり水晶玉をのぞきこんだりカードを選ばせたりすると思っていたナデシコは、それきり黙り込んだ占い師を怪訝に思う。しばらく相手の沈黙にあわせて黙っていたが、それがあまりにも長いので、首をかしげてそのひとの顔あたりをうかがってみて──そこで、気づく。
占い師は黙ったまま、ナデシコの顔を凝視していた。目深にかぶったフードで目もとは隠されていたが、それでも確かに、分厚い布越しに視線を感じた。まるで視線でこちらを貫かんとするかのごとく、まっすぐにナデシコのことを観察している。
妙な居心地の悪さだった。視線自体が粘ついているとかそういうわけではなく、ただ、心臓のうらがわまで見通されてしまうような、そういう感覚。ひとと接するうえで人間が無意識のうちに広げているベールさえ意味をなさなくなるほど、なにもかもを白日の下にさらしてしまう眼だと、思った。
「──っ、」
「……おや。ああ、申し訳ない」
その感覚にナデシコが息を詰まらせそうになったとき、ふつ、と視線が途切れた。いつのまにか自分が視線からのがれるようにうつむいていたことに気づいて、顔を上げる。石を呑みこんだかのように、胸のあたりが妙に重苦しい。
占い師は頬のあたりを指で掻いて、謝罪の言葉を口にした。
「気分を悪くさせるつもりはなかったんだ」
「え、っと……」
「私の占いかたは『これ』でね。もうあらかた占い終えたから、大丈夫だよ」
「はあ……」
「それにしても──」
酩酊に近い状態でゆらゆら揺れている頭を手で押さえる。今まで感じたことのないような感覚に目を細めているナデシコに、占い師はなにかを言った。霧のようにぼやけるその声は、じわじわとナデシコの意識に溶け消える。
────かわいそうに
「……?」
ナデシコはゆっくりと首をかしげる。言われた言葉の意味を、理解できなかった。聞こえたはずの声が、頭のなかでゆらめいて輪郭をうしなっていく。
占い師は先の台詞などなかったかのように笑うと、ぱっと手のひらをひらいて顔の横で振ってみせた。やけに白い手が、ナデシコの網膜に軌跡を残す。
「ひととおり占い終えたからね。結果を伝えようと思うけれど、いいかな」
「……どうぞ」
「うん」
それじゃあ、と占い師はローブの向こうで笑みを深くした。
「緑の獣に気をつけて」
「…………え?」
ぞわ、と、皮膚が粟立つ。たった一言に、息が止まった。自分のからだのずっと奥で、冷えきったなにかがざわめく。ざわざわと、不吉な風をよこす。
それがどうしてなのか、ナデシコにはわからない。けれどその単語には、聞き覚えがあった。それはいつか、コーラルが口にしていたような──
「それは、どういう──」
なにもわからぬまま、とっさにナデシコが聞き返そうとしたとき、
「ナコナコ?」
と自らを呼ぶ声がナデシコの思考をまっぷたつに断つ。はっと振り返れば、土産屋から出てきたらしい双子がうしろに立っていて、ふしぎそうに出店を見つめていた。
「何してんの?」「なにこれ占い?」
「えっと、これは……」
「……お連れ様が戻ってきたようでなにより」
ナデシコが答えに窮しているうちに、占い師がそんなことを言う。視線をやると、占い師のからだからは先ほどまでの凄みのような迫力が消えていた。最初に声をかけてきたときと同じく、その存在感は闇にまぎれて限りなく薄まっている。
占い師はばさりとローブをはためかせ、ゆらりと胸の前で指を組んだ。細く、思っていたよりもちいさな手だった。すらりとまっすぐに伸びたしろい指、その爪の先はコバルトブルーに彩られている。
「それではこれにて店じまい、だ。はやくお家へ帰ると良いよ」
聞きたいことは、まだあった。けれどふしぎと、その声にナデシコは席を立ってしまう。まるで魔法でもかけられたみたいに。
そのままきょとんとしている双子のもとへと歩いて、それでも後ろ髪をひかれる思いで、振り返る。占い師は粗末な椅子に座ったまま、フードの奥からナデシコを見上げていた。
「……きみの生が、価値あるものとなりますように」
占い師の声が遠く聞こえる。見開いた瞳が切り取る視界のなかで、ローブの端から覗いた眼を見た。猫のように細められた、青く光るその双眸を。