唯一でなければ意味がない

「煙草」
急になにを言い出すかと思えば、床にぺたんと座り込みさまざまな物に囲まれた蓮月は、一つの小さな箱を掲げていた。
「ああ、全部捨てたと思ってたが、まだあったわけか」
「開封済みだ!」
箱の中身を覗き込んで、なにが面白いのか目の前の女は声を弾ませた。
このままだと面倒なことになるな、いや、手遅れかもな、と思いながら、足の踏み場もない床をひょいひょいと、下手なタップダンスをするように蓮月の元へ向かう。
「ほら、それもゴミ行きだから」
「もう吸わないの?」
ほら、やっぱり手遅れだった。
そもそも、らしくもなく部屋の掃除をするかと共有倉庫からゴミ袋を持ってきたところを蓮月に見られた時点で手遅れだったのだ。久しくやる気が出たとはいえ、一人でものろのろと動きが鈍くなるだろうに、横からちょっかいを出す存在はどう考えても掃除の邪魔にしかならない。
「コレ、前は持ち歩いてたでしょ?」
煙草を止める原因……きっかけとなった女は、猫のような目と表させるそれを輝かせて言った。
「吸わない。肝臓に悪いから」
「1日1煙草だったくせに何を言う」
「まて蓮月、なぜ知ってる」
何回か吸ってる場所を見られたことを知ってるし、煙草を吸う人種であることはおそらくルノグを通して聞いているはずなのも知っていた。だが、1日に1回の頻度で吸っていたことをなぜ知っている? ルノグはそんなどうしようもない細かい情報を言う人だったか。
「ライラに聞いた!」
「なぜあいつが知ってる!?」
お酒だけじゃなかったの、と冷たい目を向けるパートナーの姿が浮かんだ。お酒を飲むことにあまり良い顔をしない(おそらく量の問題ではあるのだろうが)彼女に、昔は煙草もルーティーンで吸ってましたなんて知られたらまずい、とさりげなく隠していたというのに。
「うーん。あの子、一時期留哉のことを調べてたから、その時知ったんじゃない?」
「……あー、なるほどねー……」
あの子が、今のようになる少し前のこと。それまでは教えられたことをただ吸収して、言われたことをただこなすだけだったライラは、急に自分であれこれと知識を埋め始めた。
最初は図書館、資料室。次にハナハナなどあいつに好意的に接していた人、そしてなんとボスに直接話を聞きに行くこともあった。
相変わらずこちらには反抗的な視線を向けていたが、とにかくあの子は世界機関、各世界についてなど、ありとあらゆる知識を、死に物狂いでかき集めていた時期があった。

ーーここに、いるよ。

彼女は最後の最後でようやく、こちらに真正面から顔を向けて、視線を逸らさずにそう言った。
鋭い視線もなく、肩には力なんて一切入れず、けれど表情のそれは決して安らかではなく、ぼう、としていた。
その日から、ライラは〝どこかぼんやりとした人〟になった。
「ライラ、何も言ってないけどたぶん、シークレットな情報も幾つか掴んでると思うよ」
「……無駄にコンピューター技術が発達してたな、そういえば」
「ん、留哉知らなかった? わたしが知ったのは本当に偶然なのだけど。じゃあ天才だねライラ。そのうち情報管理部からも声が掛かったりして」
にひひと笑う蓮月を見下ろしながら、思考を巡らせる。
その時のライラはまだ、蓮月のお気に入りではなかった。ーーまだ、シグナルの危険端子であったから。むしろ、警戒していた方だ。「ちゃんと手綱握ってなよ」と言われたのも一回ではなかった。
なので、その時期にライラが許可なくシークレットレベルの情報を漁ったというならば、この女は迷いなく勝手に処罰を下すのではないか?
組織に反抗する者は許さない、組織を否定する者の存在を肯定することができない。シグナルに対して自分とひどく似た感情を持つ蓮月。
「……お前、ライラを評価していたのか」
「んーん?」
次の獲物とばかりに、衣類の山を漁り始めた(切実にやめろこっちが殺される)蓮月は、曖昧な返事をした。
「ライラを完全に敵とは見てなかったのか?」
「あぁ、なるほど。いや、最初は衝動的にやらかしそうな人だなぁて思ってはいたけれど……ん、留哉! この靴下穴が空いてる! あとこっちの下着は」
「蓮月お前まじでやめてほんとうこっちの命が危ないんだわ」
異性の下着を手に取るな眺めるな。こんなところで使いたくなかった素早さで下着と靴下を回収してゴミ袋に投げ入れる。
「どっちに転ぶかな、とは思ってたよ」
「何事もなかったかのように話続けるのか」
蓮月は立ち上がって、スカートやシャツをぽんぽんと叩く。ふわりと埃が舞い、女の長い髪にもそれがまとわりつく。
換気しているとはいえ、埃だらけになったこの部屋に長居させるのも駄目だなと、話の途中だかそろそろ追い出すことを決め、手を差し出す。どうせ、この女もこれ以上話すつもりはないだろうから。
蓮月は差し出された手にくすりと笑い、言いたいことは分かったとばかりに手を取らず玄関へと向かった。なにを踏もうが、蹴ろうが関係ないというふうに、己が歩くところが道だというように、物を避けずにただ歩いていた。
玄関までたどり着き、ガチャリと扉を開いた蓮月は、くるりとこちらを振り返った。
とても楽しそうに弧を描く口元。それでいてどこか突き放すような冷たさを感じられる瞳。
「あの子はね、同じだよ、わたしと」
パタンと、蓮月とこっちを隔てる扉は閉じられた。
「……面倒だな、女って」
そう呟く。さて、掃除の続きを。
「あ! そうだ!」
「いやお前雰囲気壊すの得意な」
バーンと扉を開けて、再び登場して蓮月に頭を押さえる。このテンションの激しい差は、あの黒髪ポニーテールにも見られるものだなと考える。さすが医務室育ちというべきか、いやでも矢萩は戦闘さえ絡まなければほぼ一定のテンションか。
「煙草! これ、吸わない?」
蓮月が片手に持っていたのは、先ほど発掘された煙草であった。そうか、そういえば、元はその煙草から発した話題だった。
「あー、もう何年もやってないから、別に……」
素直にそういうと、蓮月はええ、と不満そうに声を上げた。
「留哉の煙草吸う姿、格好良いなって思っててさぁ! ねぇ、捨てる前に一本やんない? ね、ちょっとだけ!」
「やぁよ、お前の保護者が怖いし、ライラに臭いて睨まれるのも無理」
「ハナハナ? ハナハナは保護者じゃないよぉ! ていうか、わたしこそ疑問なんだけど、留哉はいつからそんなライラに好かれたくなったの?」
……ああ、これだ。
ほんとうにこの女は、的確な場所を突いていく。
「……好いている相手には好かれたいでしょ?」
「あっは!」
目を細めて、口元を歪ませて。心底愉快そうに、全てがおかしいというように、蓮月は笑った。
「嘘つき」
短くそう言うと、煙草をぽーんとこちらに投げる。じゃあね〜と再度扉は閉じられ、向こうでパタパタと走る音が小さくなっていき、やがて消えた。
ため息をつき、片手で受け取った煙草のパッケージを見る。どの世界で入手したものか、どのような味であったか、なにも覚えていなかった。
くしゃりと手の中の煙草を握りつぶし、ゴミ袋に捨てる。

「嘘ではないさ」
まぁ、でも。
他のだれから「好き」を返されようが、どうでもいいのは確かであるが。

ふと視界に入った鏡に映る嗤った顔が、どうにもあの子が無言で逃げそうな面だったので、思わず割って、諸々のゴミとともに翌日破棄される運命となった。