天使と悪魔と阿宮さんc

1年前の夏休み、女子は1人暑い道を歩いていた。家でうだうだしていたら、急にアイスが食べたくなった。女子は、思いついたが吉だとすぐさま近くのコンビニに出掛けた。女子の両親は、一ヶ月に一回しか家に帰らないぐらいには仕事人間だったので、女子は基本1人だった。基本1人のくせに、アイスを一気に10個も買ってしまっていた。だから女子は、家に帰った時、見ず知らずの人が、自分の兄としてごく当たり前のようにリビングに座っていたとき、困るどころかちょうど良かったのだった。
アイスもお金も外に出て歩いたぶんの体力も、無駄にはならなかったのだから。

「かいら」
女子は、一枚の紙に書かれた文字を読み上げる。
「わたしのお兄さんの本名は、かいらというのね」
「ついでに正式には片仮名表記だ」
「天使と悪魔には名前があるの?」
「あるっちゃあるが…」
「いまこの世界にいる天使と悪魔はそれぞれ僕らだけだから、名前で判別する必要がないんだ」
「へぇ…」
そう言いながら、悪魔の下敷きになっている自分の元兄を、女子は見下ろした。さきほど、インターホンもなしに家に突撃もとい進入してきた天使と悪魔は、問答無用で完膚なきまでに女子の元兄を叩きのめした。それを女子はソファからアイスを食べながら眺めていた。その間に、天使が女子の元兄の本名を教えたということだ。
「ところで、なんで名前を口頭じゃなくて紙で伝えたの」
「〝できれば口にしたくない〟名前だからだよ。ねぇー?カラスもどき」
「うっせぇ…くっそ…なんでてめぇらがここにいる…」
「ごめん、お兄さん。わたしがバラした」
お前か、と睨んでくる元兄をスルーして、女子は名前が書かれた紙を丁寧にたたむ。それをみながら、悪魔はしゃがみこんで女子の元兄に囁く。
「君さぁ、もしかしなくても、阿宮に暗示かけたんだよねぇ?」
「…かけたさ…。まさか、効いていないとは思わなかった…。」
「効いていない上で見ず知らずの自称兄と一年間暮らしてたって…」
2人の会話を聞いていた天使が、苦い顔をして呟く。
「まぁそれは置いといて、女子高生の兄になりすまして二人暮らしするなんて、罪は重いと思うよ?」
「いやまて!断じて違うぜ!?そういう趣味があったわけじゃねぇよ!?」
「それで、これから君たちはどうするの?」
「ん?」
「え?」
突然話しかけられた天使と元兄は、やや間抜けな声を出す。
「どうって?」
悪魔はにこりと笑いながら首を傾げる。それをみて、女子もかくんと首を傾げる。
「お兄さ…カイラさんを、連れて帰るの?」
「あー……いや、その…えー…」
口ごもる天使の反応に、女子はさらに首を傾げる。
「いやそれ身体も横に反ってるし」
女子は体勢を元に戻した。
「何かあったの?」
「俺は帰らねぇぞ!!」
未だにじたばたしている女子の元兄を見て、悪魔はため息をつく。
「さっき、神様に連絡を入れたんだよね。ペット見つけましたよーて」
「なぁぁ!?」
女子の元兄は変な声を出してぱたりと突っ伏した。女子はとてとてと側に寄って行き、頭をぺしぺしと叩く。生きてるー?と問いかければ、うぁぁぁぁとよくわからない呻き声で返事が返った。
「もうしばらく、ここにいるように、だそうだよ」
「うぁぁ……あ?…え?」
「大事なペット、連れ戻すんじゃないの?」
女子の元兄は突っ伏したまま間抜けな声を出し、女子は冷静に質問をしていく。なにしろ、この自分の元兄が帰ってしまったら、女子自身にとある不利益が生じる。それは重大な問題なのである。だからこそ、ここで元兄がこの天使と悪魔に引っ張られていくようならば、なにかしらの手を打たなければと思っていた。とりあえず、夕飯のビーフシチューでどうだろうか。なかなかの賄賂になるのではないかと女子は考えた。ところが、
「いやー、それがね、もうしばらくここにいることになったんだよ」
悪魔があははーと笑いながら言った。
「え、うぇっまじで!?!」
キランっと目を輝かせた女子の元兄に反して、女子は再びかくん、と首を傾げる。
「なんで?」
「あー神様曰く『暫くそちらで頭を冷やしてから帰れ餓鬼』だってさ」
「…」
女子は静かに腕をさすった。確かに、いま、ひやっと空気が冷えた。
「悪魔、お前やっぱり神様のモノマネうまいな」
「ありがとー、天使」
あれが完璧な物真似だとしたら、神様まじおこじゃないですかーと女子は思った。それは女子の元兄も同じだったらしく、さっきまで輝いていた目はすでに虚ろになっていた。まるで屍のようである。
「じゃあ、お兄さんはまだ暫くはわたしのお兄さん?」
「そうだね、この人はまだ暫くは阿宮のお兄さんだね」
女子は悪魔のその言葉に、わずかに口元を緩めて、少しだが、笑った。それは天使と悪魔が女子に接触してからいままでの2週間の間で初めてみた表情であった。
「なんだ、きみ、阿宮に好かれてたわけ?」
「はっ期間限定とはいえ俺はこいつの兄だぞ。当たり前だろ」
「いや、さほど好んではないやごめん」
わぁ瞬殺、と悪魔が笑いながらいう。
元兄は再び床に突っ伏した。
「じゃあ、なにが嬉しいの?」
「嬉しい…?……嬉しいかは分からないけど、」
女子はちらりと台所に視線を送る。そこには、学校帰りに作り上げた2人分×夕食と明日の朝食ともに夕食のビーフシチューが大きいお鍋の中で出来上がっていた。
「1人分の料理を作るのは、ちょっと面倒だから」



『おかえり、今日の夕食のメニュー、なに?』
『アイス?はぁ?なに言ってんのお前、不健康』
『いつも俺と自分の分作ってんだろ。いつもみたいに作ればいいだろう。お腹空いたんだから、早くしろって』
それは君が作った設定だったけれど。
その設定に合わせたのは、わたしだ。