aとbの話

屋上からの眺めはいいとは言えなかった。見える景色はビル街で、高いところに登っても、それ以上に高いところがあって、空はそれに遮られる。月が見えない。別の場所からだったら、月は見えるのだろうか。

「きみは、」

手すりに寄りかかる、彼に問う。
黒髪がサラサラと揺れて、くるりとこちらを振り返る彼の顔は、とても綺麗で見惚れてしまう。最も、そんなこと顔にも態度にも視覚にも口にも出さないけれど。わたしは彼に惚れてはならないのだ、決して。
だからと言って、彼を見捨てろなどと、そんなこと出来るはずがないのだ。

「本当に、空を飛ぶつもりなの?」

ただただ普通に質問する。質問の奥に、飛べるわけがない、それをいますぐやめろ、馬鹿なのきみは、という言葉を隠す。彼は頭がいいから、それに気づかないはずがない。

「うん」

そして、彼はそう知っていてもこう答える。
やめてくれ、本当に。こっちの気も知らずに、君は、この狭い空間を飛ぶというの。

「飛べるよ、俺はね」

待て、など、行くな、など。
わたしに言えるはずがない。
手を伸ばすことなど、駆け出すことなど、わたしにできると思っているの?

彼は、黙ったわたしに薄く笑って見せて、駆け出した。視界から消える彼を見て、わたしは、ああ、と深く呼吸をする。わたしは、ただただ、彼がいた場所を見つめる。

「………………嘘つき」

狭い空気が、わたしは嫌い。