夜に慣れた冷たい熱
彼女の胸に顔を寄せて、鼓動を聞く。
ありとあらゆる物語に出てくるこんな行為が、自身に歓喜と憎悪をもたらす。そして罪を浴びせられ、けれど謝罪どころか首を垂れることすらできない。意味がない。やるわけにはいかない。
すぅすぅと小さく寝息が聞こえて、起き上がって彼女の顔を見る。綺麗というよりは可愛らしい、というのが合っている彼女は、寝ているとさらに幼く見える。その頬を手の甲で撫で、顔にかかった前髪を整える。
ーー喉が渇いた。
のっそりと起き上がり、しっかりと彼女に布団を被せてベッドから出る。椅子にかけられたカーディガンを羽織って、部屋を出るとき、ちらりと彼女を見る。静かにのんびりと布団が上下していて、ぐっすり眠っているのが分かった。
せめてその安らかな眠りが妨げられないようにしたいと、そんなくだらないことを思ってしまうようになったのはいつからだったか。
『 』
声にならない悲鳴と、泣き声。苦しそうに喘ぎ歪まれた顔。身体を折り曲げて自分自身を抱きしめる細い腕。汚い赤色が、悍しい呪いが、彼女を指先まで染めてーー。
きゅっと蛇口を捻り、水を止める。すると同時に、先ほどまで頭に流れていた光景もぱっと消える。
「……しっかりしろ、馬鹿が」
そう吐き捨てて、手を強く握る。いっそこの身体に傷をつけ、切り刻むのが正しいのではないかと、そうした己の姿を思い浮かべて、彼女を泣かせるまでを想像して、やめる。その繰り返しだ。
くしゃりと乱暴に頭を掻き、グラスに入った水を一気に飲んで、深く息を吐く。
レウと話がしたいなと、思った。
明日……いや、今日か。今日、彼女は仕事が休みであったはずなので、ゆっくり部屋で寛ごう。それはとても穏やかで、静かなーー。
「……レウ?」
部屋の扉を開けると、さっきまで寝ていたはずの彼女が、ベッドから消えていた。
どくんと心臓が大きくなり、同時にくらりと目眩がした。
どこに、なぜ、彼女がいないのか。さっきまでいたはず。さっきまであった……あったはずの命を、壊して、彼女をそうし、たの、は、
ーー俺、じゃないか。
「あ、なーくん、みてみて!」
「っ!」
彼女がいた。
窓の外、寝間着のまま、さっきまで熟睡していたとは思えないほどの輝かしい笑みと明るい声で彼女は、手をこちらに伸ばした。
「レウ、こんな時間になにして、」
「こっちこっち! 来て!」
連れ戻そうと重ねた手を、彼女はぐいっと引っ張る。単純な力では負けないはずなのに、今はあっさりと、それに抗うこともできずに自分も窓を超えて外に出る。
ステップを踏むように走る彼女は裸足で、咎めようと口を開いたら、彼女はあっち! と指を差す。
「【深海】がきらきらしてるの! 星空みたいだよね、ほんと! 時々こうなるけど、どんな仕組みかなぁ」
裁判所は【深海】の中にあり、膜の向こう側は暗く、微かに水の音が聴こえるとても静かな世界だ。その【深海】が、なにかの光が差し込んで反射したかのようにちらちらと輝いていた。この現象をうまく説明することはできないが、彼女はこれがとても好きで、見つけると仕事でない限り全てを放って飽きずにずっと眺めるのだ。
そして、その時に自分を引っ張っていくのも、恒例のことだった。
立ち止まった彼女は両腕をぎゅっと自分の右腕に絡ませて、向こう側よりもさらに強い輝きを持った瞳でこちらを見上げた。
「ね! いつも綺麗だよね!」
彼女が触れたところからじんわりとした暖かさが染みて、ああ、と思わず零す。
彼女はそれを【深海】の輝きを見て出たものだと思ったようで、「なーくんと見れて嬉し」と無邪気にはしゃぐ。
それがあまりにも可愛くて、酷く焦がれて、心を黒く塗り潰してしまうから。
レウにキスをして、笑って見せた。
彼女を抱きしめて、首筋に顔を寄せて。手を絡ませて、そしてどうかずっと、ずっと可愛く笑っていて欲しい。
そんな小さなことでさえ祈りに変えてしまったのは、他でもない自分であると繰り返し唱えて、自身を縛る。
そうやって今日も俺は、彼女と罪を抱いて生きる。