名前を一回呼ぶだけで、彼女はすぐにこっちを見る。たとえ人混みの中で、色んな声が入り混じってても、彼女は必ず自分の名前を呼ぶ人を見つける。だからちびっ子達は、彼女とはぐれたらとにかく名前を呼ぶのが正解だと言われなくても分かっていた。彼女もそれを承知していた。
「なにかあったら、名前を呼んで。近くにいる限り…その声が聞こえる限り、わたしは必ずあなた達を見つけるから。」
記憶にある限り、彼女がそれを裏切ったことなど、一度もない。

水面の下で月に乞え 7


パリン、と小型通信機が割れます。あぁ勿体無い。
「ごめんねー?出会い頭こんな野蛮なことしちゃってー」
「自覚はあるんですか…」
さて、どうしましょう。まさかここで裁判所の長さんに会うとは。シグナルもまんまとこの人に逃げられるなんて、裁判所を甘くみてたのでしょうか。いえ、それよりもこの状況。
「やっほートキ、久しぶり!」
「…なんであんたがここにいる…」
裁判所がふたり。これはいささかまずいのでは、と思っていた。が、トキ自体なぜ長がここにいるのか分からないらしく、それになんだか、その。さっきからすごく、トキが不機嫌です。負のオーラがすごいです。あれ、もしかしてお二人、犬も食わない云々じゃない方面の本気で仲が悪いパターンです?あれ、それは夫婦の話でしたっけ…?ともかく、それはそれで助かります。明らかにいまこっちが不利な状況です。しかし、そうならないのもなにか違和感ありまくりで…。そう悶々してる間にも、2人は…いえ、長が一方的にトキに話しかけまくります。
「で、リアには会えたの?」
リア。その言葉を聞いて、さっきの白い少女を思い出します。
「……いた。………」
そう返事したトキが、ふと目線をこちらに向けます。そのとたん、わたしは嫌な予感がしたのです。ざわりと、静まったはずの胸が揺れて……、
「…お前、」
「知らない」
トキがなにかを言う前に答えます。なにを聞いてこようが、わたしの返事はこれのみです。わたしは彼のことを、知らない…覚えてないのだから。もちろんトキがそれに納得するはずもないですが。
「………元いた世界の、知り合いか」
何か言うと思ったら、本当に人がイラつくことしか言わないのです。
「…わたしが知ってるのは、それだけ。あとはなにも知らない。覚えてない。」
もうなにも聞くな、という意味を込めて言います。口数少ないトキは、少ない言葉のうちから相手の真意を読み取るのが上手いはずです。そういう人だと、ここ暫くの監視の中で受け取りました。むかつく態度だと思いましたが、いまの状況ではそれが役立つと言えます。…なんて都合がいい人なんでしょうね、わたしは。
「…そうか、」
案の定、トキはそれ以上はなにも聞こうとしません。しかし。
「むかしの知り合いにあったの?へぇ!」
…空気を読まない人が一名。…いえ、まさか、わざとでしょうか。
「ね、ね。どう、むかしの知り合いが不死だった感想は?ショック?悲しい?それともそんなの関係なしにまた会えて嬉しい?」
「…なんなんですか、あなた」
この人は…さっきまでの会話を聞いていなかったのでしょうか。知らない、と言ったはずです。嘘ですけど。ショック?悲しい?嬉しい?そんなことあるわけないでしょう。どうでもいい…というか、これはあってはならないことなのです。むかしのことに触れるなんて。決して、あってはならないのです。だって、わたしはもうそれを捨てたのだからー。
「うーん、不機嫌だねぇ?トキみたいだ。でもさ、トキはよかったじゃない。」
最初からわたしのことにそんな興味もなかったのでしょう、彼は再びトキに話しかけます。…というか、よかった、とは?
「リアがここにいるならー、」
ひゅん、と風を切る音。
とても素早いけれど、それをわたしは見逃すことなく捉えることができました。
トキが、足を踏み出し、ポケットからナイフを出し、それを長の首筋に当てる、その瞬間を。
「ーー貴様が、」
ぞわり、と。全身が震え上がるほどの。
「ーーーな、に…」
殺気。
「貴様が、その名前を口にするな」
一歩、後ろへと下がります。
なに…なんですか、これは。
さきほどの不死に対するものとは比べものにならない殺気。それを、この人は。自分の長に?
そして、その長は笑みを消すことなく。
「ーーーはは、ごめんごめん!」
笑って謝るのでした。その異様な光景を、わたしはただ見ていることしかできません。心臓がばくばくし、呼吸が乱れそうになるのをなんとか抑えます。ほんとうに…トキは一体、なんなのでしょうか。常に無表情かと思えば急に不機嫌になったり、長に対してのあの殺気。そして、不死に対する…あれは、一体…。
「不死について考えてる?」
「…え、」
気づくと、長の顔が目の前に。ほんとうに、目の前にあってびくっと体が跳ね上がります。
「教えてあげよっか?」
にやり、と彼は笑う。その笑みは、先程からしていた笑みとは、また、別の。殺気とも違う……、これ、は?
「…なんなん、ですか…あなたは…」
それさっきも聞いたー、とけらけらと彼はけらけら笑う、笑う。不気味、そう、不気味。この人を表すのに最も最適な言葉は、不気味でしょう。
「不死について、知ってること。教えてあげよっか?」
「…あなたは、それを…なぜ、わたしに?」
シグナルの尋問ではなく、なぜ、いま、ここでわたしに。…いや、ここは、素直に聞いとくべきなのでしょうか。…聞いた後、なんらかで用済みだと言って殺される可能性もあります。が、仮に無事に帰れたとしたら、彼の情報をわたしが得ていることは大いに役立つのでは?……ここは、どうするべきなのでしょう…?
留哉なら、どうするのでしょう?
「ー、」
口を開き、言葉を発しようとしたその時。
「っ!?」
「ちっ」
「ああ、」
ピリッとした気配とともに、それはやってきたのです。
黒く丸い物体。
ぽーんと投げ出されたように、空中に弧を描きそれはやってきたのです。
三人それぞれが別方向に退いたその瞬間、カツン、と物体が地面に着地し、凄まじい音とともに地面が割れます。砂埃の中で出来る限り視野を広げてみると、トキも長も無事なのが見えます。
「あぁ、もう、邪魔だねこれ」
長がそういうと、ずるりと手から剣を出しました。そして、その剣を長はひゅっと一振り…、
そして、砂埃を全て払いのけました。
別空間から剣を取り出した…つまり、魔力持ち。やはり、組織のトップであるからには持っていて当然でしょう。いえ、それよりもー、まさか。
「ひとり、ふえ、た」
ここで、不死が再び来るとは。
ーなぜ?あのとき追いかけてこなかったのに。
白い少女ーリアが、ゆらりと立っています。
「やぁ、不死のリーダーさん、何百年ぶりかな。裁判所襲撃のときでさえ会わなかったのに、まさかここで会うとは」
「、は!?」
裁判所…襲撃?完全に初耳情報です。不死が…裁判所を?…そして、トキだけでなく、この人もリアちゃんをリーダーと呼ぶ…。
ああもう分からないことだらけで、なにがなんだか。いまこの空間において異質物を除くとしたら、それは不死の少女でなくわたしでしょう。それほどまでに、いま目の前でなにがーなんの会話が、行われているか分からない。
「てき、は、」
そして、そんなわたしを置いてきぼりにして。
「ころす」
白い少女は動く。

パリンッと音がした。

リアが長に近づき、蹴りを入れます。
長が魔法でガードを出して。
リアがそのガードを白く細い足で割ります。
わずか、1秒。
やっと、そう認識できる、そのぐらいに早い攻撃と防御。
「な、んー…」
これは、聞いてないです。
裁判所が…裁判所の長が、ここまで強いなんて、聞いてないです。否、きっとこれは。
彼が隠していた、本当の実力…?
素早い動きの不死に、ぽんぽんと防御魔法を出し続け、時に体を捻って避けます。魔力体力反射神経ーそして、なによりも速い。
「裁判員No.2トキ、」
「っ!」
それを感じて、わたしはなにかを考える前に後ろへと跳びます。

「〝虚実〟」

とたん、未だに攻防を続けている長とリアをぐるりと囲むように大量のナイフが現れ、2人に向かって飛んでいきます。隣の、その攻撃を発したトキを見ます。
ー裁判員特有の、武器と魔法の融合攻撃。
魔力を上乗せすることで、武器と本人の実力の倍以上の力を発揮するそれ。
それをトキは、敵だけじゃなくて自分のリーダーにも、容赦なく当てに行ったのです。
そして、

ガキンッ

「ちょっとちょっとー!さすがに酷くない!?トキ!」
それらを全てはねのけて、まるで何事もなかったかのように長はその場に立っています。ーが、
「ー、う、ー…」
リアには、容赦なく幾つものナイフが身体中に刺さっています。ごふっとリアが赤い血を吐き、白い服が、白い肌が、白い髪が、赤に染まっていきます。
「あー、やだやだ」
それをみて、長は目を細めます。ここにきて、初めて、笑みが少し崩れます。しかしそれも束の間で。
しゅるんっとリアの赤が身体の中に戻っていき、再び白くなっていくリアをみて、長は笑みを元に戻しました。
「不死の戦い方、ほんっと吐き気がするねー」
ぎゅっと、長は片手の剣を握ります。
「ーーー失せろ、化け物」
それは、裁判所長による不死への反撃宣言。
そして、

「ライラ!」

向こうからわたしの名前を呼ぶ過去は。

わたしに、一体なにを求めるというのでしょう?