目を塞いでも、耳を塞いでも、もう手遅れなのです。
だって箱は空いてしまったのです。
蓋は閉まっていたはずなのに。鍵もちゃんとつけたはずなのに。箱からぽろぽろと溢れるそれのひとつひとつに、目の前の少年がいます。
「…、…………」
彼は自分と同い年。
彼は家族思い。
彼は喧嘩っ早い。
彼は家族のために強くなった。
彼は爆弾を作ることができた。
彼はよく一緒にかけっこをした。
彼は、そうだ、彼は。
「シグナル、」
急にぐいっと襟を引っ張られて、バランスを崩したわたしはどしゃっと転びます。ひりひりと頰に痛みが伝わると同時に、さきほどまでぼやぼやしていたあの日々がすぅ、と消えていきました。とたん、ひゅんっとナイフがわたしの頭上を通過します。転ばなかったら、明らかに刺さってる位置です。
「っ!」
それはトキのナイフでしたが、もちろんトキが投げたわけではありません。では誰が…。痛む頰を撫でながら、顔を上げます。トキは一点をじろりと見つめていました。そして、その視線の先に。
「……、え…」
彼の隣に。
白い少女がいました。
水面の下で月に乞え 6
肌はトキよりもずっと白く。
髪も白で。
真っ白なワンピースがゆらゆらと揺れています。
この荒れ果てた地においてどこまでも異様な存在が、そこに立っていました。
「リア、」
彼が名前を呼びます。彼の仲間…?と、いうことは…
「お出ましか、不死のリーダー」
「………、トキ…?」
不死の後に続くリーダーという言葉が謎ですが、それよりも。
「っ、」
なぜでしょう。トキが、笑っているような気がしたのです。顔は今まで通りの無表情なのに、その声が。まるで、彼女を待っていたかのような。
「………ひさ、し、ぶり…さい、ばん…しょ」
対して、リアと呼ばれた少女のほうは目を細めてこちら…いえ、トキを睨んでいました。
「…トキ、どういう…」
「お前には関係ない」
…………。
なんなんですかこの人。この状況においてまだそんなことを言うとは、なんなんですか本当。
「裁判所、No.2、トキ。これより裁判をー、」
「しないでください!」
てい、とわたしはトキに全力で体当たりします。いきなり起き上がった上にそのような行動に出るとはトキは予想出来なかったらしく、抵抗ないままにどしーんと地面にわたし共々倒れます。わたしと地面にサンドイッチされる形で。
「かーらーのー!」
そして素早く起き上がり、問答無用でトキを担ぎ上げます。
「っ!?お前っ」
「怪我人は黙ってて下さい!!」
「俺は置いていけ!お前だけ逃げればいいだろう!!」
「担ぎ上げられてもろくに抵抗出来ない人が戦えるはずないでしょう!馬鹿なんですね!」
「っ」
そう言われて黙ってしまうのだから、自分でも自身の負傷度合いは理解しているそうです。にもかかわらずまだ戦おうとしたのは、果たして何故か。
「ライラ!!」
走り出そうとしたその足を、思わず止めてしまいます。ああもう、本当に。吹っ切れたと思っていたのに、まだわたしは。
わたしの心が、まだ、あそこにあると?
「……人違いじゃないですか?」
あちらを向かずに、言葉を吐きます。誰にでもわかる下手くそな嘘。けれど、それでいいのです。だって、彼に伝わればいい感情はただ1つ。
拒絶だけ。
ひゅう、と頰に風が当たります。後ろからリアちゃんが追ってきたら面倒だ、と思いましたがそんな様子もなく。そのままわたしと彼の距離は離れていき。
ちらつく過去を、わたしは無視したのです。
とりあえず、シグナルに一旦戻った方が良いでしょう。裁判所式の世界渡りは、術式と裁判所特有の魔力を使用します。つまり、どこかの世界から裁判所に行くには裁判員が必要なのです。でもこのシステム、シグナルよりかなり便利だと思います。“庭”がなければ世界渡りができないとは、結構不便です。向こうから迎えに来てもらわないと、こちらはずっと帰れないのですから。てことでシグナルに連絡です。すごくこちらを睨んでくる人は置いといて、わたしは小型通信機をポケットから取り出します。ボタン1つでシグナルに繋がる優れものです。ザザーというノイズの後、少し騒がしい声が聞こえてきました。
「もしもー」
『ライラか!?』
きーん、と耳が痛くなるぐらいに大きい ハナちゃんの声が響き渡ります。
「そ、そうだけど…どうしたのハナちゃん…」
『よかった!…ああ、無事だ。』
なにやら向こうにいる誰かと話しています。…無事、とは?もしや、あの不死の襲撃をハナちゃんは知っている?
『いいか、よく聞けライラ。いま、』
「ーなんで、」
「え?」
顔を上げると、トキが見開いてこっちをみています。…なんで?なんでとは…なにが?
『裁判所の長が逃げてー、』
「……え?」
…なにを、言ってるのでしょう…?逃げた?
瞬間、わたしはばっと後ろを振り向きます。
わたしじゃない。
トキが見ているのは、わたしじゃなくてー。
「ハジメマシテ、お嬢さん」
どこかで見たことのあるような青年が、わたしに向かってにこりと笑った。