朝の花


 朝が好きになった。
 朝露できらりと輝く植物の匂い、すぅとした冷たい風、ほんのり温かく撫でるような陽日。
 元々早起きは得意なほうではなかった。けれどいつだったか、ふと何時もより早い時間帯に目が覚めたとき。襖を開けたその先に、初期刀がいた。
 彼は庭の花を優しく撫でて、そのいくつかを丁寧にハサミで切り取っていた。
「こうしないと、ひとつひとつにわたる栄養が少なくなってしまうからね」
 この花は、きみの部屋にでも飾ろうか。
 やはりというべきか、彼は私に見られていることに気づいていた。
「おはよう、主」
「……おはよう……歌仙」
 花は、居間に置きたいかな。
 そう言うと、彼はいいねと微笑んだ。
 その日から、朝、彼の庭いじりを見るのが習慣となった。
 ……時々、寝坊することもあるけれど。  朝が好きだと感じるようになったのは、彼がいたからだ。
 彼には朝が似合う。朝の、少し冷たい風に揺られて優しい音を奏でる草花に囲まれる歌仙は、いっそう綺麗だと感じる。
 歌仙はそれを分かっているのかいないのか、なにか大事な話を持ちかけるときは朝のことが多かった。丁寧に刈り取った花を生けて、その隣に凛と背筋を伸ばして座り、少し微笑みながら「ねぇ、きみ」と話し始めるのだ。
 例えば本丸の誰それの話だったり、俳句や花の話だったり、戦績の話だったり、わたしの話だったり。
 ーー修行の話も、そうだった。
 何振りかが修行を終えても、初期刀の修行が開放されても、向こうからは自身の修行についてなにも言わなかった。わたしから言い出すことも、なんとなくできなかった。
 修行から帰ってきた刀を迎え、いつもならスキンシップにやや反発する子でさえ、出迎えのわたしの抱きつきに応えてくれた、その様子を。わたしの後ろで彼はどのような気持ちで見ていたのだろうか、とぼんやり考えることが増えてきた頃のこと。
 いつもと変わらぬ様子で「ねぇ、きみ」と話し出した歌仙は、いままで一切なにも言わなかったのが嘘であるように、あっさりと修行に行きたいと宣った。
 やや間をあけてから、これは大事な話であると理解すると同時に、ぱちりと瞬きをした。
 そして、歌仙の顔をじろじろと見る。
 改めて見ると、彼は穏やかに微笑んでいたが、瞳の奥では揺るがない意志がちりちりと燃えているようだった。
「ーーうん」
「おや、いいのかい?」
「……止める術も、権利も、理由もないよ。わたしには」
「きみが引き止めるのであれば、保留にしても良いのだけどね」
 嘘だぁ、とわたしは小さく笑う。本当だよ、と彼も笑う。
「きみが嫌と思うことは、しないさ」
 ああ、もう、本当にこの刀は。
「いいよ。いってらっしゃい。いえ、行ってきなさい。わたしの刀。わたしの初期刀」
「ーー仰せのままに」
 ゆっくりと歌仙は御辞儀をした。わたしは、少し強張っていた肩の力を抜いた。
「ひとつだけ」
 良いかな? と問うと、目の前の凛々しい刀はもちろんと、内容を聞かずに応えた。
「なぜ、朝を指定したの?」
 門が閉じ、完全に彼が見えなくなった後。お小夜と手を繋いで、さぁ部屋へ戻ろうとした時に問われた。
「あれ、知ってるんだ?」
「……歌仙に、なぜ朝に出発なのか聞いたら、貴方からのお願いだって」
「……ふへへ」
 にやにやしてしまう。なんだか、とっても嬉しいのだ。
 わたしは、修行に行く時間を早朝にしてほしいと願い出た。それを歌仙はあっさりと承った。それどころか、そう言うのではないかと思っていたさと笑った。
「だって、きみは朝が好きだろう」
 そして、朝の僕が好きだろう。そのような続きが聞こえてきそうだった。否。それは言葉として紡がれなかったが、わたしはそのような言葉を受け取ったような感覚だった。もしかしたらただの気のせいかもしれないが。それでも、別に知られていても構わないと思っていたのにも関わらず、いざもしや知っているのではないかと思うと、慌ててしまう。
「……やっぱり、歌仙はわたしをよく分かっているね」
 お母さんみたい、といつものセリフを放つ。歌仙の、あの言葉が聞きたくなった。
「はは」
 歌仙は口に手を当てて、大層上品に笑った。
「僕は、きみの母君ではないさ。いつも言っているだろう?」
「僕はきみの刀で、きみは僕の主だ」
 笠を被り、外套を纏った彼は、わたしの手を両手で包む。
「ーーいってくるよ。必ず、きみのもとへ帰ってくる。僕の、主」
 きらきらと輝く朝日に照らされ、さわさわと揺れる花の香りと共に、わたしの初期刀は旅立った。
 やっぱり、朝の中にいる歌仙は綺麗だと思った。
 そして。
 時間はかかったが、彼は無事に本丸の朝の中に帰ってきた。
 みんなへの挨拶もそこそこにして、部屋に落ち着いた彼に、わたしはその姿を「まるで蝶みたい」と言った。
 彼は少し目を見開いてから、ふっと笑う。前と変わらない優しい笑顔の中に、力強いなにかを感じ、密かにふるりと震えた。
「では、きみ。ちゃんと捕まえてて欲しいものだね。そうしたらずっと、きみのために舞うよ」
 そう言う歌仙に、わたしはぴたりと固まり、口をはくはくと動かした後。
 死んでも離さないつもりだよ、とだけ、小さく答えた。
 逃げるように視線を外にやれば、日はもう高い位置にあった。