ギプソフィラの夢
ココロセンセイと別れたあと、ひととおり迷継ちゃんにひな……【雛翼】、の本部のあちらこちらを案内されて、それからわたしは大きなお屋敷(【雛翼】の子らが生活する建物だとか)のなか、ダイニングらしい場所にてぼーっと天井を見あげていた。外国の映画に出てきそうな大きくて高そうなダイニングテーブルと、雰囲気がおそろいのアンティークな感じの椅子。木でできたそれぞれは表面がひんやりとつるつるしていて、さわりごこちがいい。手持ちぶさたなので机を撫でながら、わたしは迷継ちゃんを待っている。
わたしをここまで連れてきた迷継ちゃんは、「ここで待っているように」と言い残してどこぞに去っていった。なんだっけ、わたしの部屋を用意してくれる……のだとか、なんとか。それにしてもきれいなお屋敷だなあ。わたしは借りてきた猫のごとくおとなしくしながら、きょろきょろと回りを見回した。さっき入ってきた入り口とは逆側に扉があって、たぶんそっちは台所だ。奇怪な模様の絨毯、テーブルの中央に置かれた陶器の花瓶、壁にかけられた風景画。まるでサスペンスドラマに出てくる洋館の一部屋! 廊下はもっと落ち着いた雰囲気だったのに、どうしてここだけこんなに古めかしく豪奢な内装をしているんだろう。だれかの趣味?
そんなことを考えてから、ふと先ほど会った「心先生」のことを思い出す。あまりにも迷継ちゃんとうりふたつだったあのひと。迷継ちゃんのドッペルゲンガーかと仰天してまじまじと見つめちゃったわたしの視線を面白そうにうけとめて、青色の瞳を細めて「ようこそ」とわたしに告げた。でもよくよく見てみると迷継ちゃんとはよく似ているけどちがう部分もあって、たとえば服装、髪型、瞳の色がちがったし、なによりまとっている雰囲気がちがった。迷継ちゃんはたとえるなら夕焼けに染まった道路を思い出させるのに対して、先生の姿は朝の静まった海を連想させた。
(双子とか?)
ふたりのよく似た顔を思い返して首をかしげていると、───かたん、と音がした。音のしたほう、つまり部屋の入口に顔を向けると、そこにはひとりのおんなのこが立っていた。
迷継ちゃんではない。迷継ちゃんよりも幾分か背が高い。するんと縦にのびた細長い矮躯、黒く丈の長いTシャツの上に赤いパーカーを着て、硬そうなブーツを履いている。髪は光を跳ね返す艶のある黒、前髪は短く額の半分が見えて、背中まで伸びたうしろ髪は結わえもせずにそのまま放られ重力に従いまっすぐに垂れていた。ちいさな口にはたい焼きをくわえて、わたしのことをじっと見ている。
「……」
「……」
その深淵みたいな瞳と目があったとき、しんぞうがどきん、と一度跳ねた。目を見開いて、思考が音もなくすうっと褪せていくような。唇がかわく。指先が凍る。自分のからだの所有権がほかのだれかにうつったかのようにひとりでにからだが動いて、わたしは知らず立ち上がっていた。がたんと椅子が音をたてて遠のく。それもどこか遠い夢のような光景。ふわふわと現実味のない意識のなかで、わたしは歩くわたし自身をながめている。おんなのこの眉が怪訝を示しわずかにひそめられた。わたしの歩みは止まらない。ふらりと幽鬼じみた足取りで彼女に近づいて、握られた手にあらわれる感触をつかんだ。それはなじみのある感触。つめたくてかたい、罪のいろ。
そうしてわたしは、彼女に向けて包丁を突き出した。
「───」
ふ、という呼吸音。その他はなにもきこえない無意識下、わたしが勢いよく突き出した刃をおんなのこはたやすく避けてみせた。わたしの刃がなぞる直線上から向かって左側へと彼女の姿が移動して、それを追いかけて包丁を左へ凪ぐのをしゃがんで回避する。そして両腕をひろげた体勢になり胴体をさらしたわたしの首根っこを長い腕でつかむと、勢いよく引き寄せて床に叩きつけた。視界がひっくりかえり、胸に衝撃がきて肺のなかの酸素が口から逃げていく。反射的に咳き込んだとき、意識にただよう靄のようななにかが急速に失せて、夢まぼろしから引きずり出されたみたいに、
「……あえ?」
目が覚めた。腕からちからが抜けて、からん、と包丁が落っこちる音。先ほどまで自身を突き動かしていた衝動めいたなにかはもう見えず、ほんとうにそれがからだを支配していたのかも定かじゃない。録画されたビデオみたいにさきほどの自分の行為が映像として脳内で再生されて、ぱちぱちと目を瞬く。今、なにしたんだっけ……?
いつのまにかおんなのこはうつぶせのわたしの腕を背中側でひとまとめにして、重石代わりといわんばかりにわたしの上に乗っていた。首をめぐらせると、彼女が黙ったままくわえていたたい焼きを咀嚼しているのが見えた。手をつかわずに、器用に。表情はさっきと変わらない、なにも読み取れない無表情。危機感もなにもない顔と先ほどのわたしを張り倒した動きのギャップ、それから自分自身の行為に精神が追いつかず目を白黒させていると、「待たせたね」とようやく迷継ちゃんが部屋に入ってきて、拘束されたわたしと謎のおんなのこを発見して目を丸くした。
「な……」
わたしはなにか言おうと口を開いたけれど、それを察したのか背中に乗っかるおんなのこの重みが増し、肺のあたりが圧迫されて「ぐえ」とカエルがつぶれたような鳴き声を発した。
「……何をしているのか聞いてもいいかな? 傘璃」
かざり。それがこの子の名だろうか。重みを感じながらそろりと眼球を動かす。わたしの背に座ったままの彼女はもぐもぐと頬を動かしていたが、ごくんと喉を鳴らして首をかしげた。感情のない、機械的なしぐさだった。
「まいつぎ。これ何?」
聞こえた声は落ち着いている。甲高くなくどちらかといえばハスキーなほうで、けれどしゃべり方はどこか雑で稚拙、語尾には舌足らずな印象があった。
「……僕ら【雛翼】の七人目、あたらしいお仲間だよ。名前は───」
「鞠桐白雪ちゃんです!」
ここしかない! と思いきりよく名乗ってみたけど、おんなのこは無反応だった。焦点のはかりづらいまなこで迷継ちゃんを見たまま、こちらに目もくれない。わたしはひとりショックを受けて撃沈した。無念。
「……なにがあったか知らないが、それは確かに僕らと同じ【雛翼】だよ。Oneとも先ほど面会済みだ」
動かない彼女にやれやれと首を振りつつ、迷継ちゃんは言う。眼鏡をはずしてポケットに仕舞い、とん、とん、とこめかみを指で叩きながら、
「白雪は見た通り、【雛翼】としては異質だが───きみも似たようなものだろう」
「……」
【雛翼】として異質? わたしが? と疑問符を浮かべていると、ふいに背中が軽くなった。見ればわたしの背に腰かけていた彼女───傘璃ちゃんがわたしの背からひょいと降りてわたしのことを見下ろしていた。感情の読み取れない双眸を見上げる。そこにはなにも沈んでいない。まるで鏡を覗き込んでいるような心地。
「……いつまで寝てるつもりなんだい?」
「はっ」
迷継ちゃんに声をかけられ、わたしはあわてて立ち上がった。ぱんぱん、と両手でプリーツスカートをはらい、うっかりうっかり! とてへぺろ顔を披露してみるも傘璃ちゃんは相も変わらず無表情だし、迷継ちゃんはそ知らぬ顔だしでまたまたショックを受けた。ガガーン!
「ええとかざり……ちゃん? さっきはいきなりごめんなさいでした! ちょっとなんかわたし夢心地っていうか勝手にからだが動いちゃって!」
申し訳なし! と手を合わせて謝る。傘璃ちゃんはしばらくわたしの顔あたりに視線をむけていたが(ほんとうにどこを見てるのかわかんない)、唐突に口をひらいた。
「おまえ、私と会ったことある?」
「へっ?」
前触れのない問いに素っ頓狂な声をあげてしまった。ナンパのような台詞……! と内心思ったのは仕方ないとして、えっと……どういう、質問だろうか。なんとなく、迷継ちゃんとはじめて会った日のことを思い出す。
「うーんと……」
とにかくそれでは質問に答えよう! と脳みそをフル回転させ始めたはいいものの、いや考えてみれば会ったことあるわけがないのだった。わたしはあの世界で落っこちて、こうして【雛翼】本部にやってきたわけだけど、あの生涯で出逢ったファンタジー生命体は迷継ちゃんただひとり。
「会ったことないと思うなあ」
正直に答えると、傘璃ちゃんは目を瞬かせた。もとからそんなに興味がなかったのか、はたまた通常運転なのか、表情は変わらない。迷継ちゃんが眉をひそめるなか、傘璃ちゃんはなにやら懐を探り、取り出したものをわたしによこした。
「あげる」
「ほえ」
差し出されたものを受け取る。なんだろうとわたしが手元を確認するよりもはやく、傘璃ちゃんはさっさと歩きだしていた。こちらを振り向くことなく、部屋の奥、台所に繋がっているであろうドアを開けて見えなくなる。ぽかーんとしながらもらったものを見ると、それは紙につつまれたたい焼きだった。まだあたたかい。
「……」
どういうこっちゃと迷継ちゃんを見ると、彼女は「僕に振るのはやめてくれ」と首を振った。
「はあ? 刺した?」
「ちがうちがう! 未遂です!」
【雛翼】本部のお屋敷内、わたしの部屋へと案内される道すがら、迷継ちゃんに何があったのか尋ねられたので説明する。傘璃ちゃんにもらったたい焼きはすでに完食しました。なかみはチョコレートだった。うまうま!
「ん~~でもわたしにもなんかよくわかんないの。なぜかふら~っと刺さなきゃ、って思ったっていうか……勝手にからだが動いてて……」
ふにゃふにゃしゃべるわたしに、迷継ちゃんは片方の眉をあげた。そういえば彼女はさっき眼鏡をはずしたっきり、ふたたびかけることなくはずしたままでいる。てっきり視力がわるいのかと思っていたけど、もしかして伊達なのかな。
「勝手にからだが動いた……というのは、前の飛び降りのごとくきみの発作的な自殺欲求によるものと近しいけれど……行為自体は前例とは全く別だな……」
「なんか分析されるとてれちゃう!」
照れ照れするわたしに、迷継ちゃんはため息をついた。
「不確定要素を体現したようなきみのあり方は僕にとっては好ましいけどね、ここでは同じ【雛翼】同士の戦闘は良しとされていない。僕らは一応仲間だと定義されているからね……二度はないように頼むよ」
「はあい了解しました!」
わたしはびしりと敬礼をきめる。それにしても謎だ。初対面のはずだし、べつにあのこに敵意を感じたわけでもない。そんなことを考えていたら、思い出したことがあったので迷継ちゃんに訊くことにした。
「そうだ迷継ちゃん迷継ちゃんあのね」
「うん」
「さっきあの……傘璃ちゃんに向けちゃった包丁! あれ知らないうちに握ってたんだけど、どこから出てきたんだろ」
「包丁?」
「うん、包丁。手から離れたあと、なんか消えちゃったみたい」
あのあと部屋の床をくまなく探したけれど、傘璃ちゃんに組み敷かれた際手のひらから落ちたはずの包丁はどこにもなかった。傘璃ちゃんが床からなにかを拾いあげたようすもなかったし、あれはいったいどこに消えてしまったんだろう。
「へえ……」
迷継ちゃんはしばらくなにか考えていたようだったけれど、やがておもしろそうに口の端をゆがめた。
「それはきっと、きみがはじまりの世界から引きつれてきたかけらだな」
「かけら?」
「そう。【雛翼】はね、自分にとってのはじまりの世界、そこでの物語を終えた後、One……さきほどの笹葉心のことだが……にスカウトされて【雛翼】となることがふつうだ」
まあ君や僕なんかはその例にはあてはまらないが、と迷継ちゃんは言う。
「そして【雛翼】となった少女らは、はじまりの世界から自身のアイデンティティを構成していたなにかを無意識につれてきてしまうことがある、と考えられている。それは自分の持っていた能力であったり、大切にしていた装飾品であったりするが……それらは時にかたちを変え、【雛翼】となった少女ら固有のステータス、能力としてあらわれる」
「……」
「きみの場合は包丁がそれだったんだろうな」
つまり。
つまり───どういうことだろう。
わたしがなにかしらの思考にたどり着くよりもはやく、「まあ、」と迷継ちゃんが言葉をつづける。
「その前提となる推測すら、きみの前では形無しだけれどね。きみはOneにスカウトされることもなくいつの間にか【雛翼】となっていた正真正銘の例外、イレギュラーだ。だからあの凶器がきみのアイデンティティ───己を証明するアーティファクトだとは言い切れない」
「ふうん……?」
あいかわらず迷継ちゃんの言うことはいちいち難しい。アイデンティティ、イレギュラー、アーティファクト。カタカナ語をたくさん出されると頭がパンクしちゃう。
「僕の見解では、おそらくきみが【雛翼】となることを決め、その道を切り開く手段として用いたのがあの凶器だったために、あの世界からこの本部まできみにくっついてきた……んじゃないかな」
「……ナルホド?」
なるほどと言いつつ、わたしはあんまりわかっていなかった。迷継ちゃんもわからないことが残っている様子で、話しながらもなにやら考えているようだ。それにしても、わたしはいつの間にか、勝手に【雛翼】になっていた、ということだけど……それっていったい、どういうことなんだろう?
「……あれっそういえば」
「? 何だい」
「あの子、傘璃ちゃん。わたしと似たような───って迷継ちゃん言ってた?」
「ああ、そのことか」
迷継ちゃんはこくんとうなずいて、歩きながらわたしに説明をする。
「改めて紹介すると───彼女は玄鳥傘璃(つばくらめ・かざり)。五人目の【雛翼】だ」
「うーんと、わたしが七人目なんだっけ」
「そう。彼女はいつもあんな感じ、周囲に関心がないようだけど、僕らのなかではいちばん腕っぷしが立つ」
「にゃるほど~。わたしをはったおしちゃうくらいだもんなあ」
わたしはそれなりに自分のからだを自由に動かすことができて、だから喧嘩も強いと自負していたので、ああも簡単に負けちゃったのは正直ショックである。しょーしんである。ううん、わたしこの数十分のあいだにショック受けすぎじゃない? じしんそーしつしちゃうよ!
しょんぼりしているわたしを迷継ちゃんはスルーした。
「それであの子を異質だと表現した理由だが……傘璃には、彼女にとってのはじまりの世界の記憶がないらしい」
「記憶がない?」
「そう。彼女はどこの物語にも属さない領域でただよっているところをOneに保護され、適性を見込まれて【雛翼】になったんだ。彼女自身、どうしてただよっていたのか、自分のはじまりの世界がどのようなものだったのか、ほとんど覚えていないようでね……。そういった意味ではほら、きみと同じだろう? 白雪」
【雛翼】となる以前の姿をだれにも観測されていないという点で、さ。
迷継ちゃんはそう言って、わらった。もうずいぶんと前から慣れ親しんだものみたいに錯覚する、チェシャ猫のような笑み。わたしはほんのわずかな会話のみをかわした傘璃ちゃんのことを思い返す。深い森のなかにある誰も知らない湖のように澄んで、他者のみを映し自己を映すことのない、あたたかみのない瞳。
どうしてわたしはあの目と目が合ったとき、彼女を刺さなきゃ、なんて思ったんだろう。今ではもうあんな衝動はない。一過性の衝動は、まるで食べられた夢のように忽然と消えていた。ほんとうにそれが存在していたのか、わたしを含めただれも証明できない。
(……でも、)
でも、刺さなきゃ、殺さなきゃ、殺さないと───って、だれかがそうつぶやいたのだ。理由もなしにのみこまれ、あのとき胸のなかではじけた衝動は、きっとほのおによく似ていた。