骨の髄まで生きるだけ

(※去年の白雪生誕祭からつづいてる)

 血液が流れ出しているような音が聞こえているきがしていた。けれどそれはおそらくはというか確実に幻聴で、さきほどこれでもかというくらい強かに頭を打ったのが原因なんじゃないだろうか。その衝撃はいまだにわたしの頭をずきずきずきとうるさいくらいに響かせつづけていて、わたしは眉根をよせて顔をしかめた。
 ただでさえ思考の隙をあたえてくれない追撃がこれでもかとくわえられているのに、この頭痛では考えごとをするのもままならない。

「ああ、もう! やーだなあ、ッうりゃ!」

 叫びとともに、しゃがみ込んでいた体勢からそのまま脚にちからをこめてアスファルトを蹴っとばす。飛び退いたわたしの背後、すわっていたところに刹那突き刺さる数本の銛のようななにか。轟音をたてたまっ黒く闇色に塗りつぶされたそれらは、突き刺さるべき対象つまりわたしをとらえていないとわかるやいなやするりと溶けるようにきえていく。
 それを視認する時間さえ、むこうはわたしにくれないらしい。銛をよけたわたしの目の前には、またもや真っ黒い球体が待ち構えていた。球体、といってもそのからだの端はもやがかかったようにうすくのびていて、おまけにそのまるい輪郭はたったひとつだけその表面に存在するおおきな口によってとぎれていた。乱杙歯ががちがちと耳障りな音を立てて噛み合わされ、わたしの肉を喰いちぎるべく接近する。

「うーわきっもちわるい! どろどろ!」

 右脚で踏み込み、流れるようにまっすぐななめに進んでその歯を避け、腰のベルトに挟んだ包丁を逆手に握ってわたしはその黒い球体に刃を突き刺した。いやな感触。泥団子に木の枝を突き刺したときよりももっと抵抗感のある、ゴムのような手応え。そのままわたしは刃を奥に流すように押し込んで、球体をまっぷたつに切り割った。瞬間球体は粘着質な音を立てて爆発四散した。べちゃりとその肉片が頬に付着して、わたしはごしごしと手の甲でそれをこすった。
 ナイフを握った手を床につき、うしろに押しこむその勢いでアクセルを踏み込む。細い路地裏はまるで延々と続いているみたいで、わたしはひとりうなりつつ、とりあえずひたすらに脚を動かし走り続けている。ことの発端はつい先刻、あのエナメルの靴の自称「名探偵」と刃を交えたときまでさかのぼる。
 あの桜の吹雪く空間のなか、わたしは確かに彼女を追い詰めたはずだった。幻覚を破られてもなおあの桜のちからは衰えず、うねる幹と枝がわたしを窮地に陥れたけれど、それでもわたしが最終的に彼女の喉元にナイフを突きつけた。そのしろい喉元をごくりと上下させ、悔しそうに目もとをゆがませた整った顔を見下ろして、わたしは彼女に【ひなごろし】について吐かせようとしたのだ。職務を全うしようとしたのだ、わたしにしてはめずらしいことに。けれどそれはかなわなかった。その瞬間高らかに響いたとある声によって、中断させられた。

「……あのこには逃げられちゃうし、ついてないなあまったくもう」

 路地を挟む高い高い建物の壁を見上げる。金属管や換気扇のファンで埋まった壁はずっと高くまでそびえたっていて、てっぺんがみえない。空すら壁とおんなじ色に同化して、奇妙なグラデーションになっている。

「んん……。 まーたどっかの異空間に閉じこめられた気がするなあ、これ」

 空を見上げていたら走る脚が道端のポリバケツを蹴っ飛ばした。からんからんと音を立て転がっていくゴミ箱を見送り、地面から染み出すようにあらわれた黒影にも蹴りをいれた。今度は絵本に出てくる芋虫だか蛇だかのごとく丸がいくつも繋がったかたちをしていた。そのぎょろついた単眼にわたしのハイヒールの踵が埋まって、血なのか体液なのかよくわからない液体を吹き出しながら影はなにも果たせぬまま地面にぐしゃりと叩きつけられる。
 面倒くさいことになっていた。突破口をみつけだそうにも、さきほどからうようよと湧いてくるこの黒い影たちが邪魔をする。ひとつひとつはたいしたちからもなくこうしてすぐさま撃退できるのに、次から次へと無尽蔵に湧き出てくるのだから考えるひまがない。それに前述した頭痛もあいまって、からだはうごくのに脳がはたらいてくれないというやっかいな現状がうみだされている。
 この迷路みたいな路地裏は、とぎれることなくずうっとひたすらにのびつづけている。

「こういう心理戦みたいなのは迷継ちゃんにまかせたいのに」

 やけくそにつぶやいて、わたしがまた足をすすめたときである。ひやりと冷気じみたなにかがわたしの首すじをなでた。
 とっさに前に跳び前転して、ばっと後ろをふりむく。そこにはただ空虚だけが満ちていて、わたしのふたつのまなこが疑問に瞬かれた瞬間、天からなにかが『降ってきた』。

「っ、!?」

 それは人影だった。長い得物をたずさえたその影は、純度の高い殺意をもってしてわたしに向かってその得物を振りかざす。わたしはそれをうけとめようとして、『できなかった』。凍りついたようにかたまった手が足がからだが、わたしの意思に反してすべての動作を停止させた。
 だからその人影が振りかざした得物はわたしの胴体に吸い込まれるがごとく直撃して、たまらずわたしはふきとばされる。全身が硬い壁にうちつけられて、呼吸も血流もとまるような錯覚に陥った。受け身すらとることをゆるされず、わたしは無様に血を吐いた。

「───え、」

 ただその事実に、心底びっくりする。間抜けに目を見開いて、わたしはその事実が眼前にひろがっているのを認識した。喉奥からせりあがってきた苦々しい味のするあかいろ。それがするりと舌をすべり、てのひらにぶまけられた。その事実に、驚愕する。
 【雛翼】であるわたしは、ふつうのにんげんよりもはるかに身体能力が底上げされていて、並のにんげんではきっと傷さえつけられない。だからわたしは【雛翼】になってから、めったに負けたことがない。わたしたちのからだは特別性なのだと、そういったのはせんせいだ。それなのに、どうしてこんなにも、ふつうのにんげんのように、わたしは血を吐いているの?

「───うん、間違いない」

 ざり、と靴の底が砂利をまぜる音。わたしは目の前に誰かが立っていることにきづく。逆光のせいで顔がうまく判別できない、その姿。そしてその声は、さきほど『名探偵』との交戦を中断した、その声とおなじものだった。

「……だれ、あなた」
「そういう君が『毒林檎』かな?」

 わたしの指がそろりとうごいて奇跡的にちかくにころがっていた包丁にふれて、握る。座り込んだわたしを見下ろすそのひとの瞳だけが見える。闇色。とっぷりと墨を吸ったような闇色をしている。学生帽らしきものを飾るきらきらした鎖やらバッジやらがわたしの目をくらませた。
 わたしの頭をさっきからずっとずきずき鳴らし続けている元凶が、めのまえにいた。

「さてはて……。棗はうまく逃げおおせたようだ。僥倖、僥倖。さて───それじゃあ『毒林檎』の鞠桐白雪さん、はじめまして。きみとは話したいことが山ほどあるんだ。俺とのおはなしにつきあってくれるかな?楽しい時間を約束しよう」
「……ケーキもないのにおしゃべりに誘うおとこのこはタイプじゃないの」

 口のなかは血の味で満ちている。めのまえにいる存在がおそらく、【ひなごろし】のえらいひとだ。迷継ちゃんにたのまれたのは、【ひなごろし】をとっつかまえて目的やらなんやらを吐かせることだった。その相手は下っ端でよかったのに、まさかえらいひとがでてくるなんて、さすがの迷継ちゃんも予想していなかっただろう。
 わたしはゆるりとからだにちからをいれる。立ち上がれる、走ることだってまだできる。わたしの動きを止めたさきほどの現象のタネはまだわからない、けれどいまはわたしにできることをしなくちゃいけない。この好機を見逃しにするほど、わたしはばかじゃない。
 わたしにできること、しなくちゃ。

「……うん?ああ、まだやる気なのか。まあいいよ、時間は腐るほどあるんだからね」

 立ち上がって、目をすがめるようにして相手を見つめる。黒い服を着たその姿は闇にまぎれてとてもみづらい。なぜかその姿に迷継ちゃんを連想して、理由が思い当たらず首をかしげた。なぜだろう、けれど、どうして───

「……こまかいことはいいや」

 心臓が早鐘を打つ。緊張、しているのだろうか。わくわくしているのだろうか。少年漫画の主人公のような考えに至るじぶんにすこしだけわらった。
 そのときはじめて、対峙する相手のもつ得物の正体に気がつく。それは日本刀だった。長くすらりとのびた、光り輝く刃。それとじぶんの得物をくらべて、そのあまりのリーチの差に正直げんなりしたけれど、それくらいのハンデは呑み込むことにする。わたしはきびしい状況に燃えるおんなのこなのだ。

「あたってくだけろ人生論!」

 暗闇にのばした指の爪すらみえないなかでわたしはさけぶ。わたしの生きざまを、名も知らぬこのひとにみせてやる。それがことばをかわすかわりになるのなら、わたしはそれを選ぼう。ことばなんてちゃちいものじゃああらわせない、わたしそのものを行動で示してあげる。