邂逅する初夏

 どの物語にも属さない「はずれ」の位置に存在している【雛翼】本部には、この世に生み出され消えていく物語を自動で記す巨大図書館がある。その管理も僕たち【雛翼】の仕事であり使命である。

「『太陽が暗黒でぐるぐる巻きにされるとき、星々が落ちるとき、山々が飛びちるとき、海洋ふつふつと煮えたぎるとき、天がめりめり剥ぎ取られるとき、地獄がかっかと焚かれるとき、そのときこそどの魂も己が所業の結末を知る』」
「………」
「終末思想、最後の審判だね。墓場に埋まる死者は魂を戻され、生きた者たちすべてひとり残らず裁きの場へと呼び出される。そして善と悪は秤にかけられ、楽園行きか地獄行きかが決まるのさ。ねえノア、地獄がどこにあるか知ってるかい?」
「……川の向こう、もしくは地中か」
「そうだね。説は数多あるけれど、私はそのうちひとつを推したいね」

 脳髄のなかさ。
 笹葉心はそういってわらった。

 巨大図書館の2階、大きな机が置かれたスペースに僕と彼女はいた。oneのとなりには萌黄もいて、机のうえにならべられた多くの本たちを忙しそうに整理している。年代をうかがわせる本棚たちは荘厳な雰囲気を醸し出しながらどこまでも続いているかのようにならんでおり、天井から吊るされたやたらとアンティークなつくりの電球の光が僕らを照らしていた。

「……で?要件はなんだい」
「ああ、そうだったね。萌黄」
「……はい、どうぞ。先生」

 呼び出された理由を尋ねると、oneはたのしそうに萌黄に目をやって、視線を寄越された萌黄はたいして表情を変えることなく机の上におかれていたひとつの本をoneに渡した。それを受け取ったoneはそのまま流れるように僕に寄越す。僕はその本の表紙を見る。赤い革の表紙には、白いゴシック体で『代償』とだけかかれていた。

「……これは?」
「よくみてごらん」

 僕はその本に目を落とし、ひっくり返し、観察してあることに気づく。
 この図書館にある本にはすべて鍵がついている。かけられた錠前は【雛翼】それぞれが1本ずつもっている鍵でしか開けることが出来ない。その鍵を開けてはじめて中に記された物語が読めるのだ。
 同時にここにある本はすべてさまざまな世界にあらわれている物語を記録したものであり、その本を開いて転生することで僕らは狙った世界に行くことが出来る。その鍵が、開いている。落ちていたはずの錠は外れていて、からからと気の抜けた音を立てている。

「鍵が開いてる」
「そう」
「……萌黄が開けたのかい」
「あたしじゃない」
「じゃあ」

 楽しそうにするoneに目をやるが、彼女も首を振っている。僕は眼鏡ごしに眉を顰める。どういうことだ。誰かが開けたまま放置した、ということは考えにくい。【雛翼】のなかにそんな職務怠慢の忘れっぽいやつはいない。しかしこのふたりが開けたのではないといっている、もちろん自分も開けていない。つまりはここにいない灯夜、傘璃、ナデシコのうちのだれかが放置したとしか考えられない。その意見を告げると、今度は萌黄が首を振った。

「いま本部にいるのはあたしと先生と迷継、それからナデシコだけ。ナデシコも開けてないそうだし、そもそもこの本、地下三階にあったし」

 この巨大図書館は現在地上四階、地下三階まで広がっている。僕ら【雛翼】が介入し大成させた物語を記した本は地下へ移される仕組みになっており、まあ万年人不足のせいで整理しきれていない箇所が多々あるのだが、それでも基本的に地下はあまり足を踏み入れることがない。

「それ、開けてみればわかるけど」
「……?」

 言われるまま本を開く。そこに文字はなかった。ただ真っ白なページが何ページもつづいている。僕は一瞬だけ瞠目する。文字がないということはつまり、この本はまだ未完成だということだ。なおも萌黄は言葉を続ける。

「最近は地上階の掃除と整理にかかりきりで、長い間ほとんど地下にだれも行ってないと思う。数年前のナデシコとの大掃除で地下を片付けたきりかな。ああそれと、これを見つけたのはあたし。ちょっと昔行った世界について確かめたいことがあったからひさびさに地下に行ったんだけど、地下の奥の方にある埃かぶったテーブルにそれが」

 萌黄の細い指が僕の持つ本を指差す。

「それ1冊しか置いてなかったからだれかあたしの知らないとこで地下に来てたのかなって思ったんだけど……。よくみたら鍵開けっぱでしかも地下にあるのに未完成本。あたしの記憶が正しければ大掃除のときはなかったはずだし、おかしいと思って先生に言ったってわけ」
「………」

 僕は黙り込む。思考を繰り返してはみるが、あまり意味が無いであろうことは明白だ。本。赤い革の本。表紙に刻まれたその文字は、一体何のことを指しているのか。

「……つまり?」
「つまり」

 黙っていたoneが口を開いた。纏っている白衣がばさりと揺れて、薄暗い図書館の中彼女の眼が微かに光る。

「何故その本の鍵は開いているのか。何故完結した物語の本ばかりが並べられた地下に未完成のそれがあったのか。何故鍵が開いた状態で長らく誰も足を踏み入れていなかったはずの地下にあったのか。そういうことだよ」
「……あなたのことだから、もう検討はついているんだろう」
「まあね」

 目を細め、にやりとわらうその顔はあまり心地のいいものではない。自分とほとんど変わりのない顔が目の前にあるのだ、それも致し方ないのだが。唯一僕と異なる色をしたその双眸が瞬かれ、海の色が揺らぐ。

「これはきっとあたらしい【雛翼】の仕業だね」
「……あたらしい?」
「7人目ってこと?」
「そうそう」

 それならば説明もつくだろう?
 言葉とともに首を傾けるoneは垂れた後れ毛を耳にかけ上目でこちらを見て、ルージュの引かれた唇を歪める。ふと嫌な予感がした。

「というわけでノア、行ってきてくれるね?」




 どうして僕がという抗議はひらひらとかわされた。暖簾に腕押し、そもそもoneは【雛翼】で最も地位の高い存在であるので、所詮はコピーでしかない僕が逆らえるわけもない。oneは僕がどうしたところで何も言わないだろうが、灯夜はきっと噛み付いてくるだろう。僕のことを毛嫌いしているらしい彼女をからかうのはわりとたのしいのだが、あまり面倒な事態になるのも避けたい。
 僕は嘆息混じりにoneに命じられたことを受け入れた。隣で萌黄が「こいつもたいへんだな」みたいな哀れみの目をしていたのが少し気になっただけだ。

 転生を行う前に、もう一度件の本を手に取る。やはり外見は変わらない。表紙は臙脂に近い濃い赤に白抜きのゴシック体。中をぺらぺらめくってみても、ずっと白いページが続いているだけだ。…と、そこで真っ白な紙に埋もれたひとつの色が見えた気がした。

「……?」

 いくつかページを戻し、僕はその色を見つける。はじめは黒だと思っていたその色は、よく見るとくすんだ赤色である。それは文字のかたちをしており、ぽつんと刻まれたそれはこう読めた。

『死に魅せられる少女の話 語り手:鞠桐白雪』




 僕は学校の廊下を歩いている。
 この世界は平和だった。窓の外は真っ青な夏の空。廊下を歩く能天気そうな顔をする生徒たち。じめじめした重たい空気はそろそろからりとした夏の空気と変わるだろう。
 この世界での僕は『転勤族の共働きの親の下で生きる娘』であった。この学校にはつい先日転入したばかり、高校生となった『僕』はいまだにこの世界の主人公と出会えていない。
 【雛翼】にはその物語の主人公を察知するちからとともに、主人公に引き寄せられるちから的なものが備わっている。同時に【雛翼】が主人公に出会うのは、僕らが全盛期のちからを得ることが出来る「未完成の少女」期であることが多い。だから僕はきっと主人公はこの学校にいるだろうとあたりをつけていた。oneの予想ではこの世界の主人公があたらしい【雛翼】である可能性が高いそうである。イレギュラーである今回の件を任されたのは僕にとってわりと面倒くさいことだったのではやめに終わらせたいが……。
 そんなことを悶々と考えていたせいか、曲がり角を曲がったところで誰かとぶつかった。やたらと衝撃が強かったのは、どうやら相手が猛スピードで走っていたせいらしい。廊下は走るなと小学生の時習わなかったのか。
 胡乱げに呪詛を脳内で垂れ流しつつ、貧弱なことに定評のある僕は尻餅をつく。しかし向こうは踏みとどまったらしい、僕だけが倒れているこの現状にまた嘆息したくなる。いま気づいたが相手はなにやら早口でまくしたてている。やかましいなと思いながら相手のしゃべりが途切れたところで僕は口を開き、同時に腰を持ち上げる。

「すまないね、こちらこそあまりまえをみていなかったようだ」

 服の埃を払い、改めて相手を見る。その朱い目をみたところで、きづいた。
 独特の感覚が胸に満ちる。この感覚には覚えがあった。僕の本能が告げた。彼女が、この物語の中心、主人公であると。
 特徴的な飴玉に似た朱い眼球。蜂蜜色の髪。血色の良い肌、第二ボタンまで開いた襟、頼りなさげに首にぶら下がった赤のリボンと同じ色のスカートは太ももあたりで途切れている。そのすらりとした腕の途中、左手首に嵌めたリストバンドがやたらと目につく。なぜか僕を見て呆然としている彼女を前に、しかしまた僕も言いようのない内心に震えていたのだ。
 既視感とそれに対する懐疑。僕は彼女と会ったことがあるような気がして、けれどそんなことあるはずがないと理性は囁く。僕はきづく。彼女はもしかしたら僕の、つくられた存在である僕にとって、満たしたかったそのうつわにおさまるかもしれない存在であるかもしれないことに。そのうつわがなにか、自分では検討もつかないが。

「……ああ、そうか。君か」

遠くで子どもの声がしている。夏の暑さが皮膚を蝕んでいる。目の前に立ちすくんでいる彼女の名を僕は思い出す。はじめまして、そのことばはまだ先だろうか。とりあえずは死に魅せられたらしい彼女の物語の読者になろうか、と僕は気を迷わせた。