さよならファンファーレ

 雪が降っていた。わたしはなぜか、それに舞い散る桜の花びらを連想する。雪を目にしたとたん、凍えるような寒さが足元から這い上がってきて、身震いする。
 ぱちりと目を瞬くこと数回。となりには見慣れた幼なじみふたりが立っている。コートを羽織り、シンプルなマフラーをしたあっくん。おなじくコートにネックウォーマー、マスクまで装備しているのーくん。
 ぴたりと足を止めたわたしを振り向いたのーくんは怪訝そうに顔をしかめ、「なんだよ」と視線をやってくる。

「……なんでもない!」

 ぱたぱたと走ってふたりに追いつく。しばらくなにしてんだこいつという眼差しでわたしをみていたのーくんだったが、しばらくしてまた前を向いた。
 ぽつりぽつりと話題が浮かんでは、途切れる。それは心地いい空間。いつもどおり、慣れ親しんだ時間。話題をふるのはたいていわたしかのーくんで、あっくんはそれに静かに相槌をうっている。

「……もうあと3ヶ月で今年度終わりだな。ついこのあいだ入学したばっかなのに」
「そーだねえ……。のーくん先輩になんじゃーん。どお? 生物部、存続できそう?」
「そんなの来年になんないとわかんねえって……。おまえはいいよなあ。帰宅部」
「えへー暇を持て余す青春! ハレルヤ!」

 ハレルヤがこういうときにつかうことばだったかは定かではないけれど、とりあえず叫んでおく。息を吐くとしろい靄のように空気中にうすくひろがっていった。道端の電柱も凍りついたように黙り込んでいる。道路を走る車はほとんどない。すでに空はくらかったが、それでも年末の頃よりは日が伸びている。

「はっ、あっくんもう来年受験生じゃない? やばいね!」
「ああ…まあな」
「あそんでもらえなくなる! やばい!」
「秋日さんなら推薦とれんじゃないっすか?」
「さあ……、どうだか」

 ふう、と吐き出されたあっくんの息もしろい。わたしの視界はちかちかした。寒さに指先をすり合わせ、むき出しになった膝小僧にちからをこめる。

「……おまえはおとなになれなさそうだな」
「……へ? わたし?」

 あっくんのこげ茶色の瞳がわたしをみていた。かちりとかみ合う視線に喉が上下する。それに乗っかるように、のーくんも声を上げる。

「ほんっとそれっすよ! 白雪がちゃんと働いてるとことか想像出来ねえ」
「なにそれひどい! そんなことないようわたしだってちゃんと社会の歯車になれる!」
「秋日さんは将来設計とかちゃんとしてそうなイメージっすけど」
「さあな」

 あっくんははぐらかすようにうすく笑う。未来。高校を卒業して、そのあと。……すごくそぐわない気は、自分でもした。わたし。わたしの未来。将来。今後のこと。

 ……あれ?

「んーでも俺まだ1年だしいっかなってとこあるんすよね……。まだ時間あるって考えちゃって」
「……みんなそんなもんじゃねえの?」
「……うーん」
「紀仁はしっかりしてるから大丈夫だろ、だれかさんとちがって。最終的に自分が納得できる未来になればいいとおもうけど」
「あー……妥協はよくないですよね」

 ひやり。冷えたのははたしてなんだったのだろう。わたしの両脇でことばをかわすふたり、それがとてつもない違和感をはらみはじめた気がした。なにかがそぐわない。違和感。ありえないなにか。
 唇を閉じて降り積もっていく雪をみつめる、それからマフラーでぐるぐる巻かれた自分の首、冬物のコート、寒空。
 深淵を覗き込む錯覚。だってわたしは知っているはずだ。1年生の夏、落ちていく自分の姿、はにかみ笑ったあのひと、垂れ落ちるあかいろ、軋むドアノブ。蒸し暑いほどに上昇した気温と蝉の合唱に包まれて掴んだあの感触を、わたしは、覚えている。だから、

「ちがう」

 だからわたしは指先を伸ばした。そこにあるべきものを、わたしは知っていた。なにもない空間、そのものを『にぎりしめ』、引きずり抜く。
 そうだ。指に馴染んだその感触。ふわふわしていた精神が脳を取り戻したような錯覚、けれどそれは的を射ている。だってちがう。こんなはずはない。ここにわたしは、いない。

「……白雪?」

 喋らなくなったわたしを不審に思ったらしい。まずわたしと目があったのはあっくんだった。奇しくも、というべきか。
 わたしはあっくんをみる。否ーーーあっくんのわけはない。そうでしょう。一度わかってしまえばたやすいことだった。どうして気づかなかったのだろうと後悔するほどには。
 背負っていたうすっぺらいリュックサックをアスファルトのうえにするりと落とす。それから、右手で握りしめていたちゃちいナイフをゆるりとその腹に突き刺した。

「、な」

 呆けた顔。それから驚愕が遅れてやってきて、あっくんに似たなにかはわたしの名を呼んだ。
 わたしはそれにわらって答えて、邪魔する分厚いコートの抵抗を無視してさらにナイフをねじ込む。ごきり、と嫌な音がした。どうやら腹の骨にでもかすったらしい。内蔵もちゃんとあるのか、とどうでもいいことに感嘆しつつ、頃合いを見計らってナイフを抜く。1拍遅れであかいろが滲んで、飛沫となって地に落ちた。困惑がその顔に見えた。そのおおきな手が傷口にかぶさる。指のあいだからこぼれおちるあかいろは、止まる気配がない。
 ひゅう、とのーくんが息を吸う音がした。わたしはとりあえずもう一度あっくんの腹にナイフを突き刺した。それをおさえる手、諸共。嫌な音のオンパレード。でもあっくんは悲鳴をあげなかった。さながらあのときのように。そして、地面に倒れた。ゆっくりと。わたしに既視感をあたえる、そんな姿で。

「うん」

 満足げにうなずいたわたしのうしろで、のーくんのかたちのそれはなにかを叫んでいる。なにをいっているのかはもうよくきこえなかったけれど、なんとなく、予想はできた。だってその顔、わたしはみたことがあったんだもの。
 わたしはのーくんを振り向いた。驚愕と恐怖にいろどられたその顔はそれでものーくんのもので、わたしは笑いだしたくなる気持ちをがんばっておさえた。だからなるたけていねいに、やさしく、それでも手っ取り早く済ませるために、腕をひらめかせてその喉元に刃を滑らせた。深々と傷が走り、すぐにぱくっと傷口がひらいてぐじゅりと濁る音がした。金魚のように口を開閉させたのーくんはよろめいて、仰向けに倒れる。

 わたしは寒空をひとり見上げた。足元にちらばるそれらはもう興味の外に追いやられている。わたしはしばらく考えた。考えて考えて、それからとりあえず壊そうかしらという考えを採用しようとした時に、その声が聞こえた。

「あらら、どこで間違えたんでしょ」

 降ってくる雪はいつのまにか桜の花びらに変わっていた。視界がピンク色に覆われて前がみえなくなり目を細めた刹那、ぱあっと花びらは遠くに消える。晴れた視界、足元のそれらは消えていた。
 そして、わたしの目の前にあらわれるひとりの少女。育ちがよさそうないでたち。エナメルの靴。その背後には、なぜだか荘厳な雰囲気を醸し出す1本の桜の樹が根を張っている。
 いつのまにやらわたしをおびやかす寒さはなくなっていた。それだけではない、わたしが先程までまとっていた延寿高校の制服もコートもマフラーも、なにもかもが消え失せて、わたしは黒のスーツにハイヒールという姿で、またそのところどころが砂で汚れ切り傷を刻んでいたりした。思い出す。わたしはこの少女と交戦していたのだ。つまり、先程までのは都合のいい幻覚。

「うーん、どこもおかしくないような気がするのに。不思議」
「───延寿高校1年鞠桐白雪ちゃんは冬を迎えられなかったんだよ」
「はい?」
「延寿高校1年白雪ちゃんはその夏にその物語を終えちゃってるの。だからその冬、幼なじみと将来の話なんてできるわけないんだよ」
「ふうん……、へえ。なかなか数奇な物語なんですね、あなたのそれ」
「あは」

 くるくる握りしめたナイフを回す。さっき突き刺したその感触は、もうあまり覚えていない。さらさらと、砂糖のようにわたしの記憶からこぼれて消えていった。わたしはそうっと慎重に、自分の記憶に蓋をした。あの夏の記憶は揺らがない。揺らいではいけない。
 ふしぎそうに小首をかしげているまえの少女に目を向ける。彼女は手ぶらだ、けれどわたしは未だに彼女に傷ひとつ負わせていない。そのうしろの桜が原因だった。わたしはからっぽの脳みそをとりあえず稼働させる。幻覚能力はとりあえず突破できたようだから、問題はその物理攻撃力。

「でもびっくり。あのふたり、あなたのたいせつなひとなんでしょ? いくら幻覚だったとはいえ、あんなふうにさっくり殺っちゃうなんて」
「? なにいってるの?」

 わたしはそれまで展開していた思考を止めて、彼女の目をまじまじとのぞき込む。

「あんなのあっくんとのーくんじゃないでしょうに」
「………」
「ふたりを模した偽物じゃない」
「……ふつう、そこまで割り切れるものじゃないんですけどね、きっと」

 はあ、と彼女は嘆息した。かつり、鳴らした踵の音が高らかに路地裏で反響する。

「まあ、いいけど。……ともあれ。幻覚が効かないのならガチバトルなわけですか。面倒だなあ、こうなるなら先輩にまかしておけばよかった。あたしはただの名探偵なのになあ」
「……それは【ひなごろし】の先輩?」
「うーん、どうでしょ」

 おどけてわらう彼女の右手の中指には、シンプルな指輪がひとつ、はまっている。わたしは迷継ちゃんにいわれた台詞を思い返しながら、またナイフを握り直す。

「ともかく、殺っちゃえばそれで御仕舞いだもの」

 彼女が指を鳴らす。わたしはそれよりはやく、駆け出す。なにも考えずに、ただひたすらに、自分の底の方にある本能に似たなにかに従って。わたしの脳裏ではなぜだかさっきの雪の中わらうふたりの姿がこびりついて離れなかった。それはもう、頑固な油汚れのように。