天国へ引っ張りあげて
白いクリームの乗ったブッシュドノエルを切り崩していく白雪の目はビー玉のように透き通っている。秋日はそのまなざしにスノウドームを連想した。
12月25日。外国では聖なる日ではあっても、この国ではただのイベントでしかない日。街には家族連れとカップルが溢れかえり、赤と緑のクリスマスカラーがイルミネーションとともに季節を感じさせる。
そんな日にどうしてこのとんちんかんな幼なじみが秋日のリビングでくつろいでいるのかといえば冒頭の台詞通り、白雪の保護者である鞠桐林檎がこんな日にも仕事らしいからである(まあ世間一般の社会人が冬休みにはいるのはあと数日先であろう)。
鞠桐家はひとりでいるのには広すぎる。だからだろうか、白雪は勝手知ったる秋日の家に来たのだ。親とも顔見知りであるし、というか、今日この家には秋日と秋日の祖父しかいない。両親はともに仕事だし、祖母は今日は井戸端会議のおともだちとお食事なのだそうだ。残された秋日にやさしい祖父は秋日もでかけたらどうかと言ってくれたのだが、その矢先にこの蜂蜜頭があらわれたのだからその先は想像通りである。
秋日の祖父とさえ『おともだち』である白雪はまるでこの家の6人目の住人であるかのようにふつうに家の中に足を踏み入れ、持参してきたブッシュドノエルを切り分け、そのへんの棚に仕舞われていた紅茶のティーバッグをつかってお茶まで用意しておやつタイムを始めやがったのである。自由にも程がある。しかし祖父はお人好しなもので、にこにこわらいながらそれを見届けたのち、趣味に没頭するためか自室に帰っていった。ちゃっかり白雪のいれた紅茶と、切り分けられたケーキを持って。
「……そういや紀仁は一緒じゃねえの」
「のーくん? のーくんはね、ゴライアスの定期検診が今日なんだって」
「ふーん……」
紀仁の愛するペットである爬虫類のなまえはいつ聞いてもやたらと豪勢である。戦闘力がたかそうななまえだ。いちどだけ紀仁がゴライアスと戯れているのをみたことがあるが、……なんというか、異様な光景だった。もう二度とみたくない。
というか秋日は爬虫類系はあまりすきではない。あの光沢といいやたらひかる目といい、生理的に無理だ。受け付けない。そのあたり、紀仁の感性は理解出来ない。
「あっくんケーキたべないの?」
行儀悪くフォークの先でこちらの皿を指し、白雪が尋ねる。それまでずっと紅茶しか飲んでいなかった秋日は曖昧に頷き、ひとくちだけクリームをすくって呑み込んだ。なぜか食欲があまり湧いていない。人工的な甘みが舌を焼く。
「あまい?」
「……あまい」
「ケーキだからね!」
白雪はきゃらきゃらとわらい、ケーキのかけらを突き刺したフォークを揺らした。
「あっくんしってるー? ブッシュドノエルはね、『クリスマスの薪』って意味なんだよ。ノエルがフランス語でクリスマス、ブッシュが丸太とかそんなかんじー」
「へえ……」
ケーキのうえにのっていたサンタクロースとトナカイの砂糖菓子を避ける。きらきらきらめくふたつの砂糖菓子は皿の隅に追いやられ、ごとりと音を立てる。
「それからシュークリームはシューがキャベツって意味だから、『クリーム入りのキャベツ』。エクレアはもとがエクレールで、これは雷って意味だったかなー! モンブランとかは言わずもがなだよねえ」
「……よく知ってんな」
「えへへー、あまいもののことについてならたくさんしってるのさ」
目を輝かせた白雪が秋日の皿の端に寄せられたトナカイをかっさらっていく。哀れトナカイはフォークにのせられ、唇を舐める能天気頭の目前にてちぢこまる。
「でもやっぱりティラミスがいちばん詩的だよね、しってる?あっくん」
「ああ……なんだったか、」
薄らぐ記憶を辿る。どこできいたのか、その意味は脳に刻まれていたので引っ張り出すのは難しくない。
「「『天国につれていくわ』」」
声が被る。瞬間、いくらかぼんやりしていた精神がはっと覚醒する。白雪はにこりと笑う。その唇に挟まれたトナカイの首がぱきりと折れた。りんごのようにいろづいた指先だけがあたたかみを保っている。
「わたしはきっと天国にはいけないねえ」
声が出ない。喉につかえたなにかが秋人の意思をとめていた。
甘い匂い。舌に残るチョコレートの残滓。くらくらする。まるで酩酊したように世界が回る。白雪はあでやかにわらっている。それは見慣れた笑み。既視感を覚えたときに、違和感に気がつく。それがなにかわからないまま、白雪の囁く声が耳朶をやわらかく食む。
「だからあっくん、『わたしを引っ張りあげて』くれる?」
白雪の声はあたたかい。それはひとを惑わすような甘さを孕んでいる。
鞠桐白雪は残酷である。それは彼女が酷く鈍感だという意味合いももちろん含まれているが、他にもそうなるだけの理由が存在する。白雪は無自覚のうちに周囲にわかりやすいあやうさをはなっている。だからまわりの目がそちらに向く。彼女自身は気づいていないだろうけれど、彼女には他人を惑わす才がある。それは悪女の手腕とはまた異なり、いうならば麻薬のような、蜘蛛の糸のような、そんな『なにか』であるのだ。
秋日はそれにとらわれていた。本人にもその自覚がある。けれど、抜け出せない。だから白雪のそれは『たちがわるい』。罠があることを罠にかかった相手のほうが先に気づく。罠をかけた当の本人は、そんなこと知らないという顔でわらっているのだから。
「……お前にその気があるならな」
「くすくす。どうでしょう」
諦め混じりで吐き出したそのひとことに、けれど白雪はわらうだけだった。秋日はため息をつきたい気分をおさえて、ケーキのスポンジにフォークを突き立てる。皿の隅で所在無さげに残った砂糖菓子のサンタクロースと目が合って、思わずこぼれてくる苦笑いに耐えた。