0707

 商店街に設置されたおおきな竹を見て、はじめて今日が七夕だということに気がついた。

 そろそろ日が沈む。薄暗くなったあたりでは、それでもお祭りだからだろう、人の声が途絶えることはない。
 柵に取り付けられた提灯もどきの電灯が赤い光をまたたかせている。僕はひとり竹を見上げている。色とりどりの短冊が風に揺れているのがみえる。赤、青、緑、黄色。クレヨンで書いたような稚拙な文字や、カラーペンで書かれた丸文字、筆ペンで丁寧に書かれた達筆。そのどれもがそれぞれの願いを星空に羽ばたかせている。
 今も竹の下では籠に入った短冊に文字を記し、背伸びして高いところにくくりつけようとしている小学生たちの姿がある。笑顔だった。たのしいのだろう。僕はすこしだけ首をかしげた。
 耳に嵌めたイヤホンは、さきほどぷつりと音を途切れさせてから沈黙している。iPodの充電が切れたらしい。ざわざわと風で葉を鳴らす竹をもういちどだけみて、僕は歩き出した。




 ちゃりんちゃりん、と硬貨が受け皿に落ちる。おっとり微笑む年配の女性から林檎飴を受けとり、屋台から離れた。ぺりぺりと包装のビニールを破り、そのへんのゴミ袋に放ってまた歩き出す。飴の表面はざらりとしていた。
 あまい。あまいものもたまにはいい。年がら年じゅうたべているあの蜂蜜頭の気持ちはわからないけれど、そう、たまになら。
 がりがりと歯を立てて林檎をつつんでいる飴をうすく剥がしていると、まえから走ってきたちいさなおとこのことかるくぶつかった。

「わ、」

 僕はすこしよろけただけ、むこうも一、二歩その場でよろめいただけで大事にはならなかったが、そのはずみに彼が額につけていたなにか戦隊ものらしいお面が地面に落ちた。色は赤。戦隊もので赤といえば、リーダーときまっている。僕はそれを拾い上げて彼に渡した。彼はなにがめずらしいのか、僕の長く垂れ下がった髪の毛をじいっとみて、「かき氷みたいないろー」とかなんとか言いながらお面を受け取り、また走っていく。
 かき氷。かき氷の青、はブルーハワイか。ちょいっとひとふさ自分の髪をつまみ、電灯に透かしてみる。なるほど、人工的な色合いのあたり、似ていないこともない。
 がり、と林檎飴をかじると、煮た林檎の皮が破れて中身が見えた。ささくれだったように筋が入っている。しゃくり、と咀嚼し、また足を進めた。
 風に乗っていろんな匂いがする。香ばしい揚げ物の匂い、甘いあんず飴の匂い、煙を上げる焼きそばの匂い。ふっと横をすり抜けた高校生の集団からは制汗剤の匂いがして、夏なのか、と我に返る。そういえば僕自身、夏生まれだったか。やっと何日かまえに誕生日を終えていたことに気づいた。
 ごくん、と林檎のかけらをのみこむと、遠くから蝉の声がした。




 ふらりと立ち寄った型抜きの屋台で難易度がいちばんうえのやつをクリアし、野次馬から謎の視線をおくられながら賞金とともに退散する。ポケットから携帯をとりだせば、ここに来てもう1時間がたっていた。
 棒だけになった林檎飴はもうとっくにごみ箱に捨てていて、なにかたべようかな、といくつかの屋台をうろついた末、イカ焼きをさきほどの賞金で購入する。もぐもぐと頬張りつつふらふらしていると、いつの間にかまた竹の下に戻ってきていた。消化が悪そうな食感に若干辟易しながら笹の葉に触れる。……そういえば、僕のオリジナルのなまえはここからきているのか。笹の葉。笹葉心。

 僕が彼女の模造品であるということは、いちいち浅科にいわれなくてもわかっている。僕はコピーで、あのひとはオリジナルだ。なんのために僕をつくったのかは知らない。……が、たぶんそうなのだろうと目星はついている。いかにも彼女がやりそうなことだ。
 ともあれ、そんな僕にたいした望みはない。そういうふうにできている。だからこんな紙切れにかいて吊るすような願いは持ち合わせていない、はずなのだけれど。
 どうやら僕は、いつのまにかあの蜂蜜頭に毒されているようだ。
 そんな自分にすこしだけ苦笑。完食してのこった棒をくわえ、くるんと指先をまわしてペンを準備。籠のなかの文鎮をどかして短冊を手に取り、しばし考えてさらさらと文字を綴る。簡潔に、素朴なそれを。

「~♫」

 鼻歌とともに指を鳴らせば沈黙していたはずのiPodがぶちんと音を立てて復活。これくらいのちからの使用はたぶん許されるはず、だ。ちょちょいと竹に短冊を結びつけ、ちょっとだけそれをみあげてから帰路に着くことにした。僕が望んだのは、「どうか彼女が、」

 ポケットに入れたままだった携帯が鳴った。画面をつければ、やかましい彼女からのメールだった。見事な赤点を叩き出したせいで補習だった彼女の文章はやたらと文末にカラフルな絵文字がくっついている。今日は季節感を意識したのか、短冊の絵文字だった。いちどだけ嘆息して、僕の足はすこしだけ方向を変える。喧騒からはずれていく僕のうえで、空は幾億もの星々を輝かせていた。