シックスティーン・オレンジ

「あっくん自転車二人乗りしよう!」

 ………。
 俺こと吾妻秋日の幼なじみは、それはそれはぶっ飛んだ性格に身体能力をしている。幼い頃から一緒にいるが、ほんとうにこいつがにんげんなのかどうかたまに疑いたくなる。
 たとえば昔、もうひとりの幼なじみである紀仁がサッカーをやっていたためためしに冗談でボールを蹴らせてみれば一瞬にしてボールが遥か彼方にぶっ飛んで、道を歩いていた初老の男性の目の前すれすれを通って電柱にクリーンヒットして罅を入れたり、小学生の頃放課後に男女数人で行ったソフトボールでは振り抜いたバットが手からすぽーんとすっぽ抜け、どれだけのちからが加わっていたのかはしらないが、雲梯の手すりひとつを粉々に破壊したりだとか。ほんとに……確実になにかがおかしいやつなのである。

「……なにいってんだおまえ」
「だーかーらー、自転車二人乗りしよう!」

 幼い頃からかわらない蜂蜜色の髪が、白雪のオーバーリアクションによりぶんぶんと揺れる。髪の先が顔にぶつかりそうになって、手で庇った。
 放課後、2年の教室の前の廊下。ようやっと6時間の授業が終わってさて帰るかと鞄を背負って教室をでた俺を待ち構えていたのは白雪だった。ただでさえ目立つ頭と目をしているというのに、声高にそんなことを叫ぶのはやめてほしいものである。心の底から、そうおもう。

「どっからそんなはなしになったんだよ」
「あのね、清水ちゃんがもってた少し昔の漫画にねえ、主人公とヒロインが二人乗りしてる場面があったんだよ! これはもうやらねばならぬと思って!」
「だからってなんで俺なんだよ」
「だってあっくん今日自転車じゃん」

 うんざりしながら足早に自分のクラスのまえから去ろうと歩く俺の横にならび、白雪は甲高い声を響かせててろてろと歩いている。その姿は傍から見るとキャンキャン吠えてる犬のようにでもみえるのか、すれ違うやつ皆がちらちらと視線をよこしてくるのがうざったい。

「そもそも2ケツなんてやったら教師に目えつけられるだろ」
「えーやろうよやろうよあっくーん」
「俺は内申に響くようなことはしない主義だから」
「かわいい幼なじみの頼みが聞けないって言うんですかあっくんは!」
「まともでかわいい幼なじみがいたらこんなに苦労してない」

 いつもどおり軽口を叩けば、白雪は栗鼠のように頬を膨らませた。それからしばらく黙っていたが、やがて「!」と常に揺れているアホ毛(本人曰く・嘘発見機)をぴんと立たせると、満面の笑みになった。

「じゃあさあ、あっくん!今日だけ自転車貸して! いまごろ委員会に苦しんでるであろうのーくんか清水ちゃんつれて二人乗りする!」
「………」

 ……こいつは。こいつは、それがとてもいい案だとおもっているんだろう。そういうやつだ。俺の脳裏に、それを伝えられた時の紀仁のあきれ顔と、清水の泣きそうな顔が浮かぶ。
 俺はすこしだけ考える。自分のこころに巣食う醜いそれのことを考える。俺がこいつのとなりに立つうちに自覚せざるを得なくなった、嫉妬心と独占欲、のことをだ。表には出ないし出せるはずがない、けれど確実に心臓をじくじくと蝕み、咀嚼していくそれとはもう長い付き合いだった。横に立つ白雪をちらりと見やる。
 光に透けると浮世離れした光沢を放つ蜂蜜色の髪の毛、瑪瑙のように赤い双眸、やたらと華奢な手足、あの日あの場所で傷を刻んだ左手首。こんななりをして、こんなふうにことばを吐いて、しかし白雪はひどく残酷なのだ。愛だの恋だのそんなものは理解せず、世界には親愛と博愛しか溢れていないかのようにわらうこいつは、既に俺の夢の中で何度もその笑顔のままいのちを絶っている。
 本当にそうなる日がいつかくるんじゃないかと、俺は思っている。
 白雪は黙った俺をきょとんとした顔で見つめ返した。

 それを壊せたなら、どんなに楽か。

「………白雪、」
「なあに、あっくん」

 俺は自嘲するかの如く少しだけ笑ってから、破天荒な幼なじみに告げた。




「いやあああっほおおおおう!!!」

 物凄いスピードで景色が流れていく。俺は早くも後悔していた。どうしてさっき仕方ないと二人乗りを許してしまったのか。どうしてさっき選択肢をならべてそれを選んでしまったのか。というかおかしい。確実におかしい。どうして、どうして俺が後ろなのか!

「なんでお前がこいでるんだよ!」
「えーっだってひさしぶりに自転車こぎたかったんだもーん!」

 叫び返す声も瞬時に後ろの方へ流れていき、俺は柄にも無く青ざめた。知っていた。こいつがこういう螺子のはずれた頭の弱い奴というのは知っていた、はずなのに。
 ちなみに今走っているのは下り坂である。下り坂だというにも関わらず、白雪の細っこいけれどそのへんの女子高生には出せないはずの脚力を秘めた両足はごりごりとアスファルトを削るかの勢いでペダルを押し込み、加速に加速を重ねて目が回りそうだ。しかも学校から俺の家までは曲がり角がいくつもあるため、がっくんがっくんと超スピードで駆け抜けていくものだから死にそうになる。
 白雪の名前を呼ぼうとして、舌を噛みそうになり口をつぐまざるをえなかった。振り落とされそうになるのを悟り、慌てて白雪の華奢な肩を掴む。この際外面に構う余裕はない。

「きゃっほおおおお!!!」

 白雪が心底たのしそうに叫び声をあげている。俺はもう乗っているのが自転車だと信じられないくらいの揺れと圧力に酔いそうになっていた。文句も口に出せず、ただひたすらに、白雪が目にしたという清水の漫画は果たしてまともなやつだったのだろうかと考えていた。てっきり、少女漫画かなにかとおもっていたのに……!


「……だいじょーぶ?あっくん」
「……二度とおまえのうしろには乗らない」

 俺が考えることをやめてどれだけ走ったのかはわからないが、とりあえず気づけば俺の家の前に着いていた。よろよろ頼りない足取りで電柱に手をつき、目を閉じてぶつぶつと呪詛をつぶやいた。
 もう金輪際、こいつの操縦する乗り物には乗らないと心のなかでひとり固く誓った。なにより神経が削られる。
 白雪はそんな俺の心境など知らず、能天気な顔で意味もなくくるくる回っていた。今の俺には到底できないであろう動作だった。三半規管らへんがとち狂っているような感覚で、ひたすらに気分が悪い。……俺は絶叫マシンにでも乗ったのか。さきほど白雪がそのへんにとめた俺の自転車は十年二十年くらい一気に年をとったかのように急激にやつれた雰囲気をただよわせていて、なんだか哀れだった。

「ほらほらーそんな情けない顔しないのーおとこのこでしょーが!」
「うるせえ……」

 そういうおまえはおんなのくせに、とはいわなかった。こいつに一般論は通じないことは長年の経験から悟っている。ばしん! と背中を叩かれたので肺の中身がぜんぶ空気中に撒き散らされるかと思った。ほんとうにこいつはいろいろ法則も常識も無視した存在だな!

「じゃああっくん家ついちゃったしわたしダッシュでかえるよう」
「あっそう……」

 白雪は手足を伸ばして柔軟運動をはじめる。まだそんな余力があるのか、こいつ……。俺は片手をひらひらとふり、その姿をはやく道の向こうに行かせようと鼻を鳴らす。

「ほらほらはやくいくならいけ」
「にゃーー!!まったくあっくんはしつれいなやつだなあ!せっかくわたしが自転車こいできてあげたのに!」
「頼んでない」
「いいもーんあっくんはつんでれさんだってわたしはわかってるから許してあげるもーん」
「だれが何だって」
「きゃーあっくんがおこったこわーいおとなしくかえるもーんばいばい!!」

 真顔になってその能天気なあたまに一発くらわそうと近寄れば、やたらキャピキャピした声になった白雪はオーバーな動きで後ずさり、どこぞのキザな野郎がするように指ふたつたてたハンドサインをこちらに送ると、怒涛の勢いで走り去っていった。その動きはさながらダンプカーのごとく、煙をたなびかせながらの豪快なものだった。
 後ろ姿を見送り、俺はながあいため息をついた。ほんとうにつかれる幼なじみである。

「……ほんと、いつまで続けられるんだか」

 こんな日々はいつまで続くのだろうか。
 あいつの不安定さは、俺がきっといちばん理解している。あいつが傷を刻んだのは、左手首だけではないのだ。それでも、………。

「……まあ、いいか」

 ぐしゃりと髪をかき混ぜて、自転車のハンドルをつかんで家の門を開ける。瞼の裏のあたりにちかりときらめくかつての記憶に蓋をして、がしゃん、と門を閉じた。