心情のはざま

 私のおともだちであるティメオくん、通称ティーくんはいつもやたらとかわいらしい栗鼠の頭をかぶっています。
 理由はよくわかりません。私は彼と出会ってからというもの、まだいちどもその下の素顔をみたことがありませんし、みてみたいなあとはおもうのですが、いかんせんそんな機会にそうそうめぐりあえるはずもなく、だから今日もこうしてふたりっきり学校の廊下でヒスイの帰りを待っているのに、「素顔みせて」と言い出せないのです。

「ヒスイなにやってんの?」
「呼び出しくらったんだって。このまえとなりのクラスの赤紙くんぶん殴ってたから」
「赤紙?あああの年中無休ゴーグル……」
「はあ。ティーくん、おなかへったね」
「あーもう6時だな。夕飯なににすっかなー」
「ティーくんは自炊するおとこのこですか」
「まーな、連続で外食はきついよなあ」
「ではそんなティーくんにクッキーをあげましょう」
「まじでか! うおうナデシコせんきゅ!」

 ぺちゃくちゃしゃべりながら運良く懐にあったクッキー(きのうつくった)を彼に差し出すと、彼はうれしそうにそれを受け取ってくれました。さあ、どうやってたべるのでしょう。はずすのでしょうか、その頭を。
固唾をのんでみまもります。ティーくんが包装を解きました。その指でクッキーをつまみます。そしてそれを口に放り込む───!

「へ」

 かぶりものの栗鼠の口に投げられたクッキーは不自然に空中で姿を消しました。その現象が理解できない私はただひたすらにかぶりものの口もとを凝視します。そんな私をよそに、ティーくんはもぐもぐと(たぶん)かぶりものの中の頬をうごかしてクッキーを咀嚼、ごくんとのみこんで幸せそうなオーラを放ちました。え、ちょ、ちょっとまって……。

「うまー。ナデシコ相変わらず料理うめーな」
「あ、うん、ありがとう……」

 なんということでしょう。なにか超次元的な不思議パワーによってティーくんの秘密は守られてしまったのです。
 私は愕然としながら頷きました。ああ今日もまた謎を知れなかった……。
 そんなふうにさめざめと悔いている私のとなりにたつティーくんは、ひょいぱくひょいぱくと次々にクッキーを口に(むけて)放り込みながら、まるで世間話でもするような口調のまま話をつづけます。

「なあナデシコ」
「なに?」
「俺たちはいつ旅を始めるんだ?」
「……ん」
「ヒスイはさいきんそのことをあまり口にしない。……まだ時期でないってことか? それともなにか他に理由があるのか?」

 ティーくんの口調は淡々としていました。私を責めるわけでもなく、ヒスイを責めるわけでもなく。
 けれど長年の付き合いから推測するに、彼はなにかに苛立っているようでした。その対象はもしかしたら私かもしれないし、ヒスイかもしれないし、もしくは彼自身なのかもしれません。
 ばりん、とクッキーが噛み潰される音がしました。私には壁にもたれて黙っていることしかできませんでした。
 だって私は知っていたからです。なぜヒスイがまだ踏み切らないのか。あの日夕焼けのなか、黄昏時に、夢を語るときだけしかみせない目の色をして、真剣にことばを紡いでいた彼が、どうしてまだ歩き出さないのか。
 それはきっと、ただの責任からくる迷い。

「……ティーくん、」

 私がなにも考えないままとりあえずなにか言おうと彼の名前を呼んだとき、こつんこつんこつん、と階段をくだってくる音が響いてきました。
 はっとそちらを見やれば、今日も今日とてすらりと長い日本刀をひきつれて両眼のしたに隈を刻んだヒスイがおりてくるところでした。億劫そうにポケットに手を入れて、目つきの悪いまなじりを空に向けています。間が悪いなあとなんとなく思いましたが、視界の端でティーくんはただそっぽを向いて残りのクッキーを咀嚼するだけで、先程までの話をヒスイに聞かせる気はないようでした。かわいらしい栗鼠の眼球があらぬ方を見つめて光っていました。
 どうやらおとこのこには私なんかにはわからないこころの動きがあるようで、それに少しだけおもしろくない気分になったので、私はティーくんの横っ腹をなぐりました。ぐーで。

「いてっ」
「……なにしてんだナコ」
「べつになんでもありません」

 どすんと重たい音とともにティーくんがうめいて、ヒスイからも『なにやってんだこいつ』という視線をよこされて、けれども私は知らぬ存ぜぬを貫き通しました。
 おとこのこのことなんてしるものですか。

「あー……?なんだよナデシコ、なんで怒ってんの」
「ティーくんには関係ありません。それよりもヒスイ、泡沫先生にちゃんと怒られた?」
「ちゃんと怒られたってなに……。ふつうに謝ってきた。これでいいだろ」
「うん。赤紙くんはきっと怒ってるだろうけれど。いいとおもうよ」

 うなずいて「じゃあかえろう。おなかすいたでしょう」と私は歩き出しました。ひらひら制服の裾がなびいて、靴の底が擦れているのがわかります。
 きっとうしろでふたりはそろって訳わからないという顔をしていることでしょう。たまには、たまにでいいから、私の気持ちも汲んでくれればいいのに。おとこのこのあいだだけで理解され合うような心情の機微を、私にも、共有させてくれればいいのに。
 私は知っています。ヒスイがどうして未だこんな処で立ち止まっているのか。ティーくんがなにをそんなに苛立っているのか。ヒスイはなんでこのまえ赤紙くんの顔面に拳骨を落としたのか。その理由たちすべてにおとこのこの心情が関わっていることを知っているから、だからこそ、私はこんなにもどかしい気持ちでいるのです。

(冒険とか戦いとか勇気とか)
(そんなものはおとこのこだけの特権じゃ、ない)

 私だって、たたかう手立てはもっているのに、それなのに、だなんておもってしまう理由はわかりきっているのです。とんとんとんと勢いのまま足をまえに踏み出しながら、私は自分の子供らしさにほとほとあきれ返りました。本当にもう、だから私は成長できないというのに!

(たたかうおんなのこはつよいのです)