愛と免罪符
煩わしい。赤、黒、赤、黒。濡れたような音を立ててずしゃりと崩れ落ちる影、原型をとどめないで散っていく姿。
面倒くさい。
ただひたすらにナイフを振るっていると、次第に世界はモノクロになっていく。音も聞こえない。世界が短調でつまらない。私のひとみはもっと遠くをながめている。
腕が重たいな。ナイフを落として柔軟体操でもしたい気分だ。でもそんなことしていると痛い目見るだろうし、そうね。うん。とりあえずはめのまえにいるなにかを壊さないといけないね。
そう、集中。雑念はすべて例外無く排除、そうしてまるでなにかのマシーンのごとく働きましょう。さてと、右左右右斜め上にすべらせてそこで横に。おくれて赤い血がついてくる。くるくるくる、回る腕と目を見開く首に笑う。
さよならしましょうあなたの世界に、笑うのはいつだって勝者なのだから、仕方ないでしょ?
「─── !」
あれ。あれあれあれ、いま、なにか聞くのにも頭痛を要するような罵詈雑言が鼓膜を揺らした気がする。
「なんて?」
たずねた相手はいつのまにやら破裂していて、あらら私の力量不足ですか? 嘆いてみて、いやこれはちがうなあ、とひとり反省会。私のせいじゃあありませんね。これはすべて自業自得だし、そもそもきみらが先生に喧嘩売ったのが悪いんじゃない。
うん。ようし完璧な論理の完成。目を閉じていたって殺せる。お茶の子さいさいである。私は傘璃ほど強くないし白雪ほど吹っ飛んでないはずだけれども、これくらいはできる。
ねえねえそこのあなた、私どんなふうにみえる? きれいかしら? 先生に肯定してもらえるようにみえる?
たずねようと唇をひらくまえに、唇に飛んでくる紅。ああもう、脆いなあ、思いつつごりっ、と音を立てて心臓にナイフをおしこむ。しらないうちに口の端から笑みがこぼれて、あれ、もしかして私くるってるひとみたい? うん、うんうん。よし、この思考はなかったことにしよう。ぽい。
「…………………」
しばらく思考が飛んでいた。ふと目が覚めたような錯覚がして、血まみれの自らの手を見下ろした。視界には肉塊。汚い。生理的嫌悪。またやってしまった。ちょっと後悔。自分の行動を否定するつもりはないけれど、やりすぎてしまった感じは否めない。
「……ひよる、ちゃん」
ためらいがちにナデシコがそのへんの路地から姿を現して、ぼうっと浮世離れしたその双眸で私を見た。そのからだに返り血はみえない。あいかわらず小器用だ。その華奢な矮躯からは、その手でひとを殺められるだなんて想像もつかないだろうけど。
「そろそろかえらなきゃ」
「……そうね」
なんでもない顔をして、うなずいた。しばらくナデシコは私のことを釈然としない顔でながめていたものの、やがて無為にうなずいて背中をむけた。その背で桜色の髪がゆれている。
「…………」
血まみれの手を見てもなにも感じない。私の行動理由は常に先生だ。それはわかりきったことだ。それが免罪符だなんていう輩もいるけれど───私は純粋に、先生を愛しているのだ。ならばべつにそんなのはどうでもいいことだ。萌黄ならばそれを愚かだというのかもしれないけれど、知ったことではない。
いつでも私は、あのひとのために。
(躊躇なく後悔なく赤い花を咲かせるのだ)