そのひとみがかわいた頃に
聞きなれた音。肉が抉れて血がこぼれて、その存在の生命があふれだしてとめどなく流れていくような、聞きなれた音でした。
「……ぁ、」
自分の腹部に見事に刃物が突き刺さっているのがみえました。ちかちか明滅する視界で舞い上がる血液のかけら。網膜を焼く、あざやかな赤。
私のなかに、驚きはありませんでした。ここは戦場。刃や銃弾がそこらを駆ける、誰しもが死と隣り合わせである世界。そこでだれかが死に絶えるのは当たり前で、それが偶然にも私であることは、不思議なことではありません。そもそも私は彼をかばうためにここに飛び出してきたわけで、敵はそんな馬鹿で無謀で脆弱な私を見逃してはくれなかっただけの話でした。
私の身体に刺さった鋭いナイフがぐるりと回されて、執拗にその表面を内蔵に擦りながら勢い良く抜かれたのがわかりました。ぼんやりそれを見送る私の目に映る、ナイフを握りしめたその手。両手の小指の爪のみを黒く塗って、ほかはすべて真っ赤に塗り潰した───その特徴は、たしか萌黄ちゃんが口にしていた【雛殺し】の───
「っ、う」
ごぽり、と喉の奥からせり上がった血が私の意志とは関係なく吐き出されます。他のことなんて考えている余裕は無いようでした。その紅は、私の命そのものが散っていくような景色。
(……ああ私は、)
ここで死ぬのでしょうね。
深々とあいた傷口。ゆるゆると流れ出す血液。ちからの入らなくなった手足。このどこから私の生きる可能性を見つけだせというのでしょう。こんなときまで、神様は私に優しく、ない。
「───ナデシコ、」
閉じかけたまぶたを意地で見開きました。だれかが私の名を呼びました。いいえ、『だれか』だなんて、曖昧な表現はよしましょう。その声の主は紛れもなく彼でした。
私の恩人。私のだいすきな、ひと。
霞んだ視界に映り込む彼の姿、同時に私の腹を刺した誰かさんがふっと消えるのがみえました。ああ、捕り逃してしまった。萌黄ちゃんに怒られてしまうかも。思っているうちに視界がぶれて、そこでようやく私の身体が倒れようとしていることに気づきます。あれまずい、なんて考えているうちに硬そうな地面が迫り、受身なんてとる暇なしに背中に痛み。痛い。でも、私がこの世界でこれまでに得てきた痛みと比べれば、どうってことはないのです。これくらいの痛みは、痛みのうちには入りません。
「─── ……! ─── 」
……あれ。どうしたの。彼が必死な顔でなにか叫んでいますが、ぽんこつらしい私の耳はその声を拾ってはくれません。唯一はっきり明瞭なのは視覚だけ。彼のきれいな透き通るような海の色をした双眸が、悲痛な色合いで光っています。きらきら、私がいつも見上げていたそのひとみ。ふだんは光らないくせに、自身の夢とか世界の輝きについて語るときのみきらめく、貴方の目。
(……まるで宝石みたいだ)
ねえ、なのに、どうしたの。そんな辛そうな顔をしないで。そんなふうに血まみれな私の傷をさわらないで。貴方が汚れてしまうでしょう。私はどうだっていいのに。貴方のために死ねるなら、それだっていい。それがこの世界の『物語』であったと、私は納得できる。───筈なのに。
「どう……して、私は……。泣いているの、かな」
じわりと浮かび上がる涙のせいで、彼の顔がにじむ。死にたくない? 私は死にたくないのでしょうか?
私は───【雛翼】は傍観者じゃなくちゃいけなくて、物語に首を突っ込むような真似は許されておらず、死ぬときは潔く果てるべき。なんて、忘れかけていた記憶を掘り起こしてみても、やっぱり涙が止まるわけはないのです。
私自身、気づいているはずでした。彼が私に与えたいくつもの知識、日常、希望。
それを愛おしいとおもう自分がいる限り、この涙が止まることはないのだってこと。
(やっぱり私は……落ちこぼれなのかなあ)
だからいつになっても萌黄ちゃんのようにはなれない。でも、それでも構いませんでした。なぜだかこころにはあたたかいなにかがあって、けして虚しさなんてなかったから。
悲痛な顔の彼を見上げます。ごめんね。私は所詮物語の脇役だから、こんなふうにして物語を進めることくらいしかできない。
でも、それでも、
「───、」
ゆっくり手を伸ばして、彼の手を取ります。その濡れた瞳を見つめて、私は微笑みました。泣く必要なんてありません。だからせめて、最期くらい。
「ありがとう」
血の味のする唇でそう紡ぎました。私は貴方のことを、これから先忘れることはきっとないでしょう。今の私は貴方のおかげで生きているのですから。ありがとう。さよなら、そして、おやすみなさい。
またいつか、そのひとみがかわいた頃に、また逢いにこれますように。