桃が送られてきた。
 執務室の中央、畳の上。両手をひろげたくらいの大きさをした段ボール箱の中に、いくつもの桃が詰められている。ひとつひとつネットをかけられお行儀よく並んだ果実たち。広げたそれらを前に、審神者は座り込んでいた。開いた段ボールを覗き込んで、うーん、と悩まし気に首をひねる。
 桃は審神者の知人から送られてきたお中元だった。どれもふっくらと丸く、艶のある赤に色づいている。箱を開けたときから甘い香りがして、新鮮で美味しい桃だろうと想像がついた。
 しかし、問題がひとつあった。箱におさめられた桃はおよそ十から十五個くらい。五十を優に超えるこの本丸の刀剣男士全員には、到底行きわたらない数だった。
 こういったことはしばしばあり、そのたびに審神者のちいさな悩みの種となる。これまで審神者個人に送られてきたお中元やお歳暮、果物や菓子類はどれも男士全員に配れるほどの個数はなく、かといって一つを二振り以上でわけて、なんてかわいらしいことができるほど男士たちの胃はちいさくなかった。仕方がないので、お菓子なら執務室に常備するお茶請けに、果物などの生ものならその時の近侍や誉を取った男士などにあげることにしていた。
 今回も同じようにしようか、それとも今日これから執務室を訪れる男士に先着順で渡すことにしようか。桃はただでさえ足がはやいし、などと考えていると、「失礼しますよ」と声がした。
 審神者が振り向くと、開け放たれたままの障子のあいだに宗三左文字が立っていた。なにやら紙切れを手にこちらに歩いてきて、座り込んだままの審神者を見下ろしきれいな眉をひそめる。
「何してるんです?」
「さっき届いたお中元を開けてた」
「おや、桃ですか」
 芳しい香りに宗三も気づいたらしい。膝をそろえて審神者の隣に座り、箱の中を覗き込む。しゃらりと首筋を滑った桃色の髪を見て、審神者はふと思いついた。
「いいところに来たね、宗三」
「何です、いきなり」
「一緒に味見しない?」
 青と緑、左右で色違いの瞳がぱちりと瞬かれた。

*****

 執務室の隣には給湯室がある。備え付けられたミニキッチンから薄っぺらいまな板と果物ナイフを拝借して執務室に帰ると、宗三は既に足を崩して座り、ガラステーブルの上に置いてあった雑誌をぱらぱらめくっていた。
「相変わらず面白みのない読み物ですね」
 審神者が戻ってきたことに気づくと、そう言って雑誌を閉じる。それは政府が隔月で刊行している、審神者向けの雑誌だった。毎回今後の予定や全体の業績、万事屋の新商品などが取り上げられている。
 ありていに言ってしまえば一般企業の社内報のようなものだ。内容は男士が読んでも構わない程度に当たり障りなく無難で、宗三の言う通りあまり面白くはない。
「こんのすけ特集なんて面白そうなのに」
 言いつつ、審神者は宗三の正面に座った。箱から取り出した桃は少しひんやりしている。前に座る宗三が頬杖をついたのがわかった。
「あなた小動物とか好きですからね」
「まあね。ほんとうは犬がいちばん好きなの」
「残念でしたね、本丸に犬がいなくて」
「狐はイヌ科だから……」
 他愛もない会話の最中も宗三の視線は審神者の持つ桃に注がれており、審神者は彼が水分の多い果物を好むことを思い出した。梨とか西瓜とか、葡萄とか。
 桃の割れ目に沿うように切り込みをいれたところで、そういえば、と気づく。
「何か用事でもあった?」
 宗三はその言葉に一度ゆっくり首をかしげた。その動作に伴って、赤い耳飾りが揺れる。それから「ああ」と気だるげにうなずいた。
「そうでした。すっかり忘れるところでしたよ」
 傍らに置かれた紙切れを取り上げて、ひらりと審神者に見せる。
「明日の出陣についてなんですけれど」
「うん」
 彼の涼し気な声を聞きながら、審神者は手慣れた様子で桃を剥いていく。切れ目を入れたらやさしく両手で持って、左右にねじるようにして二つに割る。片側についたままの種は包丁の先で抉るようにして取り外した。それから実をつぶさないようにそっと切り分けて、するすると丁寧に皮を剥く。
 宗三と会話をしているあいだに、あっというまに桃が切り分けられた。宗三が気になっていたという点も解決して、ふたりはまな板に並んだ桃を見下ろす。すると審神者が「あ」と声をあげた。
「フォークとか持ってくればよかった」
「かまいませんよ」
 そう言って、宗三はしろく細長い指先でためらいなく桃を摘まみ上げる。「いただきます」その声と同時に、白桃のひときれは宗三の口へと消えた。ゆっくり咀嚼して呑み込み、やや首をひねる。
「……まだ少し硬いですね。若干酸っぱいです」
「あら。じゃあ熟れてくるのはこれからかな」
「そうですね」
 そんなことを言いながらも、また宗三はまな板に手を伸ばす。透き通るような白いひときれに噛みつくと、じゅっとあふれた汁が細い手首につたった。匂い立つ甘い香り、宗三は薄い唇を舐める。どこか色気のあるしぐさに、なんとなくさすがだなあと思う。
「でもまあ、いいんじゃないですか。美味しいですよ」
 宗三の食べっぷりに見とれていた審神者はそれじゃあと自らも手を伸ばす。考えてみれば、桃を剥いた審神者の手はとうに果汁で濡れていた。いまさらどうということもない。
 ぱくりと一口。宗三の言った通り、まだ芯を持ったように硬くて酸っぱくて、けれどじんわり甘くて美味しい。夏の味だ、と審神者は思う。缶詰のものも美味しいけれど、あれはやはり生の果物とはまた別物だ。
 ふたりそろってぱくぱくと食べ続けていれば、たちまちまな板のうえは空になった。審神者が棚から引っ張り出してきたウェットティッシュで指先を拭う。
「美味しかったね」
 言いながら、審神者は片づけをしようと腰を上げる。宗三もそれに続いて立ち上がったところで、「そうだ」と審神者が声を発した。いそいそと段ボールに近寄って、適当な桃を見繕いながら言う。
「ねえ、桃持っていきなよ。三つあげるから、きょうだいで食べたらいい」
 特に赤く色づいているもの三つ。少し指先で押してみて、痛んでいないことを確認する。審神者は棚から青江にもらった籠を取り出し、桃を載せて宗三に差し出した。
 差し出された宗三は、少し戸惑った顔をする。
「いいんですか? 見たところ、それほど数はないようですが……」
「だからなの。全員分はないから、早い者勝ち。小夜と江雪と一緒に食べて」
 笑って言うと、宗三はそこまで言うなら、というように薄く微笑んだ。それは彼が日ごろ浮かべがちな皮肉っぽい、憂いのある笑みではない。やわらかく、あたたかな笑みである。宗三は審神者が差し出す籠を受け取った。
「それじゃあ遠慮なく。ありがとうございます」
 宗三は片づけを申し出たが、審神者は「ひとりで大丈夫」と断った。そうですか、と宗三はうなずいて、それではと部屋を後にした。
 桃色の毛先を揺らしながら歩いていく後ろ姿に、審神者は左文字三振りが並んで桃を食べる姿を想像する。小夜は包丁の扱いがうまいから、彼が兄たちに皮を剥いてやるのだろうか。それとも、桃を持ってきた宗三が剥くのだろうか。どちらにせよ、江雪はそれを見守っているのだろうなと思う。
 すん、と息を吸い込むと、まだ甘い香りがする。きっとこの執務室は今、桃の匂いに満ちていることだろう。
 さて、この香りに気づいて次にやってくる幸運な刀は誰かしら。
 審神者はひとり、笑みを漏らした。