厨の中にはあまい香りが満ちていた。ボウルの中にすりおろした生姜をこれでもかと入れたときは何をするのかと顔面を蒼白にして、腑に落ちないようすで型抜きを手伝っていた乱もこの香りに顔をほころばせている。
軽やかな音を響かせたオーブンの扉をあけて、天板を取り出した。久しぶりだったから自信はなかったけれど、いい具合の焼き色がついている。敷いてあったクッキングシートごと中身を持ち上げて、用意した白い角皿に勢いよくざらざらとこぼしていく。幸いにもこの行いをがさつだと指摘するものはいない。べつにいいのだ、量がそれなりにあるからひとつずつ摘み上げてうつすのは面倒だし、なによりおいしいのだから。
「あるじさん、あるじさん」
こちらの作業をのぞきこみながら、待ちきれないとぴょんぴょん飛び跳ねる乱にお湯を沸かすようお願いする。乱ははあい、とかわいらしい声で返事をして、細い腕を伸ばして電気ケトルをつかみ、流しへ向かった。赤いリボンで束ねられた尻尾みたいな毛先も、楽しそうに左右に揺れている。
お気に入りのちょっといいティーカップを戸棚から出して、紅茶を淹れればふわりといい匂いが漂う。そうすればティータイムの準備は完璧だ。そわそわしている乱の正面に座り、目配せをするとその表情がぱっと華やいだ。それでは、と、どちらからともなく手を合わせて、
「いただきま~す!」
言うがはやいか、その細い指先が皿に盛られたジンジャークッキーを摘まんで口に放り込んだ。さすがの機動力である。桜のかたちをしたクッキーは瞬く間に彼の口の中に消えた。こちらがゆっくりティーカップに口をつけているあいだに、黙々と咀嚼するその頬が薔薇色に染まっていく。浅黄色の瞳はきらきらと輝きを増し、まるで星屑をあつめたような瞬きを繰りかえした。
やがてこくりと喉を鳴らして嚥下した乱は、感極まったように「おいしい!」と叫んだ。そうだろうそうだろう、したり顔でうなずきながら、自分もひとつ手に取りかじってみる。うん、おいしい。
「なんでだろう、あんなに生姜入れてたのに」
そのぶんお砂糖もたくさん入れたからね、と教えてあげると、「そっか~」としきりにうなずいて、またひとつ、ふたつ、と手を伸ばす乱。お気に召したようでなによりである。
湯気をあげる紅茶を一口啜って、同じようにティーカップを手にする乱を見やる。カップを両手でつつみこむ指先は、熱でだろうか、ほんのり赤く染まっている。乱はにこにこしながら、ぽかぽかする、とつぶやいた。
「ねね、あるじさん」
なあに、と返すと、乱は持っていたカップをソーサーに戻す。かちゃん、とちいさな金属音が鳴る。いつも白い頬は今ではうつくしく色づいて、こぼれ落ちそうなくらい大きな瞳はつやめくよう。ちょっと顎をひいてうわめづかいで、自分のかわいらしさを存分に発揮するすべを知る彼は、天使みたいな笑顔で、いうのだ。
「また一緒につくってくれる?」
そんなかわいい顔でいわれたら、断れるはずがないでしょうにね。